徳間書店や幻冬舎にてエンターテインメント系小説でヒットを連発。今や大家となった浅田次郎に初めて単行本を書かせた男だ。帯には幻冬舎社長の見城徹が推薦文を寄せる。編集者の自伝となれば、熱い男を想像するだろうが、見事に期待を裏切ってくれる。
文芸の編集者と聞けば特殊な職業と思うかもしれないが、著者は営業マンと変わらないと語る。重要なのは志でなく部数。小説を作家と送り出すパートナーではあるが、売れ行きを度外視しても作家に寄り添うお人好しの伴走者ではない。
冒頭のシーンが象徴的だ。担当作家の直木賞受賞の発表を一緒に待ち構えていた編集者達が落選の通知とともに潮が引くように消える。その場にいた著者も最低限の役目は果たしたと、いつ立ち去るかのタイミングだけをうかがう。そこには、作家の人間性や文学性への尊重はない。商売だけで作家づきあいをしている身としては、朝まで作家と飲み続ける姿勢が信じられないとも言い切る。
ビジネスの世界ではヒット商品や新しいモノは既存の商品の組み合わせから生まれる場合が大半だ。編集者の仕事も変わらない。
世間では「敏腕編集者はどこからか才能を発掘する」ともっともらしく語られるが、著者は「芋じゃあるまいし」と一笑に付す。才能は埋まっていない、すでに転がっているのだと。書店に足繁く通い、本棚の前に立ち、一冊でも多くの本をめくる。気になる著者がいれば素早く連絡を取る。依頼が成功すれば、朝晩家に立ち寄り、原稿を書かせる。その積み重ねがヒット作を呼び込む。まさに営業マンと姿が重なる。
順調に編集者としてのキャリアを積んでいた著者だが、熱量を持つ人々と触れ合う中で、変化が訪れる。作家の「共犯者」でなく、「主犯」の顔を持つようになり、脱サラして、出版社を立ち上げる。起業後、いきなり資金繰りに窮するなど、出版業界の内情も含め、赤裸々に語られており、ここだけでも一読の価値がある。
資金がショートしないように本をひたすら出す。それでも回らなければスポンサーから金を引っ張ってくる。
吉野家に納豆定食を食べに行き、何も言わない著者に「それで、いくら足りない」とスポンサーが切り出す光景は、互いに早晩行きづまることが分かりながらも進むしかない零細企業の悲哀を映し出している。
もちろん、編集者の自伝だけに、作家の垣間見える素顔は貴重な証言だ。西村寿行の家を訪れる際には冷えた缶ビールを常に箱買いして行くとか、浅田次郎が著者からの依頼の電話を受け歓喜したとか、森村誠一の妻や宮崎学が会社を倒産させた著者に10万円を包んでくれたとか、生々しい箇所も少なくない。
ここ数年、サラリーマンの働き方が問われている。本書はそれを正面から論じた本ではないが、就職、転職、起業、倒産、そして再就職と実体験に基づく成功と失敗が濃縮されている。
熱すぎる豪快な男達を冷静に見つめる編集者の物語としてだけでも十分に楽しめるが、会社員が21世紀の今をいかに働くかを考えるヒントもちりばめられている。
※週刊東洋経済 2019年1/26号より