HONZの基本は「ノンフィクション本」だ。だがこの小説だけはどうしても紹介したい。
いま、この文章を書いているのは2020年3月末。世界中が新型コロナウィルスによる感染症のパンデミックと戦っている真っ最中である。
この病気は、最初は普通の風邪の顔をしている。だからみな油断していた、見くびっていた。それゆえ対応が遅れた。
日々増えていく感染者の数。制限される生活。他人とは会うな、マスクをしろ、人込みには行くなと指示され、混乱した民衆は買いだめに走る。病気にかかった人は差別され、情報を求めた末にデマに踊らされる。
国境は閉鎖され戒厳令以上に外出は制約されていく。各地の医師たちは命がけで治療を続けているが、間に合わない地域が増加している。これがいま、地球上すべてで同時進行しているのだ。
桜は咲いても花見の宴会は自粛、舞台もライブも自粛自粛。いやはや、生きているうちにSF小説そのまま、いやフィクションでは到底考えつかない冷酷な現実を見ることになるとは思わなかった。
『人間に向いてない』の文庫が発売されるタイミングで、このパンデミックが起こったことに、因縁めいたものを感じてしまう。本書に描かれる「異形性変異症候群」という奇病が荒唐無稽なものだとは到底思えなくなってしまったのだ。
一夜のうちに人間を異形の姿にしてしまう奇病に罹った子どもと親や家族、そして社会の物語は現代版のカフカ『変身』を彷彿とさせる作品である。
数年前、突如として発生した「異形性変異症候群」別名ミュータント・シンドロームは感染症ではなく人にうつることはないが、一時的な症状ではなく治療法もない。
患者は特定の年代、十代後半から二十代の若者に集中しているが、罹患するのは専ら引きこもりやニートと呼ばれる層だ。彼らは一晩のうちに哺乳類やら魚類やら、爬虫類、昆虫、果ては植物にまで変貌を遂げ、見た目は非常にグロテスクな姿になる。
家族は発見後驚愕し、困惑したあとその姿を嫌悪する。食べ物も生活様式も全く変わってしまうため、世話を放棄する者はあとを絶たず、殺してしまうケースが多数報告されるようになった。困りに困った政府は以下の決定を下す。
―『異形性変異症候群』を致死性の病とする。
この診断が下された段階で患者は人間としては死亡したことにされるのだ。
主人公は田無美晴。専業主婦である。ある朝22歳になる引きこもり息子、優一が、中型犬ほどの蟻のように頑丈そうな顎を持ち、頭部から下は芋虫に似ており、ムカデのように無数の脚を持つ虫に変身しているのを発見された。
すぐに死亡届を出そうとする夫から息子を守るため、同じ病の子どもをもつ親たちと活動を始める。だがそれぞれの病状も事情も違う。人が集まれば派閥もでき、おのおのの思いが違っていく。母親の愛で子どもをどこまで守れるのだろう。美晴の葛藤が続く。
この小説を読み終わったとき、何かの読後感ととても似ていると感じていた。しばらく考えて思い至った。
北条民雄『いのちの初夜』だ。最初に読んだ小学校六年の時の衝撃に似ている。この時に私はハンセン病という病を初めて知り、国の政策で隔離され、家族から戸籍上抹殺された人々がいたのを学んだ。一晩眠れないほどのショックを受け、その後、この病気のことを夢中で調べたのだった。
ハンセン病を発病すると有無を言わさず隔離される。親兄弟から離され、子どもであっても容赦されず、病気撲滅のため男は断種され、妊娠した女性は堕胎を強いられた。自らが患者である北條民雄は『いのちの初夜』で隔離生活を描き、彼の人生を細やかに辿った高山文彦『火花ー北條民雄の生涯』は講談社ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞をW受賞した。その姿が『異形性変異症候群』で虫のようになってしまった優一と重なるのだ。
ハンセン病は感染力が弱く、1943年には治療薬も見つかっている。だが後遺症として容姿の変化が著しく、ひとめで元感染者であることがわかってしまう。日本ではその後もずっと隔離政策が取られ、「らい予防法」が廃止されたのは1996(平8)年、つい最近のことだ。長年隔離された患者たちは、高齢になった今でも療養所に暮らす人がいる。
ハンセン病隔離政策は、記録には残っても記憶からは消えて行ってしまうだろう。
『13ハンセン病療養所からの言葉』(トランスビュー)では日本に13か所残っている国立ハンセン療養所を撮影した写真集だ。カメラマンはタレントの石井正則。隔離の歴史を知りその「空気」を写真に収めてきたという。普通の路上やコンクリートの塀、平屋の住居が立ち並ぶ写真からでは、そこに何があるのか知らなければわからない。しかし、ここには確かに隠れて人が住んでいたのだ。
かつてのHIV感染者にも思いが及ぶ。エイズと名付けられたこの病気が発見された当時、同性愛者だけが罹る難病であると誰もが認識した。それだけに公表することも難しく、何も知らない家族に感染させてしまうことも珍しくなかった。
病気であれば治療法を確立させる必要がある。長い時間がかかったが、いまは病状をコントロールすることができ、感染予防が可能になったが、ハンセン病にしてもエイズにしても、病によって家族関係が壊されることは珍しいことではないのだ。
ましてや姿かたちが変わってしまえば、人は簡単に差別する。動物や虫、魚や植物になってしまった我が子を人間であったと信じられるだろうか。引きこもりなどで厄介者、お荷物になっていたとしたらなおさらだ。捨ててしまいたいと思う気持ちも理解できる。
現実でも引きこもりや家庭内暴力で悩んでいる人が多いことはたくさんの報道でも明らかだ。
『「子供を殺してください」という親たち』(新潮文庫)の著者の押川剛は「精神障害者移送サービス」という仕事に就いている。この引きこもりや家庭内暴力をふるう子どもを家族の代わりに諄々と説き伏せ、病院や施設に移送するという難しい仕事だ。
現代社会では部屋に閉じこもっていてもネットやラインで外とつながり生活することはできるようになった。だが親は外との繋がりを把握できず、犯罪に加担していたなどという事態も起こっている。実際「子供を殺してくれ」と依頼する親はいるそうだ。
ここ数年は高齢の親が中高年の引きこもりを面倒見なくてはならない「8050問題」が取りざたされている。親はどこまで子の面倒をみなくてはならないのか。『人間に向いてない』の大きなテーマの一つは、実はとても現実的な問題を提起している。
先に紹介したハンセン病の隔離政策のなかで、非常に印象的な一節に出会った。
『ハンセン病療養所に生きた女たち』(昭和堂)は療養所で医師として勤務してきた福西征子が、現場の実情を報告した器量な記録である。患者のひとりはこう語る。
― 親にしてみれば、療養所に入れた子供から、病気でない子供たちを守りたかったのだと思います。それ以外に方法がないと思って、心を鬼にして子供たちを引き離したのだと思います ―
そこにも親の愛があったと信じたい。
子供は親を選んで生まれてくるわけではないし。偶然出会った人と恋をしたり憎みあったり、結婚したり、友達になったりする。一人で生きているわけではない、とメタモルフォーゼ(変身)した子どもたちが一番感じていることかもしれない。
本書は第57回メフィスト賞受賞作である。この賞は既存の応募型新人賞とは少し毛色が違っている。明確な応募期間を設けず、雑誌「メフィスト」の編集者が直接読んで評価する。その昔にあった「持ち込み原稿」の方式に近いかもしれない。
現在では枚数の制限があるが、かつてはそれもなく、原稿用紙換算で約1400枚の清涼院流水『コズミック』や、約3500枚の高田大介『図書館の魔女』などが受賞した。編集者個人の好みが反映される作品が多く、マニアックな作品が出版されることも多い。
2019年に出版された第59回メフィスト賞受賞作、砥上裕將『僕は線を描く』は水墨画の世界に青春小説を重ねた物語で第17回本屋大賞にもノミネートされた。
メフィスト賞は決定後、恒例として編集者たちの座談会が開かれる。『人間に向いてない』は満場一致の受賞だったようで、編集者一人一人のコメントが熱い。
一番熱く語る「N」(注:編集者名)は「不条理な生活の中で、人間の闇に直面していく女性を丹念に描いていく物語です。私が一番いいなと思ったところが、最後に母親と息子が対峙する場面なんですけど、実は泣きました。人間が虫になっちゃう異形な現代ホラーなのに涙するってすごくないですか!?」と興奮気味だ。
また「子」(注:同)は「私、正直メフィスト賞でこれほど引き込まれた原稿というのは初めてかもしれないです。本当に力作です! まず、文章に非常に力がある。乾いているようでちょっとねっとりとしていて『辛い』や『後悔』の心情の吐露部分の描写など、圧巻です。冒頭からお母さん視点で話が進行していって、そのままラストまでかと思いきや……」
おっとここから先は小説を読んで驚いてほしい。
作者自身は受賞後のインタビューでこの小説を四文字熟語で例えると、という質問に「パッと思い浮かんだのは『魑魅魍魎』。もう少し真面目に答えると『因果応報』でしょうか。」と答えている。
ちなみに私が本書のコメントを依頼されて「覚悟して読みなさい。きっとあなたは三度嘔吐く」とコピーを付けた。嘔吐いても読みたくて泣ける小説なのだ。堪能してほしい。
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