性差別や憲法改正などについて積極的に発言している女性の議員や弁護士に対して、注文した覚えのない代引き商品が送りつけられるという嫌がらせが相次いでいる。
彼女たちは記者会見を開き、「女性の声を封じようという意図を感じる。嫌がらせには屈しない」と声を上げた。
こうしたことをする卑劣な人物は、どうやら政治に口を出す女性が嫌いらしい。残念ながら似たような考えの者が少なくないことは、酒場で聞こえてくる男たちの会話に耳を傾けているだけでわかる。
だが、ミソジニー(女性嫌悪)は、ある時から男社会に広まった価値観に過ぎない。
本書で紹介されているのは、18世紀後半から19世紀前半にかけての、フランス革命を挟んだ時代である。主人公はジェルメーヌ・ネッケル。後に結婚し「スタール夫人」と呼ばれたこの女性は、天下国家を論じ、独裁者ナポレオンをも脅かすほどの人物だった。
スタール夫人は「サロン」の存在を抜きにしては語れない。この時代、サロニエール(女主人)が自邸にさまざまな人を招いて歓待するサロンが活況を呈していた。もてなしのセンスがある主宰者のサロンは自然と評判を呼び、スタール夫人はその筆頭だった。
サロンは「自由の活力」と「貴族のエレガンス」が渾然一体となった空間である。サロニエールは、公的な事柄をめぐって刺々(とげとげ)しいやり取りになりがちな論争を和らげ、議論をより建設的な方向へと導く会話の術(すべ)を心得ていた。
ただ、当時のサロンを世論が生み出される公的な場所の一環として安易に位置付けてしまうことに、著者は注意を促す。「公」と「私」という二分法は、暗に「公共圏=政治=男性」vs.「親密圏=家庭=女性」という対立を前提としているからだ。
スタール夫人は、サロンのことを好んで「ソシエテ」と呼んでいたという。ソシエテとは、公共圏と親密圏の間にあるいわば中間領域であり、両者を媒介する「インターフェイス」だった。
男女の別なく自身の見解を自由に語ることができたサロンは、参政権のなかった女性の声を政治に反映させる回路としても機能していたのだ。
ところが政治的な影響力をもったサロンはナポレオンの独裁下で衰退していく。世論を喚起する本を次々に発表し「反独裁」の象徴となっていたスタール夫人にも、追放令が出された。
女性を公の場から排除し、家庭に押し込もうとする価値観が近代社会に組み込まれていくのはここからだ。
スタール夫人に代表される女主人のサロンが実現していたもの。それは自由な語らいが保証された空間だった。その根底にあったのは、「語られる言葉」に対する信頼である。
親密圏と公共圏をしなやかに行き来し、立場を異にする者同士を対話で結ぼうとして奮闘していたのが、女性だったという歴史的事実。このことから男たちは何かを学ぶべきではないだろうか。
いま女性たちが次々に声を上げている。進化の歴史が教えてくれるのは、環境の変化に適応できた生物だけが生き残ったという真理だ。鈍感な男たちは、自らが絶滅危惧種かもしれないことに気づいているだろうか?
※週刊東洋経済 2019年3月16日号