「話し上手は聞き上手」などとよく言われるが、物事の本質の多くは、その行為の内部ではなく外側に潜んでいる。生物学の分野に今、急速に訪れている変革も、それと近いものがあるだろう。
生物の研究者ならずとも、「人間とは何か」ということを深く理解したいと願うのが人間の常だ。だがここで重要になってくるのは、理解するとは何かということの定義である。
かつてリチャード・ファインマンはこう言った。
自分で作れないものを、私は理解していない。
この実に工学的な思考が、2000年以降の生物学を席巻しており、それが新しい分野として結実し始めているのだ。本書は今、最も勢いのある科学分野と言われる「合成生物学」の最前線を、毎日新聞科学環境部記者・須田桃子氏の取材により様々な角度から描き出した一冊である。
合成生物学の大きな流れの一翼を担ってきたのは、トム・ナイトやドリュー・エンディといったMITの工学者たちである。生物学を「工学化」するーーそのようなコンセプトで彼らが夢見たのは、伝統的な生物学を掘り下げることではなく、トランジスタやシリコンチップに代えてDNA配列と細菌を用い、「生物マシン」を作るということであった。
特に工学的なアプローチとしての特徴が顕著なのは、バイオブリックという規格を作り出したことにある。後にそれはiGEMという、世界中から若い才能とアイデアが集まり、技術と課題を共有できる場へと発展した。このような協業のプラットフォームを作り出したことが、今後のWEB的な広がりを予感させるのだ。
一方、もう一つの流れとして向こうを張るのが、ヒトゲノムを解読したことでも知られる孤高の科学者クレイグ・ベンターである。クレイグ・ベンターは、かつてNIHという恵まれた研究環境を飛び出すと、たった一人で自らのアイデアを実現する理想の研究所を設立し、誰にも真似できない実行力とリーダーシップでその道を開いてきた人物だ。
この人物を今なおレジェンドに押し上げているのは、ヒトゲノムを解読するより前の段階から、人工生命体「ミニマル・セル」を創り出すプロジェクトに着手していたからである。2017年末現在、一から化学合成したゲノムを持つ微生物の作製に成功しているのは、世界中でクレイグ・ベンターの研究チームだけなのだ。
この2つの流れを追うだけで十分に役者の揃った感じもするが、さすがに最もホットと言われるだけの領域、これだけでは収まらない。ゲノムを読むことから、書くことへという大きな変化の中で、CRISPRーCas9という技術が急速に台頭し、「編集すること」への注目が大きく集まってきたためだ。
本書の中で詳しく紹介されているのが、「遺伝子ドライブ」と呼ばれる現象だ。遺伝子の中には、特に生存に有利な特徴を与えるわけではないのに、50%を上回るの確率で子孫に受け継がれていくものがある。この現象を応用すれば、特定の形質を野生集団で効率的に広めていくことが可能になり、たとえばマラリアを媒介する蚊のような野外の生体個体群を人為的に改変することも可能になるのだ。
これを提案したのが、現在MITメディア・ラボに所属するケビン・エスベルト。彼は幅広い分野を把握しているジェネラリストであり、だからこそ、このアイディアに到達しえたのだという。
しかしこの破壊的な技術に注目が集まっているのは、天使なのか、悪魔なのか、未だ判別のできない両義性を保持していることにも要因がある。実験室での事故が予想もつかない自然環境の変化をもたらすだけではなく、今後、生物兵器へ転用される危険性も持ち合わせているのだ。
ヒトゲノムの合成計画のような、この先どうなっていくかという展望の話とは違い、遺伝子ドライブについては、今まさに何が起こっているのかという話である。さらに不安を煽るのは、国防総省内の「DARPA」という機関が研究資金を元手に、合成生物学の領域に影響力を与えているという事実だ。
ここから著者は、DARPAの研究マネジメントのメカニズムを明らかにし、直接その場所へ赴き取材を行う。投げかける質問は辛辣だ。「研究プログラムの立案に軍部の人は関与するのか?」「研究プロジェクトは、生物戦の防衛にどのように関連しているのか?」「機密研究はないのか?」
本書の話題は多岐に渡るが、それぞれの要素をつなぎ合わせているのは、著者の取材力と言えるだろう。あらゆる対象者に「何が目的なのか」「なぜそれをやりたいのか」といった研究の原動力となるものを何度も問いかけ、答えを引き出していく。それが合成生物学に関わる人たちのキャラクター相関図のように提示され、この先のストーリーが読み手自身の頭の中で勝手に動き出していくような印象を受けた。
人間の理性が科学を生み出し、その科学が技術やテクノロジーを生み出すーーそんな時代もあったのかもしれない。しかし今、合成生物学の領域においては、テクノロジーが欲望を生み出し、その欲望が科学を生み出しているのだ。我々の運命やいかに。