「なんとかの危機」的な本はけっこう多い。執筆は専門家ではなくてジャーナリストだし、「煽り系」の本がまた出たかと思って読み始めた。しかし、まったく違っていた。生命科学研究におけるさまざまな問題点が、順を追って鋭く冷静に指摘されていく。
資料をまとめただけではない。そういった問題に関係するノーベル賞受賞者も含めた多くの研究者へのインタビューも満載だ。口はばったいことを言うようだが、日頃漠然と考えていたことがスッキリとまとめられていると感心した。そして、大きな衝撃をうけた。
まずは、ネイチャー誌に掲載されセンセーショナルな反響を引き起こしたレポートの話から始まる。企業では、新薬につながるアイデアをプロジェクトにする際、かならず追試がおこなわれる。でないと、巨額の研究費をドブに捨てることになりかねない。
世界最大のバイオテクノロジー企業・アムジェンに勤めていたベグリーは、画期的と判断したがん研究についての論文53報について再現性の検討をおこなった。その結果は驚くべきものであった。わずか6件しか再現できなかったのだ。しかし、ベグリーによって再現性がないと結論づけられた47報の論文のうち撤回されたものはひとつもない。
「イールームの法則 Eroom’s Law」をご存じだろうか。製薬業界では新薬開発コストが9年で倍々に増えている、すなわち効率が指数関数的に悪化している、という法則だ。有名な「半導体の集積率は18か月で2倍になる」というムーアの法則(Moore’s Law)とは真逆であることから、Mooreをさかさ読みにしてEroomと名付けられている。
これが、医薬品開発における「経済と歴史と科学の傾向の組み合わせ」の結果なのだ。驚くべきことに、がんの臨床試験の65~80%もが失敗に終わる。その失敗率の高さやイールームの法則の根本原因は「生物医学研究における厳密性の欠如」であるというのがこの本の主題である。
科学者が時間や税金を無駄にしているだけでなく、人を欺く基礎研究の研究結果が、病気の治療法の探索を実際に遅らせている
生命科学者たちの研究に対する姿勢こそが最大の問題だと厳しく批判されている。たとえば、『好奇心をそそる科学的発見の報告がなされると、科学者はすぐさま時流に乗る』ようなところ。ひとつの例としてあげられているのは、幹細胞の分化転換である。この研究は、当時、非常に近しいところで眺めていただけに、この論考に十分な説得力があることは保証できる。
今から20年ほど前、本来、血液細胞しか作らないはずの造血幹細胞が、神経や肝臓の細胞にも「分化転換」するという研究が報告された。常識では考えられない現象である。しかし、ではなくて、だから、多くの研究者がとびついた。だが、やはり常識は正しかった。ほとんどの研究はある種のアーチファクト(実験上生じた人工的な産物)であることが明らかにされたのだ。
にもかかわらず、そのテーマにしがみつき続ける研究者が何人もいた。そんなバカなことがあるのかと思われるかもしれない。しかし、それが現実なのだ。自分が取り組んできたテーマを放棄するのは、決してたやすいことではない。これは、誤った論文を出してしまっても、なかなか訂正しないというというのと同根である。
そうあるべきではないというのは正しい。しかし、同業者としては納得してしまうところもある。結局のところ、論文業績が研究費やポスト、名声に直結する。何年もかけて仕上げた研究成果が誤謬であったとわかったとしよう。その論文を取り消せば、その何年かが水泡に帰す。いや、それだけではすまない。誤った論文を出した研究者としてネガティブな烙印までおされてしまう。
そうならないように、完全に納得いくまで研究をしてから論文を出せばいいではないか、と思われるかもしれない。しごくごもっともな意見である。しかし、そうあるべきでないとはいえ、研究は競争だ。残念ながら、完璧をめざす研究者は、そこそこのデータで論文を出し続ける研究者に負けてしまうのが現実である。いったいどうすればいいというのだ。
他にもさまざまな問題がある。マウスでいくら効果があっても、それはあくまでもマウスでの話であって、ヒトでも同じかどうかはわからない。研究室で使われている細胞が、他の種類の細胞の混入であった例がいくつも紹介されている。そんな研究はもちろん信用できるはずがない。
特定の物質を認識する抗体は生命科学の研究において極めて重要なツールだ。抗体試薬の最大手、英国のアブカム社は10万種類以上の抗体を販売している。その会社が、数百の抗体について、本当に目的としている物質を認識しているかどうかを調べたところ、3~4割が違っていたという。何を認識しているかわからない抗体を使った実験など、あてにならないのは当然だ。
ここまでの問題は、難しいかもしれないが、ある程度は回避することが可能である。しかし、もっと根源的な、おそらくは解決不可能な問題もある。がんの転移に関係するある酵素についての研究が紹介されている。きちんとした論文250報を解析したところ、それぞれの論文の結果には大きな違いがあって、統一した結論を導きだせなかった。こうなれば、いったい何を信じればいいというのだ。
生命科学は大きく変わりつつある。その変化はビッグデータの解析によるものだ。なんとなくデータの数が増えれば正しい結論が出そうな気がする。しかし、それも甘いという。まず、多くの生命科学者は、そのようなビッグデータを扱う知識がない。恥ずかしながら、わたしもそのうちの一人だ。
それだけではない。ビッグデータの基礎には膨大なサンプルが必要であるが、標準化、すなわち、それらのサンプルを正しく採取、保存できるかどうかということが大きな問題だ。さらに、ビッグデータであっても、先の酵素の研究と同じように、似たような解析をしているにもかかわらず、異なった結論が出されることがある。
幾度となく、他の研究室でできるという実験を自分の研究室に導入できなかった経験がある。笑い話に聞こえるかもしれないが、そんな時は「(実験に使う)水がちがうからな」とか言って納得するのが常であった。従事している研究者の多くは、生命科学はそんなものだと思い込んでいる。あるいは、そのような教育をうけてきてしまっている。しかし、もはやそれでは済まされない。生命科学研究における厳密性を担保する必要がある。
・ 個々の科学者に研究のやり方を変えさせること
・ 論文掲載に関するインセンティブを変えさせること
・ 研究資金提供機関によりよい慣行を推進させること
・ 大学にこれらの問題を把握させること
きわめて論理的な考察から、これらのことが重要だと結論づけられている。ごもっともだ。しかし、そのどれ一つとして容易なことではない。
生命科学は再現性の問題からクライシスを迎えつつあるのではないか。当初、このようなテーマでの取材は困難だろうと予想していたという。しかし、実際には多くの研究者が快く応じてくれた。この事実こそ、研究者達自身がそのような危惧を抱いていることの証左ではあるまいか。
この本の第一章はPDFで「立ち読み」できめるようになっています。
研究不正もクライシスの大きな要因のひとつです。他分野に比べて再現性が低いため、生命科学分野では特に大きな問題になっています。この本、絶版になっていたのを、STAP細胞事件を契機に再販してもらえました。
岐阜大学元学長・黒木登志夫先生の力作です。『背信の科学者たち』に比べ、最近の事例や本邦の事例が多くとりあげられています。英訳版も出版される予定とのこと。
第46回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。『生命科学クライシス』は この「事件」のことも取り上げています。