本書は、企業再生の専門家である経営共創基盤CEOの冨山和彦氏が、2003年の産業再生機構設立以来、長年に亘って取り組んできた日本企業の経営改革の集大成とも言うべき一冊である。
そして、本書の最大のポイントは、日本的経営の本丸である経団連トップの中西宏明会長(日立製作所会長)を対談相手として担ぎ出したことではないかと思う。なぜなら、経団連こそが日本企業が変わらないことの象徴であり、「ザ・サラリーマン」の最後の牙城だからである。
昨年6月の日経新聞に、「変わる経団連、変われぬ経団連 」と「経団連、この恐るべき同質集団」というコラムが掲載された。
同年5月に就任した中西会長と18人の副会長の経歴を調べたところ、①全員男性で女性ゼロ、②全員日本人で外国人ゼロ、③一番若い杉森副会長(JXTGエネルギー社長)が62歳、④全員転職経験なしで起業経験者ゼロ、⑤出身大学は東大12人、一橋大3人、京大、横浜国大、慶応大、早稲田大が各1人で、首都圏以外は山西副会長(三菱電機相談役)の京大がただ1人の「超同質集団」だという衝撃的な内容だった。
サラリーマンが上を向いて仕事をするのはある程度やむを得ない。上を向いて仕事をしないような人間は、そもそもサラリーマンにはならない。他方で、日本経済の大きな部分を支えているのが、経団連に見られるようなサラリーマン企業なのもまた事実である。そうだとすれば、上が変わらなければ企業や社会は変わらない。只、上が変わろうとしても、「殿、御乱心!」といって羽交い締めにされてしまうのが日本の伝統的企業である。何と言っても日本は良い意味でも悪い意味でもレジリエント(resilient)であり、梃子でも動かない復元力の強い社会だから。
だとすれば、日本企業を動かすには、冨山氏のように半分中で半分外、半分エスタブリッシュメントで半分アウトローのような変わったポジショニングをした人間が、組織を斜め横から押してあげなければならないのである。
それでは、なぜ日本企業は変わらなければならないのか。なぜ今のままではいけないのだろうか。それは、我々を取り巻く環境が急激に変化しているからである。いわゆる第4次産業革命、そして日本が提唱しているSociety5.0といった大きな経済・社会構造の変化の背景にあるのは、1990年前後から急速に進んだグローバリゼーションとデジタルトランスフォーメーションによって加速される、破壊的イノベーション時代の到来である。
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」というのは、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの言葉だと言われているが、日本企業は平成30年の長い眠りから覚めずに座して死を待つのか、或いは変化することで次の時代を生き延びていくのかという選択である。そして、それは決して今の経営者だけの問題ではなく、政府内での年金問題の混乱でも見られるように、これからの日本社会の行く末を左右する一大事なのである。
そして、今変わるべきこの時に日本企業の変化を阻んでいるのが、これまでの日本で強みとされてきた「同質性」と「連続性」である。
大企業の経営者には温厚かつ真面目で、社内の反応や世間の評判を気にする人が多く、大きな波風が立つような厳しい決断が求められる難しい局面で逡巡してしまう。意思決定の適時・的確性よりも関係者間の調和を優先し、できるだけリパーカッションが起きないよう問題を先送りしてしまう。そして社長ポストも順送りなので、自分の任期中は無難にやり過ごすというパターンを繰り返す。
このように、当座の平穏、顔立て、自己保身をしているうちに、敗戦と大リストラに追い込まれ、いよいよ最終局面になって、粉飾決算やデータ不正に手を染めてしまう。こうした言わば「不作為の暴走」の構図が、経営不振に陥る日本の大企業の根本病理である。
それでは、どのように日本的経営を正していけば良いのか。ただコーポレートガバナンスの先輩であるアメリカの真似をすれば良いのか。勿論、答えはノーである。エンロン事件やリーマンショック時の大手金融機関に見られたように、アメリカ企業の不祥事も後を絶たない。外資の傘下に入り、コーポレートガバナンスの優等生と思われた日産の惨状も周知の通りである。
他方、日本では、こうした会社の不正を正すことをガバナンスだと言う人がいるが、それも大きな間違いである。悪事を暴く検事の代わりに社外取締役を雇う訳ではない。守りのガバナンス、即ちコンプライアンスだけではなく、企業の持続的かつ長期的な成長を実現するための攻めのガバナンスこそが、コーポレートガバナンスの中核なのである。
上述したような企業を取り巻く予定調和を壊し、不作為の連鎖を断ち切るような人物がトップに選ばれる可能性が著しく低くなってしまうようなガバナンスのあり方こそが、どこかで道を誤ってしまった日本的経営の根本問題なのである。
今や企業の命運を決めるような出来事は、いつどこから降って湧いてくるか分からない。世界中で起きている多様で新しい事柄に対して強い好奇心を持つ一方で、自社とその周辺で起きている様々な出来事に常に気を配り、不確実な未来に向けて無数の意思決定を行なっていくのが社長の仕事である。そこでは、グローバルな普遍性を持った高度の人間性、タフネス、共感力、機動性、有能性を持ち合わせた人材が求められている。
そして、企業にとって最高の叡智が結集しているのは、社長を含む執行部門のトップと監督部門である取締役会のはずであり、そこは社内だけでなく社外の人たちの客観的な見方も導入して、時間とエネルギーを使って新しい時代を担う適任者を真剣に絞り込んでいく場でなければならない。
逆に言えば、社外取締役もこの重責に耐え得る人材でなければならない。指名委員会や報酬委員会が機能するかどうかは、形式ではなく社外取締役がどれだけ働いているかで決まる。もはや従来の延長線上で、実務経験のない弁護士や会計士や大学教授にとりあえず社外取締役をやってもらうという時代ではないのである。
こうした数々の不都合な真実を明らかにして、その処方箋を提示しているのが本書であり、現役のビジネスマンにとっては必読の書である。日本企業はいつまで経っても変わらないと思っていたら、いつの日か急に景色が変わってしまう可能性もないではない。
本書で一番読み応えがあるのは、二人の対談を総括した冨山氏による「おわりに」の部分で、ここだけ読んでも十分元が取れる。以前、HONZでも紹介した、冨山氏と早稲田大学の入山章栄教授が詳細な解説を書いている『両利きの経営 「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』と合わせて読んでもらえれば完璧である。