世界で一番読まれている本は、おそらく聖書だろう。本書は古代オリエント世界で栄えた都市を旅しながら、歴史が聖書にどのような影響を与えたかを記した一般向けの啓蒙書である。少しでも聖書に興味がある人には是非とも読んで欲しい1冊だ。
著者の旅は、フェニキア人の都市、ビュブロスから始まる。バイブルの語源となった町だ。次は、エルサレムの神殿建設を担った南方のティルス。ビュブロスの北方に位置する大交易都市国家、ウガリトの主神エルはヤハウェのモデルになったという説もあるが、もしそうなら世界を席巻したセム的一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)はこの港湾都市で生まれたことになる。
ヨナ書の舞台、アッシリアの首都ニネヴェ。そして、破壊と邪悪のシンボルであり続けたバビロン。バベルの塔もバビロンに擬して語られる。エルサレムが破壊されユダヤの人々がバビロンに捕囚民として連行されたので、バビロンが憎悪の対象となるのは当然だ。しかし、旧約聖書が文書の体裁をとり始めたのはバビロンの町においてのことだった。
バビロン捕囚はペルシアのキュロス大王によって終わりを告げた。預言者イザヤはキュロスをメシア(救い主)として歓迎した。ここからメシアを待望する観念が生まれ、イエスに結びついていく。ヨハネの黙示録で終末の決戦の場として選ばれたのは、要衝の地メギド(アルマドゲン)。パウロは、ギリシア(アテネ)の先哲の著作に多くを依っていた。
アレクサンドリアで聖書はヘブライ語からギリシア語に翻訳されたが(70人訳聖書)、ここで様々な問題が生じた。モーゼの渡った「葦の海」が「紅海」、イザヤ書の「若い女性」が「処女」と訳されたのである。キリスト教の根幹を成す処女降誕は誤訳から生まれたのかも知れないのだ。
エルサレムはいかにして聖都になったのか、イエスはなぜロバに乗って入場したのか。エルサレムのユダヤ教の聖地、西の壁では、紙切れに願い事を書いて壁のすき間に差し込むという伝統があるが、現代ではツイッターなどで代行してくれる。こうしたエピソードの数々が本書を読み易いものにしている。
クムランの洞窟で発見された死海写本は、聖書の無謬性に終止符を打った。聖書の本文は変遷を遂げてきたのである。ベツレヘムで生まれたイエスが、なぜナザレのイエスと呼ばれるのか。旅の最後はローマ。旧約、新約聖書の正典化の作業は4世紀末まで続いたが、そうであれば、この時代の都、コンスタンティノープルで終わるという選択肢があったのかもしれない。ともあれ、このようにして今日の聖書が完成したのである。