万一、日本に戻れたら、なによりもすき焼きを食べようと思った
フィリピンのジャングルでの壮絶な飢餓体験こそが中内㓛の原点だ。終戦後、米軍の生活物資を見てその豊富さに圧倒され、庶民が豊かになり、美味しいものをたらふく食べられるようになるには流通が重要だと痛感する。
『闘う商人 中内㓛 ダイエーは何を目指したのか』は、側近の一人であった小榑雅章から見た、ダイエーの創業者・中内㓛の実像だ。そこに描かれた男は、単なる猛烈商人などではない。例えば、我々が見慣れている日本型スーパーマーケットのシステム。それを編み出したのが中内であることを知る人は多くあるまい。極めて緻密な論理の人であったことが分かる。
信念の人でもあった。オイルショックや阪神大震災で、採算を度外視して商品を低価格で供給し続けたことは有名だ。しかし、ダイエーの出店でシャッター通りとなった商店街を歩きながら、「すまんなぁ、つらいなぁ」とつぶやくような男であったとは意外である。
会社が潰れても原理原則を守れ、という考えの人でもあった。ダイエーの業績が悪化していった理由はいくつもあるだろう。しかし、いちばん大きかったのは、中内の夢が叶い、みんながすき焼きをたらふく食べられるようになったことではないだろうか。時代というのは時に残酷だ。
松下幸之助は、水道水のように、廉価で良質なものを大量に供給することによって世の中を豊かにする「水道哲学」を唱えた。「よい品をどんどん安く」という中内ダイエーの創業理念と全く同じ発想である。しかし、製造者と流通業者という立場の違いが両者の間に大きな摩擦を引き起こす。安売りしようとするダイエーと、売らせまいと出荷停止した松下電器(現パナソニック)の間に、30年間にもわたる大戦争が勃発した。
京都の別邸に呼び「覇道をやめて、王道をすすんではどうか」と勧める幸之助。頷くことなく、ただ黙って退出する㓛。まるで戦国ドラマの一場面だ。
そのような仲ではあったが、松下の逝去に際し、中内は「水道哲学」に敬意を払い、礼節をもって「価格破壊の若き私にとって、乗り越えてゆくことを教えられた明治の人でした」との弔辞を、自らの手でしたためた。
中内の原点が飢餓ならば、松下の原点は赤貧だ。経営の神様の『松下幸之助 夢を育てる』は日本の起業家の伝記として出色、いや、ベストの一冊であると言ってもいいだろう。『あんぽん 孫正義伝』は、プロ野球のホークスを中内から引き継いだ孫の伝記である。ゼロから巨大企業を創り上げた製造の松下、流通の中内、情報の孫。時代の流れは面白くもある。
私はダイエー1号店と同じ年、同じ街の生まれで、中内㓛には妙な愛着を抱いてきた。そして、この本で、中内さんのことがいちだんと好きになった。
(日経ビジネス6月25日号から転載)
はたして松下幸之助を上回る起業家がでることがあるのだろうか。伝記読みには必読の一冊。
孫正義はいったいどこへ向かうのか。現在進行形のおもしろさがある。