アスリートの引退時期を決めるのは難しい。
私の原稿は、気がつくとこんな書き出しになっていた。かつて沢木が、あるボクサーに執着して残した数多の文章の断片が澱のように私の中に漂っていたからだと思う。今回の原稿を書こうとしたとき、その澱がフワッと表面にあがってきた。
この本は、ある作家のファン50人が、その作家のおすすめの10冊を紹介した本である。本を列挙するだけでなく、思い入れたっぷりに原稿用紙10枚程度の文章を綴っている。50人のなかには、私のようなサラリーマンもいれば、名だたる書評家の方もいる。
そのフラット感たるや「さすが本の雑誌社だ」と、思わず感激してしまうほどだ。長崎の作家・佐藤正午が好きな私は、ちょうど私の前に掲載されている原稿を読ませていただいた。「このミス」で有名な三橋曉さんの文章だ。面白くて、一気読みしてしまった。
早速だが、私の10冊を列挙してしまおう。そうすることで皆様の本書への興味が薄れることはあるまい。むしろ選書の過程を交えて書くことは、皆様の関心に応えることだろう。
冒頭の言葉を受けて、私はまず『敗れざる者たち』『一瞬の夏』『春に散る』というボクシングものを紹介した。そして、私が海外のニュージャーナリズムを耽読する中で沢木と出会ったことを説明するために『若き実力者たち』をあげた。
その本には、その後に多数生み出される、沢木でなければ書けない人物ノンフィクションの萌芽がみられる。次に、その系譜から『檀』『凍』『キャパの十字架』を選んだ。そして私がどうしても締めにもってきたかった3作、沢木本人の内面を題材にした『深夜特急』『血の味』『無名』を最後に紹介させていただいた。
こうして振り返ると、原稿をまとめる過程でこの10冊になった、という表現が適切かもしれない。本書に掲載されている他の方々の原稿からも、好きな作家の作品から10冊を選ぶことの苦労が滲み出ていて、そこもまた本書の意地悪な読みどころの一つといえる。
実は、私が苦労した点がもう一つある。10冊の本の紹介を一つの原稿でまとめることの難しさだ。上記のように全体の流れをイメージして一度書き上げたのだが、あらためて読み直してみると、ブツ切りのパラグラフの羅列になっていたのである。
そこで、読み手の方に最後まで読んでいただくために、思い切って、私は一頭の馬を登場させることにした。その馬をもって、私と沢木の父との関係性の象徴とすることにしたのである。そんな工夫をしているのは、もちろん私だけじゃない。ぜひ本書を手に取って、そんな細部まで楽しんで欲しい。
ちなみに、高齢で骨折しながら調教師に現役続行を言い渡されたその馬は、前述のボクサー・カシアス内藤には決して訪れることがなかった「いつか」が、その後やってきた。地方競馬で3連勝を飾る、という栄光が待っていたのである。本書の原稿の後日談として、ここに記しておきたい。作家とファンとのつながりは、今日も続いていくのである。