本書は、宇宙の始まりについての本である。宇宙の始まりといっても、意味は二つある。
一つは、無論我々が住むこの宇宙の始まりについて。基本的な同意が得られている部分としては、この宇宙はビッグバンによって始まったとされる。高温で高密度の閃光とともに極小の宇宙がまず産まれ、そこに時間と空間が生まれ、次いで物質が生じた。
生まれるのはいいが、なぜ宇宙は突然、指数関数的な膨張をはじめたのか? どのような速度で膨張し、今の巨大な宇宙に至るのか? を説明するために、ビッグバン理論を拡張するインフレーション・モデルがあるわけだが、その解明が進むうちに必然的にもう一つの問いかけ──宇宙の始まりの原理がわかるのなら、人為的に新しい宇宙もつくれるのでは?──が浮かび上がってくることになる。本書の「宇宙の始まり」という主題のもう一側面は、この「実験室で宇宙をつくるにはどうしたらいいの?」を描き出す点にある。これが、めっぽうおもしろい。
先にネタをバラしてしまうと、今はまだ実験室で宇宙を作ることは不可能だ。だが、そこに至る道筋自体は複数存在しており、実現可能性の高いものもある。かなり単純化した話にはなるが、高エネルギーの粒子を、磁気単極子(N極もしくはS極のみといった一方の磁荷だけを持つ粒子のことで、計算上はビッグバン直後にこれが大量に作られたと予測される)にぶつけることでインフレーション宇宙になることが示されている。なんだ、じゃあ磁気単極子と高エネルギー粒子の2つだけでできちゃうの?、と思うところだが、その二つを揃えるのが難しいのだ。
というのも、磁気単極子(モノポールともいう)はビッグバン時に大量に生成されたはずとはいえ、その直後の急激な膨張によって散り散りになったとみられ、一度も見つかっていない。また、高エネルギー状況を作り出すのも難しい。現在、高エネルギー物理実験を目的として作られた世界最大の加速器であるLHCを用いてなお足りず、必要なエネルギー量の莫大さを考えると、LHCの次世代でも無理かもしれず、今後50年ほどは難しいとされている。
だいたい、そんな宇宙なんかつくって我々の宇宙がどうなっちゃうわけ? インフレーションが起こって一気にでかくなってこの宇宙が飲み込まれちゃうんじゃないの? と心配になってくるが、なぜそうしたことが起こらないのか、仮に磁気単極子を高エネルギー条件下に置くことができたとして、どのような宇宙が生まれるのか──そもそも、新しい宇宙が生まれたとして、それをどうやって観測したらいいの? などの問題についても本書はきっちり紹介していってくれるので、安心いただきたい。
著者、構成について
本書の著者はフリージャーナリストのジーヤ・メラリで、彼女が「実験室で宇宙をつくる」関連の物理学者らにインタビューを重ねていく構成をとっている。この手の本でインタビュー本というと専門知識の妥当性に疑惑が湧くこともあるが、著者はケンブリッジ大学で理論物理学の修士、その後ブラウン大学で宇宙論の博士号を取得しており、専門的な知識のある人物である。
序盤はビッグバンやループ量子重力理論について、中盤から後半にかけてはインフレーション理論及びひも理論についてしっかりとした紹介が行われていくが、おもしろいのはインタビューの軸に「宗教」があることだ。その理由の一つは、著者自身が人格神を信じているということで、もう一つは宇宙を人為的に作りだす発想とその結果が、必然的に神を連想させるからでもある。
物理学と宗教について
え? そんな神を信じているようなやつらの話なの? と正直最初読みながら怯えてしまったが、出てくる議論は主に科学的な議論にのっとったもので、多くの場合はそのうえで科学ではまだ推察できない領域、可能性の部分について宗教面でのテーマが浮かび上がってくる。
たとえば、著者が最初に会いにいくカリフォルニア大学のアンソニー・ツェーは、この宇宙は宇宙外の知的存在により作られた可能性があることを示す論文を発表している人物だが、神を信じているわけではないと語る。ループ量子重力理論の研究者であるアシュテカーはヴィパッサーナ瞑想の熱心な実践者である東洋哲学徒であるし、スタンフォード大学のインフレーション宇宙の著名な研究者アンドレイ・リンデは、古代インド哲学に傾倒している。
彼らはときに、明確に物理学と反したことをいうが(リンデは文献からの引用で、人間の意識は神から分離したもので、あなたが死ねば全体の一部となる、と語る)、それらをきちんと科学的な考えとは切り離し、そのうえでなお捨てずに抱えているのが興味深い。物理学界において、そうした宗教的考えを持っていることは異端であり、できれば知られたくないことであるのは、こうした話を語ったあとに「わたしの評判を地に落とせるだけの材料を手に入れた」と付け加えられることからも明らかである。そうであるなら、そんな考えは放棄してしまえばいいのではと思うが、切り離せるものではないのである。『彼がわたしに語ったことは、本音の話なのだろうか? それとも、ほんの気まぐれに言ってみただけなのだろうか? わたしはその点を問い質した。するとリンデは、慎重に言葉を選びながら、「いや、単なる知的な遊びではないよ。こういうこともまた、わたしという人間の重要な一部だと思っている」と答えた。』
仮に実験室で宇宙がつくれるぞ、となった場合、福音派のキリスト教徒である物理学者の信仰を揺るがしはしないのか? と果敢に聞きにいったり、わりと著者が遠慮なく、信仰と学者としての世界観について、自分の中でどう整合性をつけているのか聞きにいくところは本書の読みどころのひとつだ。誰もがリンデのように矛盾を飲み込んでいられるわけではなく(リンデも完全にではないだろう)、各々の葛藤と、結論の出し方に、人間らしさが溢れている。
おわりに
無論、まだわかっていないことも多いが、我々の住まう宇宙は、どうやって生まれたのか? というしっかりと地に足のついた議論を進めるのと同時に、「実験室に、宇宙をつくる」というこの実現が可能かどうかすらもわからない可能性に邁進する人々の熱いドラマであり、その宗教観との兼ね合い、どのような宗教的葛藤があるのか、またはないのか? についてもわかる、たいへんに刺激的な一冊である。本記事ではどうやって実験室で宇宙つくるの? というその理論的な側面にはほとんど立ち入ってないので、ぜひ読んで確かめてみてね。