2007年、シリアの砂漠地帯で密かに建設されていたアルキバール原子炉を、イスラエルが空爆した。イスラエル政府がこの攻撃を公式に認めたのは18年になってからだ。本書は、秘密裏に行われ、その後もイスラエルが黙秘してきた原子炉攻撃の全貌と、その意思決定プロセスに迫ったノンフィクションだ。
遠い中東の話だが、私たちにも深く関わる問題だ。なぜなら、シリアの核開発に関与していたのは北朝鮮である。つまり、日本の安全保障に直結するのだ。さらにいえば、その後のシリア内戦で、アルキバール原子炉があった地帯はIS(イスラム国)に占領された。原子炉が破壊されていなければ、ISが核武装していた可能性もあったのだ。
07年春、イスラエルの諜報機関モサドのダガン長官は、シリアの核開発の情報を米国に伝えた。米国は衝撃を受ける。CIA(米中央情報局)はシリアの動きに気づいていなかったのだ。
イスラエルは米国が原子炉を破壊してくれることを望んでいた。イスラエルが単独で原子炉を破壊した場合、シリアのアサド大統領が反撃し、全面戦争になる危険性があるからだ。当時イスラエル軍は前年のレバノン侵攻で手痛い損害を被っており、シリアとの全面戦争は避けたかった。だが、米国はイラク戦争の損害と、大量破壊兵器の偽情報に踊らされた経験から、同盟国イスラエルの要請を拒む。
政権内の意見対立を経て米国が出した答えは、IAEA(国際原子力機関)に提訴し外交的圧力をかけ、軍事力行使は最終手段、というものだ。これはイスラエルのオルメルト首相が最も恐れた結論だった。原子炉建設の情報が漏れているとアサドが知れば、原子炉を保育園にでも偽装してしまうだろう。そうなれば軍事力の行使は不可能になる。
イスラエル政権中枢の者たちの親はホロコーストの犠牲になった世代だ。彼らは虐殺の歴史を繰り返さないと決意していた。敵国に大量破壊兵器を取得させない。「われわれは1人かもしれないが、準備はできている」。オルメルトは単独攻撃を決意する。幸い軍諜報機関アマンが戦争回避の方法を思いつく。それが「否認ゾーン」だ。
過去にイスラエルがアサドに脅しをかけた際、イスラエルがその後知らぬ顔を決め込むと、アサドはメンツが保てると判断し、事件を「なかったこと」にした。諜報機関の調査によれば、今回の核開発はシリアの軍幹部の間でもほとんど知られていないようだ。攻撃後イスラエルが沈黙すれば、アサドは戦争を避けるため前例同様「否認ゾーン」に逃げ込むのではないか。政権の分析ではアサドが「否認ゾーン」を選ぶ確率は50%。イスラエルの閣僚らは戦争の重圧に耐えながら作戦を決行する。
オルメルトは当時、レバノン侵攻の失態と政治スキャンダルで追い詰められていた。作戦成功は名誉挽回のチャンスでもある。しかし「否認ゾーン」戦略を成功させるために、彼は沈黙を守った。オルメルトにも欠点はある。だが決断力と責任感を持ち合わせた政治家であったことは間違いない。
こうしたイスラエルの覚悟と戦略は、北朝鮮の核武装という問題に直面している私たちにも示唆を与えてくれる。
※週刊東洋経済 2020年6月20日号