2015年には全世界でのべ12億人が外国旅行をしたが、これは1950年の48倍に相当する数である。過去に3度の経済危機で海外旅行者は減ったことはあったが、今回のコロナ禍は、歴史に残る減少幅になるだろう。
多くの旅好きと同じように、このゴールデンウィークは旅行をする予定だった。柄でもなく、半年前もからどこに行こうか、思い巡らせていた。が、もちろん、すべて中止である。旅の本でも読んで我慢しようと思い、手に取ったところ、思わぬ副産物、副作用があった。
著者は20代から放浪の旅を始めた。夏場は新聞社でアルバイトして働き、11月1日はアエロフロートに乗る年間のサイクルにしたがっていた。1年のうち、かなりの時間を旅で過ごし、旅行誌も創った。今では4人の子どもの持つ父親であり、不定期に旅を続ける兼筋金入りの旅人である。意外にも著者の妻は旅をしない人で、社会のことを調べるために、場所を移動する必要もないし、本を読めば十分じゃないかと、旅する旦那に呆れているようだ。
旅をせずに本を読めば充分だ。そうすれば心の中で旅することができる。
著者の伴侶が旅する旦那に皮肉を込めて放ったこの一言が、コロナ禍の今、金言のように聞こえる。いっぽう、著者は妻の疑問に答えるべく、旅か、本か、著者は折衷案を考えた。きっと家庭内の紛争を調停するために。
過度に本好きの人たちと、過度に旅好きの人たちはともに種々の人生に接する。その結果、両者とも「そんなことはないだろう」というより「そういうこともあるだろう」と考えるようになっていく傾向がある
これが、旅の効用の一つであろう。スウェーデン人女性に恋したインド人男性が、スウェーデンまで自転車旅をして結婚する話は、著者のデビュー作であり、実話である。もちろん、本書にも、「そういうこともあるだろう」という信じられない旅のエピソードが登場する。
いっぽう、「旅の本の効用」というのもありそうだ。旅のエッセイ(本書)を読んでいると、いつの間にかうっとりして、目を閉じてしまう。忘却のかなたにあった旅先での触れ合い、道端での取り止めのない会話、車窓からの風景と下半身で受け止めた硬い椅子の感触、言葉が理解できないが故のアクシデント…旅の記憶が溢れ出てくる。「そういうこともあるだろう」と思った経験の数々、本書を読まなければ、一生思い出すこともなかったかのようなことばかりを思い出す。過去の旅の記憶にトリップする、メンタルタイムトラベルだ。
昔、聞いていた音楽を聞いていると、ありありと、その当時の情景が思い浮かんでくる、それはメンタルタイムトラベルが起こっているときである。映画館でうとうとし、気がつくと、スクリーンからはみ出して脳内で自分独自のストーリーが展開され、はっとする瞬間も近しい状態だろう。胡散臭い用語であるが、心理学の論文を漁ると、面白そうなものが発見できる。認知症の治療への応用だったり、想像上の友達を作る幼少期の研究との関係だったり、進化論的な観点から能力の重要性を語るものもある。
本書がメンタルタイムトラベルに誘い込む力が強い理由は、入り口にあたるタイトルが興味をそそられるものだからだ。その一部を紹介する。
2,「ここではない、どこか」という憧れ
7.カメのように、カタツムリのように
9.いったいなぜ、私たちは旅をするのか
15.人は旅で本当に変わるのか
16.旅と病の間
17.世界の不安と旅不足
旅の経験が豊富であれば、あるだけ、共感をし、時に反感をもち、味わい深く読めるだろう。たっぷりとある時間を使って旅した過去に思い巡らせ、これからの旅する未来を待ち望む。連休のアームチェアトリップのお供にどうぞ。
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作家・芸術家・哲学者の作品を通して、世界の素晴らしさを発見する。鉄道で旅をしながら、本を読んでいる表紙のイラストが旅の気分をそそる。
近所でお散歩する機会が増えている、今だからこそ読みたい本。書評はこちら
改めて読みたい。が、文庫は売り切れなので、Kindleで