露の団姫は、現役の上方の女性落語家にして天台宗の僧侶。高校時代から宗教の勉強を始め、聖書、コーラン、仏教書などを読み漁るなか、法華経に出会い「お釈迦さまは私の魂の父親だ!」と帰依することを決める。同時に夢であった落語家になるため露の団四郎に入門、大師匠の露の五郎兵衛宅に住み込みで修業した。
その団姫が運命の出会いをした相手が、太神楽曲芸師の豊来大治朗。だが彼はクリスチャン。僧侶はキリスト教徒と結婚できるのか。本書はお互いの信仰への関与や生活、子どもの宗教の選択など、日本人同士でも起こる異文化体験を笑いと共に詳細に綴っていく。
プロポーズを受けた団姫は“宗教が違う”ということは“親が違う”と同じ、と考えた。仏教ではお釈迦様、キリスト教ではイエス様が「親」だ。親と同じようにお互いの神様と仏様を大事にしたらいい。信仰を相手に合わせる必要はない。外野がなんと言おうと円満ならそれでよし。なんと清々しいことか。
結婚式は仏式とキリスト教式の2回行い、団姫は結婚後に得度して頭を丸めた。喋るのが大の苦手の大治朗と夫婦二人三脚で舞台の仕事を受けるようになった。
だが二人に隙間風が吹くようになった。大治朗がクリスチャンになったのはコミュニケーションが苦手で、こだわりが強く、社会に馴染めないことに悩み、その救いを宗教に求めたからだった。原因は発達障害であると病院で診断され、ここからまた新たな試練が始まる。尼さんなるだけあって、迷える者はみな団姫のところへやってくるようだ。
だがそこは落語家。離婚の危機も自分が変化することで受け流し、今では失敗談を笑いにして観客を味方につけていく。二人の間に子どもも生まれ“婦唱夫随”の毎日を過ごす。
夫婦は所詮、他人同士。どう上手く暮らしていくかが難しい。この本にはそのヒントが書かれている。(週刊新潮12月21日号より転載)