「難民」というと、ヨーロッパへと海を越えていく怒涛のごとき難民の写真や映像に驚いた記憶も生々しいが、実際は、9割がアフリカや中東など当事者の国の近隣国にいる。しかも、長期化が甚だしく、その年数の平均はなんと26年! 世界の難民の数は2500万人強、となると、どう考えればよいものか。その経済生活のリアルを、住みこみリサーチし、レポートしているのが本書だ。
とにかく、その平均年数には驚いた。
26年(2017年末、国連難民高等弁務官事務所=UNHCR統計)とは長い……つまり、国を追われて逃げ込んだ場所での生活の方が軸になっているのだ。ちなみに、2500万の受け皿になっている近隣国とは、350万人のトルコを筆頭に、パキスタン、ウガンダ、レバノン、イランが上位5カ国だそうだ(2017年時点)。全体の数は5年連続で増えている。
その大きな前提とともにこの本を読むと、「難民」の意味するところが変わってくる。
それをまずは知ろうと挑むのが、1970年生まれの著者の小俣直彦氏だ。大学卒業後、大手銀行に勤めるも、長年の夢をあきらめられず、退職して2004年にアメリカへ留学し、国連機関やNGOでアフリカの開発、難民支援の実務に携わり、後に研究者の道を目指す。ロンドン大学の開発学部の博士課程に進み、「難民の経済生活」のテーマに分け入る。その後2012年に論文を書き上げて博士課程を修了し、現在に至るまでオックスフォード大学国際開発学部難民研究センターの主任研究員として、東アフリカを中心に調査や後進の指導にあたっているという。
この2012年にまとめた博士論文で必須だったのが、独自の現地調査と調査データの取得だ。そのために赴いた現場は、リベリア難民のいるガーナのキャンプ、ブジュブラム難民キャンプ。ツテをたどって以前にボランティアをした経験があり、舞い戻ったのだ。
そもそもリベリア共和国は、アメリカ合衆国で解放されたアフリカ系の奴隷を入植させるために1847年に建国された。人口473万人(2017年)のこの小国は「事実上のアメリカの植民地」ともいえ、アメリカからの少数の入植者は、エリートとして独裁体制を敷いていく。
それに対して、1980年に軍事クーデターが起き、隣国を巻き込んで、第一次、第二次と2003年まで泥沼の内戦が続いた。およそ30万人の死者、20万人の難民を出す凄惨な内戦で、キャンプ設立から18年経ったリサーチ当時も、ブジュブラムには、そのうちの2万人が住んでいたという。
小俣氏は、2008年7月から2009年9月まで、キャンプ内の難民の家に家賃4000円(月額)で居候し、様々な境遇の難民たちにインタビューしていく。約束を反故にされたり時間を守ってもらえなかったりで、1日に話を聞ける数はそう多くはない。それでも一人の人間から丹念に聞き出すやり方で、質を求めたらしい。リサーチは13ヶ月、401日にも及んだ。本書はこの時の調査ノンフィクションといえるだろう。その2万人の中のそれぞれのドラマ、いわば難民リアルを描いているのだ。
長期化すると、当然ながら問題というのは複雑化する。
東日本大震災のときを思い出すとよくわかる。最初は「生きるため」の水や食糧など非常時のものが求められ、基本的なインフラを整えることが先決だ。ただ、その後は、それは足りているから衣類を、お風呂を、とニーズは多様化し、変わっていく。それが5年、10年経つとどうなるだろうか。
小俣さんが赴いた当時、設立から18年の時点で、援助機関が建てた学校や簡易クリニック、集会所などのほか、難民がつくりあげた商店街や数多くの教会、モスクに墓地までがキャンプにはあったという。
とはいえ、身分を証明する公式な書類はなく、唯一自分を証明できるのは、UNHCRとガーナ移民局が発行する難民登録カードのみ。銀行口座を開くことさえままならない。つまり、お金を借り入れて起業することは難しい。
頼みは海外の家族や親戚からの海外送金だ。ウェスタンユニオンという会社では、難民登録カードと送金者からの番号だけでお金を受け取れる仕組みがあり、開店時に通ったら長蛇の列だったとか。ニーズに応じたビジネスが、こうして生まれていく。
ただ、この海外送金が曲者で、貧富の差がそこから生まれ、それを受け取る女性のヒモになる男性も現れるし、時にお金を出さないと仲間外れにもされる。まさに人間社会の縮図だ。
その境遇から逃れる道はそう多くはない。自発的に難民が自国に戻る「本国帰還」、受入国に定住する「避難先定住」、第三国に定住する「第三国定住」のいずれかとなる。援助する側は、そのうちの「本国帰還」を最善の解決方法と考えるわけだが、本人たちは違う。海外送金で豊かな暮らしをする隣人を見ればやはり、所得の高い欧米(ダントツの人気はアメリカだそうだが)へのあこがれが募るのか、最後の選択肢「第三国定住」に希望を託すのだ。
人間は極限状態になるといろいろとやってみるものだ。多くの人は、欧米への足掛かりはないまま、世界への扉としてインターネットに目を向ける。
そこにシンデレラ・ガールが登場する。35歳のマーサだ。「美人と呼ぶ人は多くないと思う」と書かれる彼女に、友達づくりサイトでノルウェー人の恋人ができた。キャンプにまではるばるやってきた彼は、帰国後も月300ドルの援助をし、ついにはマーサとゴールイン。
このシンデレラストーリーが、難民の若年層にインターネットブームを起こすのだった……。ほかにもFacebookで知り合う場合もあるようだ。見知らぬ海外からの友達申請を受け取ったことがある人は多いと思うがもしや? などと考えてしまわないでもない。
とはいえ、そういった「スポンサー探し」は誰にでもできるわけではない。そこに現れるのがITコンサルタントだ。プロフィールや写真の載せ方、適したサイトの選択などノウハウを指導してくれるらしい。シンデレラのマーサも最初はコンサルタントに頼ったというから、ますますニーズが増えるというもの。
蛇足ながら、コンサルタントのひとり、アレックスのアドバイスはなかなかだ。女性向けに、実体験から彼が伝えたのはこんなものだ。
「絶対にプロフィールを偽るな。後で話が進んだ時に辻褄が合わなくなる」
「必ず写真をサイトに掲載しろ。だけど『普通』の写真にすること。妙にセクシーな写真だと、多くの人は警戒する」
「絶対に、最初から個人援助の話はしないこと。お金が目当てだと思われる。まずは信頼関係の構築に徹せよ」
というわけで、キャンプのインターネットカフェは大人気なのだった。
とはいえ「成功例」は非常に稀で、水を売って1日300円の収入で暮らすような層が多く、その捨てられた水のパックを拾って生計を立てようとするシングルマザーもいる。娯楽のないキャンプでは、他にすることがないせいか、若いうちに妊娠する女性が多く、相手の若い男性はいつのまにか姿を消すそうでシングルマザーが自ずと増える――。
悲惨な話には事欠かないのだが、それでいてどこかフラットなのは、書き手のキャラクターだろうか。一緒にインタビューをしている気持ちにさえなってくる。
反政府軍のゲリラや元少年兵が集まる危険地域に迷い込むも、NGO時代の知り合いに間一髪で救われてその後そこにインタビューに行くこともあれば、ガーナ政府の意のままになっているキャンプの代表者に不正について問いただすこともある。なけなしの貯金を切り崩しながら、時にトイレの悪臭に愚痴をこぼす。マラリアについてはベテランの域に達し、この調査中だけでも2回、おまけに腸チフスにまで罹患して七転八倒する――そんなすさまじい調査ライフ。
不思議なことに、読んでいるとその景色が浮かび、小俣さんのみならず、小俣さんに身の上を語るそれぞれの「難民」の境遇にさえ、いつのまにか親しみがわいていく。
国内で難民に会ったことのある人は少ないだろう。なにしろ日本が難民認定したのは42人(2017年)。UNHCRの長年の大きなドナー国だが、「鎖国政策」と呼ばれる厳しい難民受け入れ政策をとっている。だからこそ、むしろそんな日本に住む私たちには、世界を広げる格好の一冊だ。
ただ、小俣さんはこんな経験もしたそうだ。同居人のパントンとサムとの夕食の際に、「自殺」の話しになった。日本では3万人(2009年当時。2018年は20840人)の自殺者が出るというと、ふたりは驚愕したという。
「自殺する奴なんてここにはいないよ。だって俺たちは、本当に殺されそうになりながら、生きるためにキャンプまで逃げてきたんだから。ここにいるのは皆、心底“生きたい”って思っている連中ばかりだよ」
それでも生きることの意味とはなんだろう。
是非はこの本を読んでから考えることをお勧めする。
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この本のために「ひとり出版社」を立ち上げたという小鮒さんのこぶな書店。
オンラインストア「himaar online store」で購入可能とのこと。
書店では、紀伊國屋書店 新宿本店や八重洲ブックセンター 本店(4F)などで
取り扱いがあり、随時こぶな書店のサイトで確認できる。