リチャード・ロイド・パリーの新刊である。そう聞いただけでピンときた人はよほどのノンフィクション好きか、あるいはHONZファンであろうか。英《ザ・タイムズ》誌アジア編集長、東京支局長でもある著者は前作『黒い迷宮』で2000年におきた英国人女性ルーシー・ブラックマンさん殺害事件を追い、日本の歓楽街の闇の一面を見事に描き出した。HONZでも話題騒然となり内藤編集長が著者インタビューを敢行している。
そんな彼が今回題材に選んだのが東日本大震災。それも釜谷地区という小さな集落でおきていた、ある「悲劇」に焦点を当てながら、日本にとって戦後最大の危機であった、あの災害を丹念に取材し描き出していく。
東日本大震災では様々な出来事が極めて複層的に起きているため、震災直後から現場に急行し、現地に留まりながら取材を重ねている著者は、常に焦点が定まらないような感覚に襲われていたという。そんなとき、宮城県石巻市にある釜谷地区の大川という小学校で震災の中でも、とりわけ悲惨な事件が起きていたことを知る。
釜谷にある大川小学校には当時108人の生徒が在籍していた。学校のすぐ側を流れる北最上川を逆流するかたちで津波が襲来したときに、学校にいた児童は78人、教員が11人。うち74人の児童と10人の教員が津波にのまれて死亡するという事件が起きたのだ。東日本大震災では多くの子供たちが犠牲になっているが、学校の管轄下に置かれた状況で死亡した児童の数は75人。つまり、学校で亡くなった児童のほとんどが、この大川小学校の児童という事だ。
海から離れていた大川小学校に津波が押し寄せたのは地震発生から1時間近くたってから。しかも校舎の裏には、低学年の生徒でも上ることが可能な緩やかな勾配の小高い裏山がある。地震発生後、しばらくしてから広報車などが津波の襲来を告げてまわっていたので、十分に避難する事が可能な状況であった。それにもかかわらず、いったいなぜ、このような悲劇は起きたのか。大川小学校では何が起きていたのか。著者は犠牲になった児童の家族らと親交を深めながら、悲劇の全貌を解明して行く。
紫桃(しとう)さよみさん、今野ひとみさん、平塚なおみさん、物語はこの3人の母親を中心に進んでいく。3人とも大川小学校に通う子供たちの親だ。彼女たちが安否のわからない子供たちを待ち続ける焦燥感と生徒たちのほとんどが津波に飲まれ、生存が絶望視された際の苦しみは、読んでいて辛くなる記述の連続だ。特に遺体がなかなか見つからないために、子供たちの死と折り合いが付けられず、苦しむ家族の葛藤は読んでいて胸がえぐられるようだ。
11歳の紫桃千聖ちゃんと今野大輔君の遺体は比較的すぐに見つかる。千聖ちゃんは臨時の遺体安置所になっている高校の体育館に寝かされていた。泥に覆われた娘をさよみさんは丹念にタオルで拭う。泥は口にも、鼻にも入り込んでいた。持っていたタオルでは体を拭いきれず、さよみさんは自らの服でさらに娘の体を拭う。眼に入り込んだ泥を拭おうとしたときには、拭くものがなくなっていた。水もないので、彼女は舌で舐めて眼の泥を洗い落としたという。しかし眼の泥は搔き出しても搔き出してもとめどなく出てきた。
今野ひとみさんはほぼ同じ時期に、息子の大輔君を筆頭に5人の家族遺体と面会する。夫以外の全ての家族を失ったのだ。大輔君の遺体は血の涙を流していたという。生き残った児童から、息子の大輔が、津波が来るので早く山に逃げよう、と教師達に提案していた事を知る。しかし、教師たちは大輔君を叱り飛ばしていたというのだ。なぜこん事になったのか。ほかの遺族たちも疑問を持ち始める。他の学校でほとんど死者が出ていないのに、なぜ大川小学校だけがこんな惨状に陥ったのか。
疑惑を大きくしたのが当日現場にいた11人の教師で唯一の生き残った、遠藤純二教諭の行動だ。彼は震災3日目に今野ひとみさんに目撃されて以来、音信不通の状態であった。家族、警察官、自衛隊からなる捜索隊に加わることも、遺族の前に出てきて当日の出来事を説明する事もなかった。さらに震災当時、休暇を取っていたために難を逃れた校長も、捜索現場に来ることは稀で、姿を見せても捜索活動には加わらず、校内で金庫などの貴重品を必死に探していたという。保護者たちの怒りと不信は頂点に達し、市の教育委員会が主催する説明会が開かれることに。
二時間半に及んだ説明会は不明瞭な点が多く遺族の怒りを静めることにはならなかった。しかし、震災以後、姿をくらましていた遠藤教諭が初めて、理論整然と当日の出来事を説明した。これで一通り当日の状況だけは明らかになった。そう考える事もできた。だが、遠藤教諭の説明が真っ赤な嘘であった事が、その後すぐに明らかになる。遺族たちの怒りはさらに激しさを増し、何度となく教育委員会は説明会を行う。そのたびに教育委員会の説明は二転三転する。そして遠藤教諭はPTSDという医師の診断書を盾にして公の場から再び姿を消してしまう。
教育委員会に対する怒りの追求が続く中、次第に遺族の間に対立が発生する。日本社会、特に東北地方に根強く残る、目立つ行動は控え、苦しい時も声高に感情や不平を叫ぶ事をよしとしない風潮が、遺族たちの行動に影を落とす。紫桃さよみさんら、福地地区の遺族の多くは津波の被害を一切受けておらず、何人かのお子さんを亡くしただけで、他の家族や財産は無傷である。彼女のような恵まれた状況の人たちが声高に行政を非難する事に、嫌悪感をあらわにする、遺族たちも出てくる。平塚なおみさんは自身も教師であるという立場と、娘の遺体がいつまでも見つからず、その死と向き合うことができないという精神状態のために「福地のひとたち」に対する不信感と怒りを募らせる。その他にも被災者同士で復興のあり方などで多くの対立があったことを著者は丹念に取材していく。
著者は組織と個人の責任を回避する事で汲々とし、不誠実な対応を取り続けた、教育委員のメンバーを痛烈に批判しつつも、彼らの別の一面にも光を当てる。彼らは自分たちも被災しながら、津波が引いた直後から危険を顧みず管轄内の学校に急行し、情報収集を行い、必要な支持を学校側に伝達していたのだ。職員の多くが財産や家族を失いながらも休日返上、24時間体勢で業務に当たっていた。もし、大川小学校の悲劇と、その責任を逃れるための嘘がなければ、彼らは英雄と言っていい働きをしていたのも確かなのだ。これも未曾有の災害の中で人々が見せる複層的な出来事の断片であろう。
さらに本書では、この大川小学校の事件以外にもう1つの視点軸がある。それは震災以後、被災地各地で頻発する幽霊の目撃談だ。といっても、本書は真面目なノンフィクションでありオカルト物ではない。心霊現象の中心人物である僧侶で祈祷師の金田住職は、幽霊の目撃者は幽霊を見ているのではないと、はっきりと断言する。幽霊の目撃者たちはトラウマを抱えているのだ。幽霊のも目撃談は多くが家庭内のトラブルが原因なのだと説明する。著者はこの視点から我慢を美徳とし必要以上に声を上げることをよしとしない日本の文化が生み出す光と闇にも焦点をあてる。そして、過剰な忍耐と我慢の精神が、やがて政治的な去勢へと繋がっていくのではないか、実はそれこそが、日本の抱える閉塞感の正体の一断片のひとつではないかと考察していくのである。