人類学者が各々のフィールドで獲得した情報を綴った本は不思議と驚きの源泉である。世界にはまだまだ知らないことがあることに喜びを感じることができ、人類が辿ってきた進化の道筋への想像力を豊かにする。暗黙の前提を明るみにし、常識だと信じていた基礎をぐらつかせる。
人類学者がいなければ、聞かれることもなく、知られることもなかったフィールドの人々の知恵を集めてきた。フィールドに何年もの間、生活を共にし、研究する。参与観察という手法である。その観察で得た人々についてを書き上げたものが民族誌である。しかし、これらの手法は科学の世界では、客観性に欠けると、人類学の脆さとして批判の対象となってきた。
どうすれば、もっと客観性を高め、従来の科学では取り扱えなかった知識を補充し、科学に貢献できるだろうか。本書の著者インゴルドはそのような優等生的な発想では考えない。科学のあり方そのものに批判の矛先を向けつつも、まずは自分自身が40年以上学び、教えてきた人類学のあり方を問い直す。
民族誌を書くために情報を集める方法が参与観察である。そう信じられていた人類学の常識を疑う。参与観察は民族誌を書くために人々についてデータを収集することではなく(何かを論証するための証拠を集めるのではなく)、人々と生活しながら共に学ぶこと、それが参与観察であると主張する。師は調査対象の人々、弟子は人類学者、徒弟制度に似た間柄になり、生活に没入する。弟子が師匠と生活を共にし、一つ一つの行動や言葉を真剣に受け取り学んでいくように、フィールドの人々と共に学ぶのである。
「他者を真剣に受け取ること」を人類学の第一の原則にすえ、ここから人類学がどのように未来を切り拓いていけるのか、人類学はどうあるべきなのか、その論を開いていく。フィールドでの経験や思索の断片が散りばめられ、話は大きく広がっていくいっぽうである。そのため、読中感は正直なところよくない。凸凹道でハンドルを左右に豪快に振り回す車の助手席に座って車酔いするような感じだ。しかし、読後感は素晴らしい。30ページにもわたる解説が充実しているからだ。散らばっていた知識を咀嚼し言葉を変えて流れを整え、5つの章をコンパクトに解説する。こちらは舗装された道路での安全運転である。
話を本書の内容に戻そう。神経科学者が脳を、心理学者が心を、経済学者は市場を、解析できるという具合に、人類学は文化的なものや社会的なものを説き明かす高尚な力があるとこれまで考えられてきた。しかし、他者を真剣に受け取ることから始める人類学は、他者にラベルを貼り、「了解済み」として片付け、知識を生産することではないと主張する。世界は研究対象ではなく、研究の環境であり、客観的な知識を求めているのではなく、知恵を得ることを望んでいる。そして、新たな人類学によって得られた知恵が、科学によって大量に生産された知識を活かすと信念を語る。
知識が溢れているのに、それが知恵に結びつかない時代は、実際これまでの歴史にはなかった。そのバランスを回復すること、つまり科学によって伝えられる知識に、経験と想像力の溶け合った知恵を調和させることが人類学の仕事であると、私は信じている。
科学によって細分化された知識を、知恵をもって統合することを使命とする。あらゆるところで、分断が生じている時代に、統合を唱えるインゴルドの人類学はとても魅力的に映る。しかし、ことは簡単に進まないようで、大きな障壁は人類学の誤解や人類学者へのステレオタイプである。その詳細は本書や詳細な解説に譲ることとするが、インゴルドが壁を乗り越えた先にまなざしを向ける人類学の未来を紹介したい。
アートと科学の今日的な合流する場所に人類学の未来を見出し、そこで科学することの別の方法を探究する。自然科学に憧れ、実証主義を唱えた社会科学から一歩距離をおいた居場所である。観察から学び、物事の内側からそれを知るために皮膚のしたに入り込む生の技法を用い、あるがままのものを描いて分析することだけに結びつくのではなく、実験的でもあり、思弁を積極的に取り入れる。
そして、描く未来に欠かせないのは、抱えている問題や属性で人を定義することはせず、分けられない人間性を主題とすること。人々について研究するのではなく、人々とともに研究すること。言い換えるならば、対象への知識を希求することではなく、気づかいの倫理を持ちながら。
—
訳者であり、解説の執筆者の著書。反省もしないありがとうも言わない民族と暮せば、誰だって戸惑うし、森の民との関わりの中で、自分自身の考えも行動も変わっていきそうだ。
思考法とあるが、ビジネス書などではなく、普通に読み物として面白い。13章、それぞれが短く専門用語がわからなくとも、読み切れる。
文化人類学の本を読むと、問いをたて、解決するサイクルに急ぎすぎなことに気がつく。もっとゆっくりでいい、無理に問いを立てることなく、そして、答えが出ないことに順応したほうが人間らしい気がする。