忘年会シーズンである。振り返れば近年、焼肉忘年会をした記憶がない。参加者の懐具合に配慮し、幹事さん達は焼肉店を選択肢からはずしているのだろうか。折からのひとり焼肉ブームである。そこで私は、ひそかに決めていた。今年は「ひとり焼肉忘年会」を開催することを(爆)。それを100倍楽しもうと考えていた矢先、本屋さんの店頭でズラリと並んだこの本を見つけたのだ。
著者は、滋賀県立大学人間文化学部で「韓国料理実習」などを担当する傍ら、叙々苑の新井会長と共に「全国焼肉協会」で仕事をしてきた焼肉界の重鎮である。焼肉のタレ「ジャン」の開発者で、現在は焼肉トラジの社員研修施設「焼肉大学」で焼肉の知識を教えている。焼肉の歴史からメニューの栄養価に至る知識の習得は、社員の誇りにつながっているそうだ。
その知識があれば、店員さんだけでなくお客さんも誇りが持てるはずである。焼肉はメタボの源ではなく、文化だ。おまけに健康にも良い。と、どうしても信じたい私には、まさに我が意を得たりの本なのである。本書は、2001年に『焼肉は好きですか?』というタイトルで新潮社から刊行されたものを、加筆のうえ文庫化したものだ。最初に刊行された本の「あとがき」に、こう書かれている。
以前から、こんな本を書いてみたいと思っていたので、この企画を持ちかけられたときは、まさに我が意を得たりであった。 ~本書より
あとがきに、このように書かれている本は大概面白い。2001年までに、著者は専門家向けの本を30冊近く出していた。でも本音では、焼肉の知識をもっと広く伝える本を書きたかったらしい。そんな著者が、はじめて「作る側の視点」から「食べる側の視点」に切り替えて書いた本なのである。豊富な知識と、蓄積された思い。本書は、まさに放たれた矢のようなパワーをもった、焼肉界の傑作だと私は思う。
ユッケ、ロース、カルビ・・・目次は、焼肉屋のメニューのような項目立てになっている。専門用語を避け、しっかりと下ごしらえされた文章はまことに美味である。ジュウジュウという音色のむこうから、食欲をそそる馥郁たる煙とともに著者の焼肉愛が立ちのぼってくる。典拠(文献)もしっかりと示しながら、自身の体験に基づいた調理法が書かれており、信頼のあまり、思わず煙の下にスッと箸を伸ばしたくなってしまう。
ミノ、ハチノス、センマイ、アカセンマイは、牛の4つの胃袋を口のほうから順に並べたものである。上ミノは、表面をかるく焼いて食べると美味しい。ハチノスは、コムタンなどのスープに適している。センマイは刺身がイチバン。アカセンマイは関東ではギャラともいわれるが、強火で焼くと「焼肉はアカセンマイに極まれり」といわれるほど美味なのだそうだ。牛の胃といっても、これだけの種類がある。
肉の次は、漬物。もともと朝鮮半島では、キムチは漬物の総称だった。はじめてトウガラシつきのキムチが文献に出てくるのは1766年のことで、比較的新しい。日本ではキムチの消費が劇的に伸びているが、そのほとんどは浅漬けのキムチである。熟成し発酵した本場のキムチは酸味がきいているといった、見極め方も書かれている。江戸時代の日本に「キミすい」というキムチがあったという記述には驚いた。
漬物に続いて、チヂミやナムル、ユッケジャンやチゲ、ビビンバやクッパ、冷麺などが次々と紹介されている。ここで私は、食欲を抑えきれず、焼肉屋に走ってしまった。カルビとギャラを焼きながらキムチを食したのだが、酸味がきいていて、これは本格派だなとわかった。ついでにセンマイ刺しを注文した。あぁ、本を読むっていいなぁと思った。本書の巻末には、焼肉トラジ社長のこのような解説が寄せられている。
焼肉料理を単に楽しむのもよいのですが、この本を読んでから、また読みながら食べると、いままでとは違った味わいを口中に感じることと思います。私もそう感じた一人ですので、請け合います。本書はこれからも焼肉の教科書の決定版として読み継がれることでしょう。 ~本書より
昨今、ビジュアル重視の焼肉本が、たくさん発売されている。でもよく考えると何かを学ぶとき私は、教科書をメインとして資料集で知識の定着をしてきた。本書を読んで、やはり文章から理解を深めるのが得意な性質なのだということが、あらためて分かった。家には、すでに美味しそうな写真つきの焼肉本が何冊かある。あらためてそれを、資料集として眺めたいと思った。
ちなみに、私が焼肉の魅力にとりつかれたのは、大学生の頃である。新宿・歌舞伎町のど真ん中にある家族経営の焼肉店で半年ほど働いた。当初ロースとカルビしか知らなかった私は、板前さんの肉を切る手さばきに見とれ、様々な肉の種類や焼き方などを学んでいった。キムチの仕込みも手伝わせてもらった。まかないの8割はビビンバだったが、焼いた肉をのせてもらえることも時々あった。
ある時私は、トックを買ってくるよう頼まれた。しかし、それが何なのかわからない・・・そんな経験を重ねながら、次第に食材に詳しくなっていった。本書が書かれた10年くらい前のことである。当時の厨房の様子を思い出しながら読んだが、歌舞伎町の焼肉店(1990年)⇒本書(2001年)⇒現在(2017年)では、少しずつ状況が違うように感じた。食文化は常に形を変えていくものである。
本書を読むと、彼の国の焼肉文化が意外と日が浅いことがわかる。もともとは仏教国で菜食文化だったところに蒙古が侵入して肉食が広がり、14世紀の李朝時代の「崇儒廃仏」によって定着したという。調理方法は工夫され、メニューは時とともに変わっていく。
タラの漁獲量が減れば、チゲやチャンジャなどメニューにも影響が出る。「美味なるものは、食せるときに食すべし」という、そこはかとない焦りを感じた。我が家の子供たちは焼肉を好きではないし、焼肉忘年会のお誘いもかからない。あらためて、今年はやっぱり、ひとり焼き肉に行かなくちゃ。と思った次第である。