プロ棋士への道は、険しい。かつて米長邦雄・永世棋聖が「兄たちは頭が悪いから東大に行った。私はよかったから棋士になった」と話したように、プロ棋士を目指す奨励会は日本有数の「頭脳集団」ともいわれる。だが、ひたすら将棋に打ち込むエリートたちの中でも、中学生にしてプロ入りした「天才」は長い歴史の中でわずか5人にすぎない。加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明、そして藤井聡太。本書はそのうち加藤、渡辺の2人が、将棋にとどまらず、物事をいかに捉えているかを語る。
勝負事にどのような気構えで臨むのか、運やツキを信じるか、自分の「型」にはどこまでこだわるべきか、事前の研究はどのようにすべきか、直感は正しいかなどなど。仰々しいタイトルだが、われわれ凡人の参考になることも多い。
機械が人の仕事を奪うという議論は古くて新しいが、将棋の世界もビジネスの世界と同じくAI(人工知能)が猛威を振るう。盤の前での思考力と同程度に、コンピューターによる事前の分析が重要になっている。棋風と言えるような棋風もなく、どんな戦法でもそつなくこなす能力に長けた棋士も増えた。
30代半ばで目下、三冠(棋王・王将・棋聖)のタイトルを保持する渡辺もこうした時代の波にさらされ、数年前に大スランプに陥った。自らを「アナログ」派と称する渡辺はどのように「モデルチェンジ」を図り、復活したのか。大きな変化の流れの中でどのように自分を変えていくか。デジタル時代に生きなければならないサラリーマンにとっても学びは少なくない。
一方、「ひふみん」の愛称で知られる加藤は今の時代も「思考力」「直感力」の重要性を説く。加藤の関心は、勝負よりも、一局が「最善手」の連続で構成されることにあるのが興味深い。
「神武以来の天才」と謳(うた)われた加藤が頭角を現した時代は、将棋を指すことと生きることが重なり合っていた時期でもあった。個性や、勝負にかける執念が盤上に投射された。相手を揺さぶるために対局中のみならず、盤外での心理戦も盛んに見られた。
現代ではそうした「生きざま」は盤上から排除され、一手一手をAIが点数化する時代になった。「コンピューターのように指すのが理想」と言ってはばからない棋士もいる。だからこそ、逆説的に加藤の強烈な個性が際立つ。
渡辺と加藤に共通するのは、時代が変われど、将棋はコンピューターを駆使した頭脳ゲームではない、という意識だ。現役最強クラスの渡辺ですら、盤上が完全に非人間的になることに対する寂しさを示す。
本書は、それぞれの勝負に対する考え方についての話が中心だが、大山康晴や羽生善治などの「天才」についても言及している。
とはいえ、加藤は大山について語ろうが、羽生、藤井を絶賛しようが、結局は自画自賛で終わる。だが間違っても、「『藤井聡太とは何者か?』と副題にあるが、『加藤一二三とは何者か?』とすべきでは」などと思ってはいけない。本書の中で渡辺と加藤に共感できる箇所も少なくないかもしれないが、そもそも、天才とは常人には理解しがたい存在なのだから。
※週刊東洋経済 2020年5月30日号