量子力学との出会いは大学2年生の春。恐れ知らずにも物理学を専攻しはじめていた私は、この科目の講義を楽しみにしていた。「シュレーディンガーの猫」(…生きていて、なおかつ死んでいる猫?)や「トンネル効果」(…物体が壁をすり抜ける現象?)など何やらミステリアスな量子力学について、ついに理解するときがきた! しかし何度か講義に出たあたりから、期待は幻滅に変わっていく。数式の扱いは習ったし、宿題も何とかこなした。でも肝心な「不思議さ」については何も理解できてない。なぜ粒子(あるいは猫)は、観測をしただけで状態を変えたりするのか? 先生は「受け入れるしかありません」という。周りの友人たちも、「なぜ」にこだわり続けるのは未熟だといわんばかりに、「慣れる」ことを競っている。何か釈然としない思いだけが残る……。
最近では「量子コンピュータ」への注目などから、量子力学が話題に上ることも多くなった。けれど、それが100年近い歴史をもつ理論であること、にもかかわらずプロの物理学者(の多く)にとっても「奇妙さ」は解消されていないことは、それほど知られていないかもしれない。専門家も「もやもや」しているというのは意外かもしれないが、『量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ』(リンドリー著、青土社、新装版)、『量子論はなぜわかりにくいのか』(吉田伸夫著、技術評論社)といったポピュラー・サイエンス書がここ数年の間にも出続けているのは、量子力学がいまだに「奇妙」で「わかりにくい」と思われている証拠だろう。
その後入社した森北出版(……ご存じない方が多いと思いますが、理工系の専門書出版社です)でも、量子力学との因縁は細々と続くことになる。編集で携わった「半導体デバイス」や「量子情報工学」の本のなかで、量子力学が基礎理論として扱われていたからだ。でも、こうした工学書ではあくまでそれは「道具」であって、「不思議さ」についてはノータッチ。私のなかの消化不良はそのまま残った。量子力学、結局わからなかったなあ……。
そんなときに「QBism」に出会う。『日経サイエンス』2013年7月号で紹介されているのを読み、衝撃を受けた。QBismは量子力学の新しい「解釈」だそうで、いままでのパラドックスを解決する可能性があるという! 後日、記事の著者であるフォン・バイヤー博士が本を出したことを知り、当社からの翻訳出版が実現。訳者として量子力学関連の科学書を多く訳されている翻訳家の松浦俊輔さん、解説者として量子論基礎の気鋭研究者である木村元(きむら・げん)先生をお迎えすることが叶った。
QBism(「きゅーびずむ」、Qビズム、QBイズムとも)の要点は、量子力学に出てくる確率を「主観的確率(ベイズ確率)」とみなすことにある。「量子×ベイズ」だけでピンと来る方もいるかもしれないが、そうでない方も、「量子力学とは」「ベイズ確率とは」から説き起こした本書を読めば、その心がおわかりいただけるはずだ。そしてQBismの含意は量子力学にとどまらず、科学そのもののイメージ――観測者がいなくても成り立つ法則を見つけるという「客観的な科学」のイメージ――を一変させるパワーも併せもつ。フォン・バイヤー博士は本書にて、そんな「キュービスト(=QBism主義者)的な世界観」をのびのびと描いてみせている。
ただし、これで量子力学の奇妙さは本当に解消できたのかというと、QBismの創始者とメールのやり取りも重ねて書かれた解説(力作!)によれば、残念ながらそうではないとのこと。QBismは、量子力学の不思議さを解消するための確かな一歩には違いないが、まだまだ道半ばだという。それでも、量子力学を「受け入れて慣れる」以外の選択肢があって、しかもこんなに大胆な「新解釈」が出てくる余地があるのだというのは、かつて量子力学で挫折した身としてはとても勇気づけられることだった。量子の原理を駆使した最先端デバイスの開発などに光が当たる一方で、理論の根本的な解釈にも変革が起こりつつあることを、多くの方に知ってもらえればと思う。
本書は、量子力学に興味をもちはじめたばかりの人から、バリバリ量子力学を使っているプロの物理学者まで、広く楽しんでいただけるはず。個人的には、学生のころ量子力学の手ほどきをしてくれた教授たち、そしてともに学んだ同級生たちの感想をぜひ聞いてみたい。量子力学、いまこんなことになっていますよ!
森北出版・丸山隆一