思い起こせば何人も「吃音」の人に出会っている。小学校の同級生、部活の仲間、会社の同僚、仕事先の担当者。だからと言って不快になることはなく、会話の仕方に気を付けるだけだった。彼らがこんなに悩んでいたということを全く知らなかった。
マリリン・モンローが吃音であることは、何かで読んだ記憶がある。セクシーなしゃべり方は吃音が関係していた可能性があるという。『英国王のスピーチ』という映画ではジョージ六世の吃音を治そうとする奮闘が描かれている。
吃音の障害を持つ人は国内に100万人いる。会話でのコミュニケーションがうまくいかないことで、自殺を考えるまで追いつめられる人がいることに驚かされた。
吃音者は言葉を発しようとすると喉の当たりが硬直してつっかかるという。「ぼく」と言おうとすると「ぼ、ぼ、ぼく」と一語が繰り返される「連発」、「ぼーーく」と伸ばす「伸発」、「……(ぼ)く」と出だしが出ない「難発」と症状は多様で、当事者は恐怖や不安が頭から離れず、深い苦悩に陥っていく。
本書では、重度の吃音者で、そのことを苦に自殺未遂まで起こした高橋啓太という男性の回復への過程を下敷きに、自らも吃音者であった言語聴覚士の挑戦や、大手企業のエンジニアの職を辞め障害者枠で新たな会社に就職した男性、吃音のため職場で居場所を失い自殺した看護師、などを丁寧に取材していく。
著者の近藤雄生もまた吃音者である。私が彼を知ったのは『遊牧夫婦』(ミシマ社)という旅行記だ。新婚直後から世界を“遊牧”するふたりの楽しそうな日々を羨ましいと思いながら読んでいた。だがこの遊牧生活は吃音が理由の一端だったのだ。
吃音のため就職を断念し、ライターとして最初に挑んだテーマが吃音のルポルタージュだった。驚いたことに2000年代に入っても吃音を治す方法は胡散臭いものが多かった。いくつかの“吃音矯正所”を取材すると、科学的根拠がはっきりせず弱みに付け込んだビジネスが横行していた。
その後、遊牧生活に入り中国でのある日、彼の吃音が劇的に改善する。理由はわからない。だが改善できることは実証できた。ならば他の吃音者はどうだろう。近藤の興味は吃音治療の歴史から当事者の現実に向き合う姿勢へと向いていった。
吃音でなくてもコミュニケーション障害に苦しむ人は多い。人間関係に悩む人にとって、解決のヒントを与えてくれる一冊ではないだろうか。(週刊新潮3月7日号より転載)
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HONZ初期メンバー高村和久のレビュー
思わず読み返してしまった2冊。重松清さんの帯のがぐっとくる。