本書は、人間が行う悪的な行動について、それがどのような原因によって引き起こされるのかを科学的に解き明かしていこうと試みる一冊である。悪を科学的に解き明かす──といっても、その前段階にある問い、悪とはいったい何なのか、というのがまず難しい問題だ。正義は人の数だけあるというけれど、それは悪にだって当てはまるからで、容易に誰かが悪であるとは言えないし、今多くの人が当たり前に行っていることが悪であると定義することだってできるだろう。
とはいえ、本書では悪とは何かについてそう深く踏み込むことはなく、いわゆるサイコパスの脳はどうなっているのかといった神経科学的側面からはじまって、精神障害と犯罪率の高さには相関があるのか? どのような時にネット上で攻撃性が発露されるのか? 小児性愛などの性的逸脱、レイプについてなど、多くの人がまず悪とみなすであろう他者への攻撃性の発露に関する悪に的を絞って、様々な実験結果と共に考えていくことになる。
注意しておきたいのは、これは悪の原因を脳内の構造や神経学に求めて、悪いやつらはもとから悪いのであって、自分たちとは違う、と切り離すような本ではないということだ。むしろ人間は誰しも悪事を犯す可能性があることを理解し、悪への共感を呼びかける内容になっている。
本書の目的は、情報を伝え、力を与えることだ。悪事につながるものを理解すれば、それと闘うことができるようになる。つまり、悪事をやめるように働きかけ、悪事を働こうとする自分自身の衝動と闘い、悪事をおこなった人たちの更生を支えられるようになる。しかし、自分がどんなものと立ち向かい、闘い、同情することになっても、互いから人間性を奪ってはいけない。
悪を理解する。
読んでいて面白かった実験をふたつ紹介してみよう。ひとつは「実は精神障害と犯罪の関連性は高くはない」ということ。精神障害を持つ犯罪者を対称とした研究によると、429件の犯罪を分類したところ、精神疾患と関係していたのは4%。双極性障害との関係が認められるのは10%。うつ病は3%だったという。つまり、精神障害と犯罪の関連性は高くはない。ただし、そこで話は終わりではなく、実は統合失調症やうつ病の人たちは薬物を常用したり問題のある飲酒をする人の割合が多く、この薬物乱用・飲酒の問題が暴力の危険因子となっているのだという。
精神疾患を持たないが薬物乱用者ではある人々と比較しても危険性については類似が見られることから、精神障害だけで暴力的傾向を強く示すことはないように思える。地味かもしれないが、こういった事例/実験をきちんと紹介していくことのなにが重要かと言えば、精神障害を持っているから何をするかわからず、何かひどいことをするのではないか、という根拠のない不安を解きほぐす役割があるからで、本書では全てにおいてこの態度(いわれなき「悪」とされがちな対象を解き明かすことで、何が本当の悪なのかを突き止める)が通底している。
荒らしは誰がやっているのか?
もうひとつおもしろかったのは、「荒らし」についての研究。ツイッターを見ていると無意味に攻撃的な人間の発言が目に入ってくるのでつらくなってくるのだが、一体どのような人がそうした発言をしているのだろうか。実験ではまず、簡単なクイズを出す被験者群と難しいクイズを出す被験者群の二つに分け、前者には回答終了後に良い成績で平均以上だったと褒め、後者には成績が悪く平均以下だったと伝える。何がしたいのかといえば、後者の機嫌を悪くするためだ。
で、その後被験者たちはオンライン討論会に参加させられる。そこでわかったのは、当たり前だろ感もあるが、機嫌の悪い被験者は機嫌の良い被験者よりも場を荒らすコメントをするということだ。討論の際に別の人が書いた場を荒らすコメントを読まされると、その傾向はより顕著になったという。『機嫌が悪い状態で否定的な文章を読まされた被験者の投稿のうち、六八パーセントが場を荒らすもので、それは機嫌がよい状態で肯定的な文章を読まされた被験者(三五パーセント)のほぼ二倍だった。人は実生活と同じくオンラインでも、不機嫌なときにまわりに嫌な奴らがいると、自分も嫌な奴になる可能性がかなり高くなるらしい』
要するに、ネットで攻撃的な言動をとっている人はやたらと機嫌が悪い、あるいは同時に同じような荒らしコメントを読みまくった後なのかもしれない。とはいえ──『誰でもオンラインでは嫌な人間になる可能性があるからといって、それが正当化されるわけではない。もしあなたがオフラインで嫌な奴でなければ、オンラインでもそんな奴になってはいけない。』というのも当たり前のことだ。著者はその方法として、オンラインで交流する相手の顔(想像上のものでもいい)を思い浮かべること、オンラインで投稿する時は、それがいつか法廷で陳述書として読み上げられと考えるべきだ、と二つの方法を語っている。シンプルだが、役に立つ助言であると思う。
おわりに
本書の内容のごく一部を紹介したが、他にも無数の問いかけがなされる。小児性愛者であることは生まれつきか。そうであるとして、何が犯罪者との境目を分けるのか。児童ポルノを見ている小児性愛者は、実際の性的虐待につながるのか(念の為書いておくと、繋がらない。児童ポルノ消費は小児・思春期性愛者であることを示す強力な指標ではあるが、被害者に共感できる人が子どもに性的虐待を加えることはまずない)、スタンフォード監獄実験などを通して、『人間を悪とみなすのは怠慢である。』からはじまる、悪について誰もが知るべき10の事実に至ってみせる。
ちと「誰しも悪事を働く可能性がある」という著者の主張に寄せるため、論拠の並べ方が恣意的であったり、強引な部分があってその点については注意が必要だけれども、根拠となる論文は全部明らかにされているし、紹介されている研究自体はまっとうなものだ。というわけで、悪について考え直したい人にはぜひおすすめしたい一冊である。