ブロックチェーンとは何かを正確に理解するのは難しい。ブロックチェーンとビットコインやイーサリアムの関係、ビットコインというのは一般名称なのか固有名詞なのか、電子マネーと仮想通貨の違いは何なのかなど、個々に考えてみるとよく分からないことだらけである。
冷静になってみればそれも当然で、ブロックチェーンは生まれたての技術であり、AI(人工知能)と同じように、評価が定まらないだけに、過大評価されたり誤解されたりもしている。
そもそも、ブロックチェーン技術を発明した「サトシ・ナカモト」なる人物が特定の個人なのか、或いはグループの名前なのかさえ分かっていない。最近では、数学の超難問「ABC問題」を証明したと言われて大騒ぎになっている、京都大学の望月新一教授が開発したという説まで出ているほどである。
私のような文系人間にとっては、ブロックチェーンの技術的な細部よりも、その全体構造やそれが人類の未来にどう関わっているのかの方に関心がある。そもそも、ITリテラシーが低い人にとっては、技術的なことを細かく説明されても、結局のところ何を言っているのか分からないので。
そうした中で、先日、Mistletoe社長の孫泰蔵氏がFacebookに『今世界で最もホットで、最もエキサイティングな、新しい時代を創っている子たちに会った』というタイトルで、イーサリアムを生み出した23才の若き天才、ヴィタリク・ブテリンと話したことを興奮気味にアップしていて、そこに本書が紹介されていたので、直ぐに購入して読んでみた。
読み始めて直ぐに、この本のタイトル「信用の新世紀」と「ブロックチェーン後の未来」の意味するところが理解できた。ここには、ブロックチェーンの技術的な解説と同時に、ブロックチェーンによって世界がどう変わるかの未来像が示されている。
そして、特に重要なのは、今流通している法定通貨がデジタル通貨に置き換わるという単純な話ではなく、我々が寄って立つ貨幣経済とその前提にあるマネーそのものが急速に衰退していくことが予見されていることである。
私自身、ここ数年間、資本主義の研究を続けてきた。そして今、資本主義というのは、市場経済と貨幣が結び付いて発生した現在社会を支える経済のOS(オペレーティングシステム)であり、そのOSが経済活動のみならず、政治や社会活動全ての前提になってしまった点に問題があると認識している。その中核にあるマネーの力は増しこそすれ、衰えることを知らないから、それをどう制御するか、どう社会に循環させていくかが最大の課題だと考えている。
ところが、著者によれば、元々、貨幣というのは物々交換を容易にする手段として生み出されたのではなく、信用に基づく取引が最初にあって、その後にそれを補助する手段として貨幣が生まれたのだと言う。
そして、物々交換という経済システムは、人類史上かつて存在したことはなく、ブロックチェーン技術によって、人類は初めて広範囲な物々交換を実現できるのだというのが本書のポイントである。
下図にある通り、贈与というのは、親が赤ん坊を育てる時のように、元々、人類の基本的なシステムとして存在しており、贈与抜きに社会は成り立ち得ない。そして、その次に来るのが信用のシステムであり、それを補完するのが貨幣だと言う。
これらに対して、物々交換は極めて限定された世界でしか成り立たないため、実際の取引は、常に信用取引として行われてきた。そして、取引の背後にある信用をユニバーサルなものとして担保し、未来のシステムとして真の意味での物々交換を可能にするのが、ブロックチェーン技術なのである。
著者はこうしたアイデアについて、人類学者デヴィッド・グレーバーの『負債論』からヒントを得たと言っている。ここには、「わたしたちが最初に学ぶことはそもそも仮想貨幣など新しくもなんともないということである。実のところ、それこそが貨幣の原型だったのだから」と書かれている。
つまり、ここでの「仮想貨幣」とは、銀行券なども含む信用に基づく貨幣のことであり、貨幣は、金貨・銀貨などの硬貨としてではなく、まず信用貨幣の形で人類史に登場したというのである。
その上で著者は、真の意味での物々交換が成立した暁には、貨幣そのものが消滅してしまい、それに伴って、銀行という機能も当然のように消滅することになると言う。つまり、金融というのは「経済の貨幣的側面」であり、今後、デジタル技術のインパクトを真正面から受けて貨幣が衰退すれば、金融が衰退するのも明らかだという訳である。
ここで改めて、ブロックチェーンとは何なのかという最初の議論に戻ると、著者はその本質を、「特定の主体がシステムの運用を担うことのない」ように、「空中に約束を固定すること」だと言っている。つまり、誰にも改ざんできず、特定の誰にも管理されていない証拠を、誰にでも見ることができるような形で残す方法ということである。
従って、ブロックチェーンの対象は貨幣だけに限らず、絵画、ダイヤモンド、土地、建物や自動車のように、消費されてなくなってしまうもの以外の、広い意味での公共財としての性質があるものなら何でも対象になり得るのだと言う。
貨幣の不足や、そもそも商品価値がないと思い込まれて使われていない資産や、人間の能力や時間を市場化するシェアリングエコノミーの台頭は、信用システムの一環として捉えられる。例えば、Airbnbのように空き部屋を貸し出したり、Uberのように自分の運転能力をサービスに転換したりする仕組みである。
シェアリングエコノミーが発達していくと、人々はリソースを融通し合っていくので、貨幣が使われなくなり、課税すべき経済活動が縮退していくことになる。長期的には税収が減ることで国家の力が衰退し、公共を担う方法に変化が生じ、恐らくはシェアリングエコノミーが公共の大きな部分を担っていくことになるだろうと言う。
ここに自分なりの解釈を加えれば、インターネットの発達と、それを基盤とするブロックチェーン技術、更にそこから生まれるシェアリングエコノミーといった新しい公共の考え方は、経済学者の宇沢弘文が提唱した、コモンズとしての「社会的共通資本」に呼応するものであり、ここにこれからの資本主義経済のブレークスルーの可能性が見いだせるように思う。
このように、本書を通じて、インターネットの専門家で社会の研究者でもある著者は、なぜ貨幣の力が弱まっていくと言えるのか、貨幣の力が弱まり信用が本来の姿を現す時、一体どんな社会が現れるのかを、ビットコインの中核技術であるブロックチェーンの仕組みを解説しながら、しかもそれだけに止まらず、実際に起こるかも知れない近未来の社会の姿として見せてくれている。
今、日本でビットコインバブルが起きていると言われる中、冷静にブロックチェーンの技術的課題と向き合い、新時代の経済システム像を展望する本書は、ビジネスマンであれば是非読んでおきたい一冊である。
(※図版提供:斉藤 賢爾)