本書の原書は、2014年9月にアメリカで刊行されたOn Immunity: An Inoculationである。著者のユーラ・ビスはノースウェスタン大学でライティングを教えている文筆家だ。これまでの著書に、The Balloonists およびNotes from No Man’s Land: AmericanEssays がある。後者はアメリカにおける人種と人種に基づくアイデンティティをテーマにしたエッセイで、全米批評家協会賞を受賞した。彼女のエッセイは、『ビリーバー』『ハーパーズ』『ニューヨーク・タイムズ』などの媒体にも掲載されている。
近ごろアメリカでは、自分の子にあえて小児ワクチンを接種させない母親が増えていて、麻疹が突発的に流行するような事態が生じている。そうした母親のおおよそのプロフィールは、白人で高学歴、社会経済的に恵まれた女性だ。1970年代後半に生まれたユーラ・ビスはまさにそのプロフィールにあてはまる。
ここからは私の想像だが、彼女は子を産むまでは主体的な人生を送ってきたことだろう。だれかに命じられるまま生きたり、流されるように生きたりするのではなく、自ら情報収集をして理知的に選択する生き方をしてきたに違いない。妊娠したとわかったとき、医療介入を前提とする病院での出産ではなく、助産院での「自然」出産をしようと決めたのも、きっとそんな選択のひとつだったのだろう。そして彼女は予防接種についても調べておこうと思い立った│おそらく、いつものように自ら情報収集して理知的な選択をするつもりで。ところが、その先に待っていたのは出口のない迷路だった。
出産後、彼女の生き方は一変する。子育ては毎日がギャンブルだ。親として決めなければならないことは山ほどある。だが、あるリスクを避けるために選ぶ決断には、かならず別のリスク(または未知のリスク)がついてくる。わが子の命と健康を預かるという責任の大きさに比べ、そのためにコントロールできる部分はあまりに小さい。彼女はそんな子育てのなか、母親同士でさまざまに議論したワクチンと免疫について、疑問を持ち、研究論文を読み、取材し、講義を受け、考察を深めていく。ワクチンに対する不安を歴史的な観点と、現代社会の観点から分析し、それが何を意味するのかを、言語(メタファー)や文学作品、時事問題に探す。
ひとりの母親としての率直な心情の吐露と鋭い社会批評がブレンドされた本書は、著者本人によれば同じような立場にある母親たちに向けて書いたとのことだが、ふたを開けてみれば、母親たちにとどまらない幅広い層の読者を得た。グレイウルフ社という独立系の小さな出版社から刊行されたこのエッセイは、アメリカの主要紙・主要雑誌の2014年度ベストブック10に軒並みに選ばれた(『ニューヨーク・タイムズ・ブック・レビュー』『エンターテイメント・ウィークリー』『シカゴ・トリビューン』『パブリシャーズ・ウィークリー』『タイムアウト・ニューヨーク』など)。
この本はいろいろな読まれ方をされるだろうし、またいろいろな読まれ方をされるべき本でもあるので、先入観なしに読んでもらいたいとは思ったが、なぜアメリカでこれほど受容されたかについてはやはり押さえておいたほうがいいだろう。あくまで私の印象だが、ポイントはふたつあるように感じた。ひとつは、社会経済的に恵まれた母親たちがなぜワクチンを怖がるのかについて、これまでになく深い分析をしている点。もうひとつは、人は互いに依存し合っている存在で、個人が健康であるためにはコミュニティが健康であらねばならないという真理を、ほんわかスピリチュアルに説くのではなく、科学と哲学からしっかり説いている点だ。
たとえば『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評にはこんなふうに書かれている。「この本は私たちに、個人の自立が幻想であること、だれもがみな相互依存のネットワークに組みこまれていることに気づかせる。これは単に、コミュニティを大事にしましょうというような甘ったるい話ではない。輸血や臓器移植が現に稼働しているという厳然たる事実に基づいている。私たちは他者のおかげで生かされ、他者の命に責任を負っている」
ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグも、本書を「読むべき本」として取り上げた。ザッカーバーグは自身のFacebookに、「一部の人がなぜワクチンを疑問視しているのか、この本を読んでよくわかった。そしてその疑問に確たる根拠がないこと、ワクチンが有効で安全であることを確認できた」と書いている。ゲイツは、自身の財団で長年ワクチン開発を支援してきたにもかかわらず、ワクチンについての自分の理解はまだまだ浅かったと認め、ワクチンに対する不安を単なる無知や非科学的な態度だと片づけてはならない、とブログに書いている。
2018年2月 訳者