けったいなおっさんである。大阪駅から環状線で一駅目の福島駅近くにある、知る人ぞ知るフレンチレストラン『ミチノ・ル・トゥールビヨン』のオーナーシェフだ。つむじ風を意味する店名トゥールビヨンに込められているように、旋風をおこしたいと常にたくらんでいるおっさんが本を出した。
本の作りもけったいである。まず、表紙が普通じゃない。料理人の本なら、それらしいポーズをとるとか、料理の写真を出したらどうや。ところが、である。60をいくつか越えた金髪のおっさんが苦悶するかのような表情で写っている。おかしいやろ。こんな表紙の料理本、誰も買わへんぞ。しかし、読み進めるうちに、この本にはこの写真しかないわ、という気になっていく。
2000円もするのにペーパーバックというのも異例だろう。しかし、本のデザインはバツグンで、数々の料理写真は見事に美しい。実はこの本、博物館のデジタル展示コンテンツの制作やプログラム開発、美術館のカタログ製作などを手がける有限会社マーズが作った本なのだ。それなら頷ける。ある意味、ミチノシェフが創った料理の展覧会カタログでもあるのだから。
料理写真のアングルはすごい。工夫が全くないか、むちゃくちゃあるかのどちらかだ。というのも、どれも真上からの撮り下ろしなのだ。ごまかしがきかない。その数37、当然のことながらどれもが凄まじく美味しそうに写っている。そして、展覧会カタログのように、それぞれに書き下ろしの解説がつけられている。しかし、その内容は一般的な料理本とはひと味違っている。
レシピのようなことはごく簡単にしか書かれていない。そのかわり、どうしてその料理を考え出したか、どうしてその食材を選び出したか、そして、お客さんの反応がどうだったか、などが詳しく、そして人間らしく書かれている。どんな味かは想像するしかない。
「料理みたいなもん、なんぼ説明聞いても、写真見てもあきませんわ。食べてみなわかるはずないやないですか」と語るミチノシェフの声が聞こえてくるようだ。
素直に誉めるのはちょっと気が進まないのだが、このおっさんの作るものは文句なしに旨い。しっかり食べた感があって、しばらくたっても明確に味を思い出すことができる。素人意見だが、単に美味しかったという料理とは一線を画しているのである。どうしてなんやろうか、と思っていたが、この本を読んでよくわかった。ほんとうに考え抜かれているのだ。たとえばこの料理。
「牛蒡のピューレと牛すじ肉のクレープ包み、ブルーチーズとグレープフルーツのサラダ」、名前が長い。しかし、それには訳がある。その基本となる思考図には、直方体や楕円が描かれている。味やら食感やら温度やらが直方体を形作り、楕円を成して無限となる。長い長い思考と試行の末に結実したのがこの料理なのだ。短い名前で表しきれるものではない。
料理だけでない。この本にはけったいな料理人の人生がエッセイとして濃厚に詰め込まれている。成績か素行、あるいは両方が悪かったのだろう、エスカレーター式にあがれるはずの大学への進学が認められなかった。しかし、純粋な若者だった。人生をいかに生きるべきかを考えようと、同志社大学の神学部に進む。残念ながら、それでもよくわからなかった。普通は、自分が悪いとかもっと勉強しようと思うところだろうが、ミチノ青年は違った。
神学部出身者として最もふさわしくない仕事についたらわかるようになるかもしれないと考えたのである。尋常ではない思考回路だ。しかし、その考えに従って料理人の道を歩み始める。まともにナイフすら使ったことがなかったのに、料理学校へも通わずに京都の有名フレンチの門を敲く。まったく訳がわからない。そんなおっさんが『料理人という生き方』などという本を出したのだから、料理界にとっては迷惑なことかもしれない。
7年間修業を積んだ後に意気揚々と渡仏し、三つ星シェフ・ロワゾーの店で勤め始めるも、数ヶ月で失意のうちに去ることに。他の店に移り、苦労と努力を重ねて帰国、大阪の有名店でスー・シェフを勤め、大阪・北摂の地で『ミチノ・ル・トゥールビヨン』を開業し、一世を風靡するほどの名声を得る。そして今日にいたる。
では、すこしも面白くない。実際には、開業16年後、新しい旋風を巻き起こそうと、野菜フレンチのレストラン『レザール・サンテ!』へと模様替えした。しかし、まったく受けいれられることなく大失敗で、死んだ方がましとまで思いつめるどん底状態に。幸いにも、お客さんの一人が手をさしのべてくれ、3年後に現在の地に元の店名で開業したのが2009年のことである。
この本が、あなたの勇気になりますように
ぼくは悲しみという川を泣きながらではなくて、
微笑みながら渡ろうと思います
人はなりたいものになれる
鷲田清一先生の『折々のことば』に出てくるようなかっこいい言葉が散りばめられているエッセイ。その内容はじつにさまざまだ。修業時代の苦労、師匠ロワゾーへのオマージュ、料理の哲学、幻の魚イトウ釣り、料理人になろうとした時ただひとり理解してくれた先生、病気で死にかけた話、愛する妻と子どもたち、関西の有名シェフたちが集ってくれた感動の還暦パーティー、玉川奈々福さんの大ファンで浪曲にとりつかれていること、などなど。
こう書くとえらくスマートな本かと思われるかもしれない。たしかに、料理の写真はおしゃれだし、ひとつひとつのエッセイは珠玉の短編小説のようだ。しかし、通して読んだ印象は全く違う。義理人情、師弟愛、絶頂と奈落、友情、家族愛、そして破天荒。どう考えても、ミチノシェフが愛する浪花節のストーリーそのものだ。なんなんや、このおっさんの振幅の大きさは…
紹介される最後の料理は「昆布じめにした宇和島の鹿、ハマグリの出汁で煮たキャベツ」である。フレンチとは思えない、まるで和食のような料理だ。この料理への思い入れはことのほか強い。
見た目はあまりに地味です。まるで流れに逆らっています。でも、理論的には隙がありません。そして実際、ここには豊穣といえる味わいがあります。
これがぼくの料理です。そして、これまでの集大成でありスタート地点です。
道野正。64歳、金髪。名のごとく、道を正しく生きてきた。
その男が創る料理には己の人生がぎっしりと詰めこまれている。
あなたも一度、そんな料理を食べてみたいと思いませんか?
そして、勇気をわけてもらいたいと思いませんか?
その前に、まずはこの本を。
* 写真は mars biblio のご提供です。
** この本、現時点では、Amazon と熊本の長崎書店上通店のみでの取り扱いです。
個性あふれる50人の料理人を愛情たっぷりに描いた好著。ミチノ・ル・トゥールビヨンは栄えあるトップバッターとして紹介されています。
大阪の食を語らせたらとってもうるさい、だんじりエディター・江弘毅。ミチノ・ル・トゥールビヨンも、もちろん「いっとかなあかん店」のひとつとして取りあげられています。