鴨長明の『方丈記』には、有名な「ゆく川の流れは」の後に、次のようなことが書かれている。美しい都で競い合うように並んでいた建物も昔からあるものはまれだ。火事で新しくなったもの、没落して小さな家になったものなど、同じものはない、と。
鴨長明が見た中世の都よりも極端なのが現代の東京かもしれない。世界的に見ても驚くべき速度でスクラップ&ビルドが繰り返され、わずか数年で風景ががらりと変わってしまう。本書は平成から令和へ、オリンピックを前に東京がいかに変貌したかをスケッチした一冊。都市建築のトレンドも把握できる好著だ。
近年の東京の変化のスピードは以前より激しさを増している。渋谷駅周辺、芝浦などいつもどこか普請中だ。この絶えず街並みが更新される状況を、著者は「見えない震災」と呼ぶ。災害や戦災ではないのに街が壊されるからだ。もっとも著者は保存原理主義者ではない。「すぐれた建築が壊されるとしても、その後に志のある建築がつくられるなら必ずしも反対しない」と都市の新陳代謝を柔軟に肯定する立場である。問題は、現代の東京の建築にはたして志があるかどうかだろう。
かつてバブル期には世界中から野心的な建築が集まったものの、現在の東京にはランドマークと呼べるような建築がない。建築史家・鈴木博之言うところの、優等生的な「ビジネススーツ・ビルディング」ばかり目につく。新国立競技場を巡る騒動もこの流れに位置付けられる。
ザハ・ハディドによる直線がほとんどない、うねるような流線形の挑戦的なデザインは、もし日本の施工技術とのタッグで実現していれば、世界的に注目される建築になる可能性があった。だがワイドショーを中心に、奇抜なデザインでコストが跳ね上がったと叩かれ、最後は安倍晋三首相の「英断」で白紙撤回された。実は国民の反対を押し切って安保法案を強行採決した直後だったのだが、残念ながらメディアは目をそらされたことに気づかなかった。
代わって起用されたのが隈研吾である。木材を使用し日本の伝統建築を連想させるプランは、人々に安心感を与えるものだった。だがそれは、言葉を換えれば「炎上しない」建築でもある。かつてポストモダンの過激な作品で物議を醸し(現代なら炎上必至である)、一時は東京での仕事がなくなった隈は、雌伏する間、地方の仕事を手がけ、その土地の素材を活用したルーバーを表層に使う新しい手法を確立し、バブル崩壊後の東京に「負ける建築」を掲げて帰還した。今や名実ともにナショナルアーキテクトの隈に、かつての先鋭的なポストモダニストの面影はない。
隈は「弱い日本なのだから、弱い建築を作りたい」(『建築家、走る』)と言う。それは経済大国の輝きが失われた日本にふさわしい建築なのかもしれない。だが、かつてのような活気が失われた東京では、都市の顔となるような公共建築の更新は止まったままだ。才能ある建築家たちは今や勢いのあるアジア諸国に活路を求める。コロナ後の世界的な不況に加え、そう遠くない未来、東京は巨大地震にも襲われるだろう。保守化が進む東京に、再び輝きを取り戻す力は残っているだろうか。
※週刊東洋経済 2020年6月13日号