待ってました!敬愛する出口治明さんがこの本を出されると聞いて、まずそう思った。『全世界史』などで十二分に楽しませてもらった知的興奮をもう一度味わうために、これほどのテーマはあるまい。
しかし、ご恵送いただいて、しばらくは机の上に飾っていた。もったいないから、ではない。こういった本は一気に読むべきだと考えたからである。出口さんのことだから、一本の道筋にそった論理が展開されているはずだ。その息吹を感じるには、少しずつ読むより、一気読みが正しかろう。まる一日を読書にあてることのできる日を待った。
その間、心配がなかった訳ではない。読み出して難しすぎたら、一日では読み終われないではないか。せっかく待った意味がない。しかしそれは杞憂だった。冒頭の「今、哲学と宗教を学ぶ理由」から、最後に登場するレヴィ=ストロースまで一気に読み通すことができた。
想像をはるかに超えてわかりやすかった。難しい思想が易しくされすぎずに、腹落ちする言葉で語られていく。それぞれの各論が出口さんによってよく咀嚼され消化され、しかし養分は損なわずに与えられ続けたような感じだ。
巻末の参考図書は200冊を越える。いったい何人の歴史上の人物が登場するのだろう。このような本の場合、まず気になるのは、誰が選ばれているか、何が選ばれているのか、である。そこに著者の好みと考えが大きく反映される。
これほどまでにアンビシャスな本が出版されたことがあるのかどうかは知らない。しかし、あったとしても、このようなバランスの本にはならなかったのではないか。というのも、ヨーロッパ中心ではなく、中国の思想についての記述が「哲学と宗教」のフレームの中でかなり詳しく論じられているからだ。
人間の考える能力には限界がある。さらに、考える時には、ポジティブであるにせよネガティブにあるにせよ、先人の考えに影響を受けざるをえない。なので、取捨選択の次に気になるのは、それぞれの哲学や宗教相互のつながりである。言うまでもなく、そのあたりの関連性の説明も実にわかりやすかった。
出口さん的な解釈でしかない、といえばそれまでだ。しかし、十分に納得がいくもののなら、それ以上に望むことはない。それに、おかしいと思えば、自分なりにそういうふうに留保しておけばいいだけのことである。出口さんにそう伝えると、きっと「そうかもしれませんね」とっこり笑ってもらえるに違いない。
アリストテレスの四性質説と中国の陰陽五行説がよく似ているいうように、同じような考えが、そうとは知らずに時を隔てて繰り返されることがある、という指摘が面白い。こういった事実は驚くべきことなのか、あるいは、人間の脳という思考メカニズムの共通性からいくと、ある程度必然的と考えるべきことなのか。
全編、展開は縦横無尽、どころではない。そこに斜交いがいれられ、時には大きく飛躍する。やはり一気に読んでよかった。知的に脳みそを引きずり回してもらうためには、一日では無理としても、できるだけ短い時間に詰めて読むことをお勧めした。
ファンのひとりとしては、はたして出口さんはどのような考え方がお好きなのだろう、と思いを巡らせながら読むのが楽しかった。なんとなく、墨子、マルクス・アウレリウス、王安石、モンテーニュ、ヘーゲル、そしてレヴィ=ストロースあたりかという印象なのだが、どうだろう。宗教については、イスラム教に向けるまなざしがとてもやさしい。
結局、机に鎮座まします-あまりに重厚なので鎮座という言葉がぴったりだ-この本を一ヶ月ほど眺めていたことになる。読んでもいないうちから、レビューを書きたい気持ちがわいてきた。しかし、こんな壮大なテーマの本をレビューするには力不足ではないか。そう思っていた矢先、HONZに堀内努のレビューが出た。ハイブロウな内容で、いよいよ書きにくくなった。そして、いよいよ一日かけて読んだその翌日、刀根明日香のレビューが出た。
本書を読み終えたとき、やっとスタート地点に立てた気がした。
さすがは刀根明日香、これほど『哲学と宗教 全史』にふさわしいコメントはない。この本は、(たぶん)ほとんど物事を知らない刀根明日香から、おそらくは十分な知識を持った人にまで、新たに出発するための基準点をもたらしてくれる。
あまりに素晴らしいコメントに、もうレビューを書く必要はないか、と思った。が、同時に猛烈に書きたくなって書いている自分がいた。刀根明日香が書いたんやから、誰が書いてもええんや、という気もちょっとしたことを、正直に告白しておこう。
どの哲学もどの宗教も、その時代と場所の影響をうけて生まれてきたことがよくわかる。その「空気」のようなものを具現するように出現した場合もあれば、その「空気」に抗うべく出来したものもある。いずれにせよ、人間の考えることは、単に頭の中だけで出来上がるようなものではなく、外部の影響を大きくうけるということだ。
これからも、時代を反映した哲学や宗教が出てきて、広く受け入れられるようなことがあるのだろうか。もしそのようなものが出てくるとしたら、AIなどのテクノロジーが大きく世の中を変えた時かもしれない。しかし、どのような状況で、どのような新しい思想が生み出されたとしても、これまでに人類が培ってきた哲学と宗教は、人間の生き方に大きな影響を与え続けていくにちがいない。
うんと小さい話になるが、哲学者や宗教者ならずとも、自分の考えは、「空気」と共に先人たちの考えの影響をうけざるを得ない。そして、それは、自分の頭という小さな入れ物の中に詰め込めることのできる分量でしかない。哲学と宗教がどのような変遷を遂げてきたかをコンパクトに理解しておくことは、自分自身を知るための必要条件でもある。刀根明日香が言うように、この本は、必ずやあなたの新たな出発点なのである。
堀内勉のレビュー、刀根明日香のレビュー、
そして、この本を買ったのはどういう人たちなのか?も、
ぜひあわせてお読みください。