双子研究を筆頭に、遺伝子が我々の身体的特徴だけではなくIQや統合失調症などの病気といった数々の要因に深く関連していることがわかってきている。が、そうであるならば遺伝子についての知見を深めることによって政策レベルで活かす──介入したほうがいい人間には介入し、そうでない人間には介入しない──というような形の、オーダーメイド政策はありえるのか。
たとえば、受け継がれた遺伝子的な差異こそが社会的不平等の第一の駆動力なのだろうか。現在の機会均等は主に”勉強ができること”によってもたらされているが、そもそもその能力に生来から違いがあるのだとしたらそれはどれ程の不平等につながっているのか。もしそれが明らかになれば、より適切な平等へ向けて歩み出すことができるかもしれない。これは見方によっては危険な考え方だけれども、本書はそんな領域へと果敢に踏み込んでいく刺激的な一冊だ。
しかしわれわれ{本書の著者二人}は目を見開いてこの探求の領域に入り込む。実際、不平等の遺伝学がこの本の主なテーマだ。具体的には、分子遺伝学の情報を社会科学的探求に組み込むことが、不平等や社会経済的成果(個人でも国全体でも)についての議論にどう役立つかを考える。
ゲノムで社会の謎を解くと勇ましい書名もついているが、わかっていることは多くないのが現状だ。たとえば統合失調症についての遺伝しやすさの推定は80パーセントを超えていたが、DNAデータを使った研究ではかなり低い3パーセントのような推定を出すものもある。そういった”わかった”と思っていたことも、意外と確かではないことが明らかにされていき、”謎を解く”というよりかは、”そもそも何が謎なのか”といったところから、遺伝子と社会の関係性が明らかにされていく。産まれたばかりの分野だからこそ、その探求はひたすらにエキサイティングである。
取り上げられていく疑問は無数にあるが、一部を紹介すると次のようになる。優秀な人間は優秀な人間と交配することで、能力は時が経つにつれ偏っていくのか? 人種による遺伝的な差異はどの程度か? 栄えている国と衰退する国に関連する要因の一つとして、遺伝子は寄与しているのか? 遺伝子と環境の相互作用によって我々の能力や病気は発現することが近年分かってきたが、どのような環境と遺伝子が合わさった時に特定の効果が出るかを明らかにすることはできるのだろうか? などなど、遺伝学について現状わかっていることを整理し、問題を浮かび上がらせ、仮説を提示し、多くの推測をめぐらせることで社会ゲノム科学革命の道を歩んでいく。
一部を紹介する
本書ではまず第2章「遺伝率の耐久性」で、当たり前に行われてきた双子研究の検証の難しさ──二卵性の双子の遺伝子は50パーセント共通していることを前提としているが、両親がそもそも遺伝的にいくらか似ている場合、遺伝子の類似性は50パーセントよりも大きくなり前提と計算が崩れる──などを取り上げていく。また、遺伝子と病気や能力の結びつきは単純な関係性にあるものはごくごく少数で、ほとんどは多くの遺伝子が関連しあって表現型へと結びつくなど、ようは”遺伝子とその発現を関連付けるのは現時点ではまだまだむずかしいよ”という話が続く。
が、ここではそこについては深く踏み込まずに、上記で紹介した問いかけの一部を細かくみていこう。まず「優秀な人間は優秀な人間と交配することで、能力は時間が経つにつれて偏っていくのか?」だけれども、これはいかにもありそうな話だ。大学卒の男性は、大学卒の女性と結婚する可能性が高く、教育、職業、所得が似通った二人が結婚し、その背後にある遺伝子型がかけあわされていくと、子供にもそうした形質が受け継がれていくのではないだろうか。確かに、遺伝子の特徴は配偶者同士でいくらかの相関はある一方、実は子供は平均に回帰していく。
つまり、どんどん優秀になっていく子供は遺伝子的には存在しないことになる。なので、我々がそうと意識せずとも遺伝子格差社会に位置づけられているというのは(少なくとも遺伝子を観る限りでは)なさそうだが、学歴についての配偶者間の類似は20世紀前半と後半では後半の方が高い(配偶者の教育水準に大きな格差が生まれている)という事実もあり、気になる。『配偶者は確かにある程度遺伝子的に似ているが、類似性が増す傾向はない。すると、多くの学者があると言っている学歴による選別の増加は、環境側について起きているという結論になるかもしれない。』
また、より大きな話としては、ヒトの集団遺伝学という考え方/分野によって、経済発展/停滞が予測できるかもしれないとする研究も紹介されていく。産まれたばかりの分野で確かなことは少ないが、たとえば諸国内部の遺伝子の多様性が所得を高め、成長曲線をよくする「ちょうどよい」水準があることを示した研究もある。ようは遺伝的多様性が高すぎても低すぎてもダメで、その中間でなければいけないというのだが、もしこの確度が高まっていった場合、国家はそうした状態を保つように行動すべきなのか──といった難しい問いかけも生み出すことになる。
遺伝学的情報による社会政策の実現の是非
ゲノムについてのより詳細なデータが集まれば、支援が大きな効果を上げる子供と上げない子供の差もわかってくることだろう。その時、たとえば低体重児のうちどの遺伝子を持つ子が追加の医療で利益を得られ、どの子がそうでないのかがわかるのであれば、それを使うべきなのだろうか。経時的ストレスはすべての親をキレやすくするが、中でも一部の遺伝子変異体を持つ親は経済的ストレスのある時期に、子供にどなったりたたいたりする傾向を大きく高めることがわかっている。それがあらかじめわかっている時、政策はそこに介入すべきなのだろうか。
これから先、自分の遺伝子が持つ将来的な意味についての情報はより増していくが、その時点で対策がうてない病気について状況が悪いことを知らせるべきなのだろうか(ハンチントン病のリスクがある人々にそれを伝えると、大学を出る率が半分になったという)。遺伝子をめぐる状況は変化が激しく、我々の思考や政策はまだそこに追いついていないのが現状だ。本書はそうした状況にたった一つの解を与えるものではないけれども、どのような考え方がありえるのかを一通り網羅していってくれる。本書は、”次の世界”を考えるうえで、外せない視点を持った一冊だ。
遺伝子についてはシッダールタ・ムカジーによる名著『遺伝子‐親密なる人類史‐』が翻訳刊行されたばかりなので、合わせて読みたいところ。仲野徹の解説はこちら