本書は日テレの番組、NEWS24の「戦場を歩いてきた」というコーナーを書籍化した物である。戦場ジャーナリストである佐藤和孝が戦場で撮り溜めてきた写真を通して、戦地に生きる人々の日常の姿を伝えるという趣旨の下に作成されたコーナーである。戦争と言う非日常の中にも日常がり、人々はそこでメシを食い、笑い、結婚もし、生きていく。しかし、尺の限られたニュース番組では最前線の戦況を報じる事が優先され、戦地で生きる人々の本当の姿を伝える機会が無い。そう感じた著者の思いを日テレの報道局長以下が受け止め実現した番組だ。そしてそこから本書が生まれた。
本書では番組でも紹介された多くの戦地の写真がカラーで掲載されており、文章のみでは伝えきれない戦地に生きる人々の姿と、瞳をまざまざと見ることができる。本書前半ではアフガニスタン及びイラクが、後半ではウクライナのロシア派民兵が取材されている。
戦場ジャーナリスト佐藤和孝といっても知らない人も多いだろう。本書では著者自らがその半生を振り返りながら語る自己紹介をかねた序文である「はじめに」から始まる。しかし、この序文からして著者の行動力と無鉄砲さに圧倒されてしまう。著者は中学生のときにベトナム戦争を目の当たりにし、戦争報道を目にするたびに「現場が見たい」という思いに強く駆られたという。そして24才の時に起きたソ連によるアフガニスタン侵攻を前に「現場が見たい」という思いに抗しきれず、パキスタンへと飛ぶ。
当時のパキスタンではムジャヒディン(イスラム聖戦士)と呼ばれるゲリラ達の各党がパキスタンに事務所を構え、義勇兵の募集などを行っていた。著者は言葉さえもよく分からないまま、新聞で読んで覚えたゲリラの党の事務所に乗り込み取材交渉を開始する。当然ジャーナリストですらない日本の青年に取材許可がすぐに降りるわけも無い。しかし、著者は粘る。毎日、昼飯時に事務所を訪ねゲリラの若者を飯に誘い、仲良くなる。二ヶ月間も通い詰め、ついに念願のアフガニスタン行きを許可され戦地へ向かう部隊に同行することになる。
ここまで戦場を取材したいという強い思いを持っているのだから、さぞかし正義感や使命感に燃えていたのだろと思いきや「ただ興味があっただけ」と意外なほど淡白に著者は語る。行動の最大の原動力はやはり好奇心なのだろう。好奇心の強さが著者の一生を決めていく。
帰国後は「こんにちは青年」と呼ばれながら各新聞社に写真を売り込み、断られてもめげることなく売り込みにまい進した。その合間にカメラマンの助手を勤め技術を磨き、肉体労働で金を貯めまた戦地へと向かう。そうする内にただ好奇心を満たすだけでなく、戦地に生きなければならない人々の声を伝えたいという思いが芽生えていく。
アフガニスタンでは富士山よりも高い4000メートルから5000メートルの山をゲリラと共に雪中行軍し、肝炎を患い死に掛けるという経験までする。それでもめげずに、伝手を頼りにアフガン人の結婚式を取材し、アフガニスタンで流行の映画を見に行き人々の考えを知ろうとする。また軍の司令官と友人になり、その家庭を取材するなど戦場のみならず、アフガニスタンの人々の日常を丹念に取材し本書でも紹介している。
戦地といっても全ての場所で砲弾や銃弾が飛び交っているわけではない。多くの場所では日常生活が営まれていると著者は語る。著者の文章と写真で見る戦地の人々の姿は人間味が溢れ、私たちと同じ日常が送られていることを感じさせる。しかし、一方で戦争がインフラを破壊し、経済を混乱させ、多くの若者から教育を受ける機会を奪いさり、無知と貧困を利用し少年達を兵士として前線に送り出す不条理な社会の姿も記されている。
悲惨さのなかにもどこか牧歌的なにおいもある1980年代から1990年代アフガニスタンと打って変わって、第二章であつかわれている昨年から今年にかけてのイラク情勢はかなり緊迫した様相である。掲載されている写真も一気に血なまぐさいものとなる。イラク兵によって銃殺され首を切り落とされたIS戦士の死骸や自爆攻撃をしたIS戦士のちぎれた手、銃撃戦を行うイラク兵。そしてISにより人間の盾として利用された経験をもつ難民の少女の写真などだ。
これまで行った紛争中の国はもちろんどこも酷かったが、サラエボ、チェチェンの街の悲惨さは郡を抜いていた。だがモスルもそれらに匹敵する悲惨さだ。
建物の全てが戦闘により被害をこうむり、通り一本へ得だてた先に、敵陣営が存在する。そしての通りには必ずスナイパーが狙いを定め、ジャーナリストやISから逃れようとする市民まで狙撃する。モスルの姿は多くの市民が混在する市街戦の悲惨さを余すことなく私たちに伝えてくれる。本書に記されたその姿はさながら現代のスターリングラードだ。
そんな中でも著者は兵士の日常を写真に収める。戦闘の合間にスマホをいじる若い兵士の姿は、街角でスマホを握り締める日本の若者の姿となんら変わることがない。そして戦闘の黒煙が上る街で装甲車の隣を自転車で駆け抜ける少年達の笑顔も無邪気だ。少年達の将来に幸多からんことを、とつい思ってしまう。
そして同時に本書に掲載されている一人ひとりに人生と言う物語があり、その中に喜びも、笑いも、悲しみもが渾然一体となり存在し、これから先、彼らがその生を終えるまで続いていくのだという事にある種、愕然とさせられる。なぜなら、戦地の中に彼らの日常が存在し、日常の中に戦争が存在するのだ。たとえ私たちと変わらない日常の一コマがあったとしても戦争という経験が彼らの中から消えることはない。彼らは死ぬまで戦争の中の日常と向き合って生きていかねばならないのである。
自分の仕事の根底にあるのは「なんでこんな世の中なんだ」という、不条理と不正義に対する怒りだ
戦地に生きる人々の日常に対する著者の思いがこの一言に詰っているのではないだろうか。
本書のレビューはこちら