最初にお断りしておきますが、私は鹿児島県外出身者です。生まれも育ちも福岡県の旧豊前国(福岡県は豊前の北半分と筑前・筑後が合体して生まれた県なので、それぞれ言葉も文化も異なるのです)で、学生時代を旧筑前国で過ごした後、縁あって鹿児島に職を得てそろそろ四半世紀。今や生まれ故郷で過ごした時間よりも長く鹿児島の地で過ごしています。
著者の岩中さんは本書の中でご自分のことを「鹿児島となんのゆかりもない人間」と書いておられますが、学問において何より必要なものは客観性ですから、むしろ対象に対してはある程度の距離があった方がよいのです。そういう点では、鹿児島県民歴(?)がそこそこ長くなっている私は鹿児島という対象に少々近寄り過ぎているのかも知れません。
かと言って、ではお前は鹿児島人かと問われたら、いまだにハイとは答えられません。鹿児島に対しての距離感は、著者と生粋の鹿児島人のそれを足して2で割ったくらいではないでしょうか。よく言えば中立的、悪く言えばコウモリみたいなものだと思っていただければ実情に近いかと思います。
さて、そういう立場から本書を精読すると、鹿児島を見る著者の視点は実に客観性に富んだものであることがわかります。各種統計やデータを駆使して数字によって対象地域の特性を浮かび上がらせる手法は著者の十八番ですが、鹿児島県の食料自給率(生産額ベース)が宮崎県に次いで2位というのを見て、1位はてっきり北海道だと思っていたので、びっくり。
調べてみたところ、食料自給率にはカロリーベースと生産額ベースの二種類があるようで、北海道はカロリーベースの方の1位でした。鹿児島県の生産額ベースが高いということは、それだけ高く売れるものを作っているわけで、鹿児島黒豚や黒牛、薩摩地鶏のような畜産物、マンゴーやタンカンなどの高級果物のことを思い出すに至って、はたと膝を打った次第です。
その他にも、港湾の数が全国1位であるとか、人口10万人あたりのパチンコ店の数が全国1位であるとか、廃仏毀釈で名高いわりに神社の数が多くない(31位)ことだとか、実際に鹿児島に住んでいる私にとっても「へーっ」と唸るような意外な事実がいくつも挙げられています。この辺はまさに著者の狙い通りでしょう。
また、著者の行動力にも感心させられました。なにしろ、本書を書くために鹿児島県内の全市、ほとんどの町村を訪れたというのですから。もう20年以上鹿児島に住んでいる私でさえ、いまだに足を踏み入れたことのない市町村の方がずっと多いのです。もっとも、これは私自身の出不精な性格のせいでもありますが。
それはさておき、このような「百聞は一見にしかず」を貫く著者の姿勢があるからこそ、本書に見える鹿児島についての苦言の数々も、耳が痛いけれど、事実だけに受け入れるしかありません。あとがきで指摘されている鹿児島のブランド力の低さについてもまさにそう。先に触れたマンゴーにしても、品質は宮崎産に決して劣るものでない(私事ながら県外の親族・友人に贈るお中元は鹿児島産マンゴーと決めています)にもかかわらず、ブランド力で圧倒的な差を付けられているのが現状です。
まあ宮崎県の場合、東国原英夫さんが知事になって宮崎産マンゴーをPRしたという僥倖があったことも大きかったとは思いますが、実際に一個人の力でそれだけのことが出来たわけで、コウモリ的視点から見れば、それしきのこと、明治維新の原動力となったという実績を持つ鹿児島人に出来ないことはないと思うのですがね。
ともあれ、本書には鹿児島の魅力的なところも、またそうでもないところも、ほぼ網羅されていますが、せっかくですから本書ではあまり触れられていなかったことを二点ほど補わせていただきます。一つ目は醤油のことです。著者の前著『博多学』でも指摘されていますが、九州の醤油は総じて甘いことで知られています。私も福岡県の出身なので、子供の頃から甘い醤油に慣れ親しんできました。そんな私でさえ鹿児島の醤油は甘い、甘過ぎると感じます。私が鹿児島に赴任して間もない頃でしたか、近所の居酒屋で一杯やった時に、出された料理(確か酢の物か何かでした)の味付けがあまりにも甘かったので、醤油をかければ少しはましになるのではないかと思って醤油をかけたところ、もっと甘くなって悶絶したということがありました。
しかし、その甘い醤油に対する鹿児島人のこだわりは非常に強いものがあり、鹿児島の郷土料理は鹿児島の醤油と味噌(これも甘い)でなければこの味が出せないと言って、就職等で県外に出た鹿児島人が醤油と味噌はわざわざ地元から取り寄せるという話をよく聞きます。
そんな甘い甘~い鹿児島の醤油ですが、最近では、かけ醤油として甘口(地元の醤油)と辛口(たいていはキッコーマン)の二種類を用意しているお店も増えてきて、どちらかお好きな方を選べるようになっていることも多いので、県外からおいでの方はどうぞご安心ください。
二つ目は鹿児島の言葉についてです。県外の人達にとっては鹿児島方言と言えば「おいどん」「ごわす」ではないかと思いますが、今ではそのような言葉を使う人はほとんどおりません。特に相手が県外の人だとわかれば、鹿児島人は極力方言を使わずに話すので、むしろ物足りない感じさえするのではないでしょうか。それでも、一部の文末表現やアクセント、イントネーションは若い人であっても無意識に方言の出ている人が多いので、鹿児島方言らしさを感じることが出来ると思います。実例を挙げればこんな感じです。傍線部を高く発音して読んでみてください。
オトーサン、モー シゴトワ スンダ ノー?(お父さん、もう仕事は済んだの?)
アシタ サクラジマニ イケル ケー?(明日桜島に行けるだろうか?)
え、この程度では満足出来ないですって? それでは、こういうのはいかがですか。明治32年(1899)に島津輯子という女性によって書写された『鹿児嶋言葉わらひの種』(作者未詳。真田宝物館蔵)という方言書があります。輯子は京の公家である竹内家の出身でしたが、明治9年(1876)にかの島津久光の養女となり、同33年に信州松代藩主の真田家に嫁ぎ真田輯子となりました。もともと鹿児島とは縁もゆかりもなかっただけに、さぞや方言には苦労したことでしょうが、そんな女性が養家を離れ嫁ぐ前年に書き写したのが鹿児島方言の本だったというのは感慨深いものがありますよね。この本は鹿児島方言の発音の特徴や主な方言語彙についても記されていますが、何より興味を引かれるのは方言会話とその対訳部分です。以下、その一部を表記など読みやすい形に直して引用してみましょう。
妻 | キュワ ドケ オヂャンスカ | 今日はどこへおいでなさるか |
夫 | タンニャマヘンマデ イコウ | 谷山の辺まで行こう |
妻 | ヲヤットサアー オサイヂャンソ | ご苦労様でいらせられましょう |
夫 | ミヤゲオ ワザイシコ モチクライ | 土産を沢山持ってきます |
妻 | ウヤマドンノ コジュサマ エヤンシタラ ヨロシュ チギャッタモンセ | 大山殿の奥様にお逢いなされたらよろしくとお伝えくだされ |
夫 | ドンカラバ ウヤマドンヅヤ イキダスメ | しかし大山殿までは行き切れまい |
妻 | ヒシテ オカカイヤンスカ | 終日お掛かりなされますか |
夫 | ヨー バンガテナ モドロ | さあ晩方には帰ろうよ |
夫 | イマジャッタ | 今帰った |
妻 | オヤットサアー オサイヂャンシタロ | お疲れ様でいらせられましたろう |
夫 | ガッツイ ダレタ | 非常に疲れた |
妻 | ユオ オアビヤンセ | 行水をお使いあそばせ |
夫 | ダイヤメン シオケガ デケタカ | 晩酌のご馳走は出来たか |
いかがでしょうか。ありし日の鹿児島方言を、古式ゆかしい明治の東京語ともどもご堪能いただければ幸いです。
(平成29年9月、鹿児島大学教授<日本語学>)