名人4期、碁聖6期、タイトル獲得数35。「最後の無頼派」と呼ばれた囲碁棋士である依田紀基氏の自伝だ。ギャンブルで借金を背負い、家族が離散した「どん底」時代のエピソードまで赤裸々に明かしながら、プロとして勝ち続けるために必要な考え方について語る。勝負師の言葉は全ての職業人に通じる普遍性と重みがあるだろう。
学生時代の著者は絵に描いたような劣等生だった。通知表はオール1。本人いわく、現在も「小学4年で習う漢字は書けない漢字の方が多いと思う。小学4年の算数は多分怪しい」とか。インターネット上では「依田伝説」として、「買い物でおつりの計算ができない」、「自分の家の電気のつけ方がわからない。友人を呼んでつけてもらったことがある」などのエピソードもある。
囲碁や将棋を職業にする者たちはずば抜けた判断力と思考力が求められる。総じて成績優秀な優等生も少なくない。対照的な著者が、棋士に、それも、一流棋士になぜなれたのか。囲碁を始めたときから向き合う姿勢は変わっていないという。
どうしてなのか? どういう原理なのか? と疑問を持って、理解を深め、咀嚼し、さらにそこに工夫を加える努力をし、感動したものだけを取り入れることが重要だと私は思う
疑問を持つことと感動することが不可欠だと指摘し、特に感動することが重要だと説く。
感動した後、それをどのようにすれば血肉に出来るのか。
自分もこういう手が打てるようになりたいと念じながら、その同じ手を繰り返し並べて勉強するのである。そうすれば必ずその打ち手に近づいていくものだと思っている
継続と信念。こうなりたいと念じて繰り返す。どのくらい繰り返すかが気になるが、「無意識でできるまで」というから恐れ入る。箸と茶碗を持つときにどう持つかなど考えないのと同じように、意識しないでできるまで何千回も繰り返したという。
何千回も繰り返せば、当然、頭の中は囲碁のことだけになるわけだから、学校のペーパーテスト対策など考える余裕がない。朝から晩まで授業中も頭の中は囲碁、囲碁、囲碁。学校で囲碁と関係ないことをやりたくないため、教師に背きタコ殴りにされるという憂き目にあっても、囲碁と向き合い続ける。
好きこそ物の上手なれとはいうが、好きなことにハマったら、徹底的にのめりこむことで道はひらける。見事に13歳でプロ棋士初段に内定する。
ここまででも人生論としても教育論としても十分興味深いが、プロ入り以降、自身も認める意志の弱さと「のめり込む」精神が悪い方向に出てしまう。内弟子として、師匠の家に住み込んでいたが、18歳の時に遊びたい一心で家を出ると、酒、女、博打に漬かってしまう。
特に酷いのは女性関係。「電信柱すら女体に見える猿状態だった」というほど性欲を持て余し、最高で8人と同時交際したとか。当時としては最年少で一流棋士の仲間入りとされる名人戦リーグに名を連ねることになるが、遊びほうけたことで、すぐに陥落することになる。
その後の著者の人生も浮き沈みが激しい。「碁が弱い碁打ちほど惨めなものはないよ」。先輩棋士が明け方の歌舞伎町で酒を飲んだ際に漏らした一言で一念発起するが、カジノに狂い、成績が再び低迷。借金まみれになり、「一万円札を握ることは、もうないのでは」と瀬戸際に追い込まれながら改心し、十段のタイトルを獲得し復活する。
全盛期を迎え、公私ともに充実した日々が訪れるが、調子に乗ってクラブで浪費を重ね、自宅を失い、家族と離れて暮らすことに。転がり落ちていくときの心情の吐露は身から出たさびとは言え、涙を誘う。
本書の中でも触れているが、著者は「伝説の無頼派棋士」の故・藤沢秀行氏を敬愛している。藤沢氏はアル中の上に、女性関係が派手なことで知られる。3年ぶりに自宅に帰ろうとしたら、自宅がわからず、電話して家人に迎えに来てもらうなど盤外のエピソードに事欠かない。酒を飲むと女性器の俗称を連発することも有名。中国で最高指導者の鄧小平と会見した際にも泥酔状態で「中国語でなんて言うんだ」と絡むなど、相手が誰であろうと放送禁止用語を叫び続ける。狂気を感じさせる振る舞いが多いものの、囲碁に対する情熱は冷めず、51歳で棋聖になり、6連覇。競輪で膨らんだ数億円とも言われる借金を完済した。
奇しくも著者も現在51歳。本書を「遺言」と位置づけているが、藤沢氏の晩年の輝きからすれば、まだ老け込む年齢ではない。もう一花咲かせて欲しいと思わせる読後感がある。
『どん底名人』も品行方正に見える藤沢秀行氏の半生
妻の視点だけに、藤沢氏の破天荒さがより正確に伝わってくる一冊