私は暴力団を20年以上取材している。そのため暴力や犯罪に耐性が付き、暴力団をはじめ、周辺者たちを題材にしたノンフィクションにも食傷気味だ。正直、この分野にはやっつけ仕事の類似本が多く、本書も斜めに見ていた。軽いタイトルの印象もあって、実話誌によくある「面白おかしい、でもよくあるヤクザの姐さん話」と高を括っていた。
面白い物語ではあった。しかし、予想は完全に裏切られた。エピソードの迫力は段違いで、半笑いで読み飛ばせる話はほとんどない。極めて重厚、ハードな犯罪ノンフィクションといって差し支えない。
主人公はヤクザの家に生まれ、覚せい剤に溺れ、ギャングのボスになった女性である。覚せい剤を売買しながら自らもシャブを打ち、車の窃盗団の親玉となり、その配下たちはありとあらゆる犯罪に手を染めていた。
「『公園で木の実を拾うような感覚で、毎日、車泥棒をする』――そんな生活を順風満帆で送っていたギャングの日々でした」
さらりとした告白だが、なかなかの名台詞だ。
優雅な犯罪の毎日は、そう長くは続かない。違法を生業にしている以上、逮捕の危険は常にある。犯罪のプロフェッショナルとなり、大阪の裏社会で彼女の名前を知らないヤツはもぐり……とまで評された実力派の彼女にも、ツケを支払う時が来た。28歳の時、車両窃盗で逮捕された彼女は、覚せい剤事犯の執行猶予も重なって3年10月の拘禁生活を送ることになった。
刑務所という特別な〝大学〟に入っても、彼女は周囲とバトルを繰り返した。
「私も喧嘩の場数を踏んできた人間です。相手の目を見たらわかります。目が泳いでいる人や、オンドレ、スンドレ言いながら浪花節を語る者に大した人はいません」
本書は聞き書き――彼女の独白スタイルで書かれているため、独特の比喩や言い回しがそのまま文章に活かされている。素材をいじらず、ありのままを読者に伝えようとする筆者の狙いは、たしかに効果を発揮している。
その他、専門的(?)で分かりにくい表現もあるが、それらすべてには丁寧な注釈がある。筆者の廣末登は犯罪社会学を研究する学者であり、これまでの彼の作品は、読み物としてのノンフィクションというより、学術的手法で裏社会を分析した研究論文に近い。
聞き書きを重視する理由を、廣末は本書で以下のように説明している。
「私が取り組んでいる犯罪社会学という学問は、その構造や仕組みを研究するものです。そして、そのためには、当事者からの聞き取りは極めて大きなウエイトを占めています。どのような生い立ちで、どのような経験をすることで、どのような行動につながるのか。こうしたことは机上の空論では意味を持たないからです」
素材に手を加えず、余計な付け足しをしないぶん、アクはかなり強い。しかし、真面目に、真摯に、正確に、時間をかけて行われた犯罪人生の聞き書きは、既存の裏社会ノンフィクションとは別次元の迫力を生み出している。
娑婆と刑務所とを行き来する犯罪人生……彼女のワイルドサイドを一転させたのは、ヤクザとの結婚、そして妊娠だった。ヤクザの姐さん、言い換えれば暴力団組長の女房となることで、彼女は確実に更生した。反社会的勢力とまで呼ばれるようになった暴力団の関係者となるのは、一般常識でいえば悪に染まることだ。それがなぜ更生になるのか。本書を読めば、暴力団という社会悪の根源も見えてくる。
小説家・子母澤寛は、『「やくざ者」の読方』と題して、以下のように解説している。
「やくざ者は多くの場合無学です、従ってそこへ現れて来る姿は、人間そのものの正体ですから、事件が切端(※原文ママ)詰っていればいるだけに、ほろりとさせられるようなことが多いのだと思います」(『遊侠ものがたり』所収)
裏社会に咲いた愛の物語は、我々の日常を凝縮している。
(フリーライター、「波」2017年10月号より再録)