無名人の留学記である。そんなもん誰が読むねん、というのが、とりあえず大多数の人たちにとっての率直な感想だろう。ごもっともである。
それ以前に、留学記というものが読まれなくなってきているような気がする。かつては、小澤征爾の『ボクの音楽武者修行』や藤原正彦の『若き数学者のアメリカ』といった名作があって、いまも文庫におさめられている。もしかすると、情報が少なく、外国生活へのあこがれが強かった時代こそのジャンルだったのだろうか。
まずは利益相反のディスクローズを。この本の著者、白井青子は内田樹先生の教え子で、ちょっと知り合いである。本を出しますからよろしくお願いしますといわれて、内田先生にも頼まれて、浮き世の義理でへいへいと適当に返事をしていたら、ゲラがドンと送られてきた。
製本されたものに比べると、A3の紙に印刷されただけのゲラはとっても読みにくい。所詮は義理だし、つまらんかったら途中でやめて裏をメモがわりに使えばええわと思いながら読み始めた。ところが、やたらと面白くて、最後まで一気読み。それだけではない、書いた本人はまったく意図していないんだろうけれど、幸せについてえらく教えられた気持ちになった。
内田先生は、この本の帯で、「青子ちゃんは若いのに珍しく『自分の文体』を持っています」、と絶賛しておられる。そう言われたら確かにそうだ。しかし、それ以上に感心したのは内容の爽やかさと豊かさである。たくさんのエピソードが綴られているのだが、ひとつひとつが、まるでアメリカの連続TV青春ドラマみたいな印象なのだ。タイトル「ハ~イ、セイコぉ!」みたいな。
ウィスコンシン州マディソンの語学学校に入学した青子ちゃんは、そこで出会ったいろいろな国からやってきたクラスメートたちのことが大好きだ。サウジアラビアのバツイチ女性・子持ち留学生ダラルとは不倫と宗教について深く語り合い、タイからやってきたパニカちゃんの恋愛の行く末を優しく見守ったりする。と思えば、メキシコとコロンビアからの若い留学生ふたりが、将来の夢を「世界平和」と口をそろえたことに自分の小ささを思い知る。
何十もあるエピソード、どれもに、あぁなるほど、そういうことってあるよなぁ、というほのぼの感がある。失礼ながら、青子ちゃんはたぶんあまり物事を知らない。だけれど、というより、それゆえに、自分の考えを素直に率直に出しながら行動する。そして、ひとつひとつの小さな会話やできごとから、さまざまなことを学んでいく。
読み終わった時、二年間の留学で大きく成長したんやなぁ、と、思わず誉めてあげたくなった。ある意味で、ビルドゥングスロマンになっているのだ。そう考えると、近年あまり流行らないとはいえ、留学記というのはかなり普遍性のあるジャンルかもしれない。
あえてここまで隠していたのだが、青子ちゃん、何歳くらいだと思われるだろう。おおかた二十歳過ぎくらいといったところだろうか。ぶっぶ~っ。ウィスコンシンへ行ったのが31歳の時。それも、ご主人である白井君の仕事の都合でついていっただけ。モチベーションはゼロで、まったく知らない街へという、ウルトラいきあたりばったりのアラサーだ。ええ加減と嗤うなかれ。それでも二年間でしっかり育ったからこそえらいのだ。ということにしておきたい。
もうひとつ内緒にしていたのだが、じつは留学中に男の子を産んでいる。初産であるし、ふつうなら、妊娠しましたと騒ぎ、出産しましたと大騒ぎするところだ。もちろん書いてはあるのだが、なんとなく、語学学校での日常に毛が生えたような書き方なのである。
初めての妊娠も、語学学校でのさまざまなできごとも、パリへ2ヶ月出かけたことも、大好きな先生が職を失いかけたことも、サンフランシスコで日本食を探し回ったことも、ちょっとロマンチックな経験をしたことも、映画に遅れそうになったことも、とっても痛かった出産も、どれもがフラットなのだ。白井青子、とんでもない大人物か、それともちょっと…
海外では大変なことがおきるだろう。それを悩むのではなく「面白がる」という態度で暮らしたほうがいいんじゃないか。そういった理由で、内田先生は、米国行きを不安がる白井青子に、月一でブログに日記を書くことを勧められた。幸い、大変というほどの出来事はおきなかった。あるいは、おきたけれども、文章化される段階で、淡々とした日常であったかのようにほどよく消化されている。どちらかはよくわからないが、透明感あふれる文章で軽やかに書かれたウィスコンシン渾身生活の内容は、なにしろ不思議におもしろい。
本人を知っているから面白いだけなのではないかと訝られるかもしれない。が、断じてそれは否定したい。そもそも、私が直接知るところの白井青子と、この本に出てくる白井青子のイメージがえらく違うのである。どちらが素敵であるかはあえて書かないでおく。本人に、本の感想ついでにそのことを伝えたら、読者ががっかりしたらいけないので、それは絶対に書いてくれるなと言われたから。って、ほとんど書いてるのといっしょですけど…
「学び、笑い、人生で最も楽しかったといって過言でない二年間を過ごすことができた」と、ウィスコンシン州マディソンに感謝する。「あらゆる国の人々が住み、それぞれがそれぞれの文化や歴史に敬意を払いながら、思い合い、助け合って生きてきた」街だからだという。それって、若き留学生が望む世界平和の理念そのものやんか。やっぱり成長してるやん。そして、もうひとつの理由がさらに素晴らしい。
寛容で、いい意味でルーズでカジュアル
これもマディソンについて書かれたことばである。しかし、これはマディソンという街にではなく、自分にこそ当てはまるのではないか。白井青子は、いつも友だちや周りの人に寛容である。そして日常生活は自然体、といえば聞こえがいいが、なんとなくルーズで(もちろんいい意味です)、そのフラット感はとてもカジュアルだ。
この三つがそろっていれば、ウィスコンシンである必要などありはしない。どこに住んでいても、楽しく幸せに生きることができるはずだ。う~ん、ちょっと気に入らんが、負うた子に教えられような気がする。白井青子さん、まいりました。
思わず周りの人に勧めたくなるこの本。こういった本があまりないだけに、正直なところ、その何ともいえない独特の魅力を伝えにくい。あえていえば、大昔の超ベストセラー、森村桂の『天国にいちばん近い島』みたいな感じだろうか。ともあれ、騙されたと思って、ぜひ読んでみてほしい。「寛容で、いい意味でルーズでカジュアル」これさえできれば、爽やかで朗らかに暮らすのはそう難しくない。そんな気持ちが湧いてきて、きっとあなたも幸せになれる。
あの小澤征爾、若かりし頃の留学記。ワクワクします。
藤原先生にだって若いころがあったのだ。