フランク・シナトラがシチリアのパレルモに到着したのは、1963年10月のことだった。マフィアの新しいドンであるジェンコ・ルッソを表敬訪問するため、アメリカのマフィアから親善大使として送り込まれたのだ。
ところが世界的大スターであるにもかかわらず延々と待ちぼうけを食わされ、ドン・ジェンコの自宅での昼食会に招かれたのは2日後のことだった。大広間に案内されると、そこには12人の男たちが待っていて、主賓席には当たり前のようにドン・ジェンコが座り、シナトラはもっとも遠い末席に座らされた。
ボスが一口目を口に運んだのを合図に会食がスタートする。全員が一斉にボスを真似する様は、まるでクローンのようだったという。ところが食事の途中で困ったことが起きた。ボスがパンを手に取り、ポケットからジャック・ナイフを取り出し一切れ切り分け次の者にまわす。すると次の者も同じようにする。最後にシナトラの番になったが、どうすればいいかわからず赤面したまま固まっていた。なぜならジャック・ナイフなんて持っていなかったからだ。全員が信じられないという目でシナトラを見た。「うんざりするやつだ」と誰かが吐き捨てるように言うのが聞こえた。
するとドン・ジェンコが給仕人に「ドン・フランチェスコにナイフを」と命じた。あえて「ドン」と尊称をつけることで、ナイフを持っていないシナトラを辱めたのだ。男たちが一斉に笑った。
食事は和やかに進んだが、ドン・ジェンコはシナトラを完全に無視していた。そして食事が終わり、テーブルから立ち上がった時に初めて、厳しい口調でシナトラにこう問いかけたという。「それで?」
ほうほうの体でホテルに戻ったシナトラは、ただちに荷物をまとめ自家用ジェットで帰国した。生きてジェンコ・ルッソの館を出られ命拾いしたと本気で思ったからだ。
以上は『イタリアン・マフィア』(ちくま新書)に出てくるエピソードである。
このエピソードからいくつかマフィアの特徴をみてとれる。まず組織のボスは絶対であるということだ。命令に逆らう者は身内でも殺される。しかも始末する際には、その人物にとってもっとも身近な人物が差し向けられるという。
徹底的にマッチョな集団であることも特徴だ。シチリア・マフィアは自分たちを「コーザ・ノストラ」と呼ぶが、これは「俺たち男の問題」という意味である。
マフィアの歴史は古い。長く外国の支配下にあったイタリアでも、シチリアは特に他国に蹂躙されてきた歴史を持つ。マフィアの語源は諸説あるが、シチリアの受難の歴史をもっとも反映していると思うのが、1282年にパレルモでフランス兵に娘をレイプされた母親が「Ma fia,Ma fia!」(シチリア方言で「我が娘」の意)と泣き叫んだのを起源とする説だ。
シチリア人の自衛組織として生まれたマフィアは、長い歴史の中で非合法な犯罪組織へと変貌を遂げた。シチリアの主要な街にはマフィアの巨大なビルがあるが、政治家のはからいで土地を不当な入札価格で手に入れ、公金を流用して建てられたビルの外壁には、多くの未発見の遺体がセメントで塗り込められているという。
独自の地方議会や州議会まで持つマフィアは、まさにイタリアの中にある、もうひとつの国家といっても過言ではない。
そんな巨大組織に戦いを挑んだ男がいた。『復讐者マレルバ 巨大マフィアに挑んだ男』は、かつて300人もの犠牲者を出した抗争の中心人物として恐れられたヒットマンの獄中回想録だ。
著者のジョセッペ・グラッソネッリは、本書に「アントニオ・ブラッソ」という名で登場する。シチリアの少年アントニオは、「マレルバ(雑草)」と呼ばれるほど手のつけられない悪ガキだった。盗みや喧嘩に明け暮れる日々を送り、17歳でお尋ね者になると、ドイツのハンブルグに逃れ、いかさまギャンブラーとして身を立てる。ここまでの青春記はさながらピカレスク・ロマンの趣だが、運命は21歳のときに暗転する。
帰省して家族や親戚とくつろいでいるところをコーザ・ノストラに襲撃され、愛してやまない祖父や叔父たちを惨殺されたのだ。復讐を決意したアントニオは、殺るか、殺られるかの世界へと身を投じる。ギャンブルで稼いだ金を軍資金に武器を仕入れ、敵対組織の人間を次々と消し、やがて新興組織スティッダのボスとなる。
イタリアにはコーザ・ノストラのほかに、ナポリのカモッラ、カラブリアのンドランゲタ、プーリアのサクラ・コローナ・ウニータという組織があり、「四大マフィア」と呼ばれる。スティッダはメディアに「第五のマフィア」と名付けられるほど恐れられたが、アントニオは1992年に逮捕され、終身刑の判決を受けて現在も服役中だ。
本書で描かれるアントニオの半生について補足しておくと、その復讐の日々が、ちょうどマフィアが大きな変化に見舞われていた時期と重なっていたことは、押さえておきたいポイントだ。
80年代から90年代にかけては、イタリア検察とマフィアとの戦いが熾烈を極めた時期だ。本書の中で、アントニオがテレビで高速道路が吹き飛ばされた映像を目撃して衝撃を受ける場面が出てくるが、この時500キロもの爆弾で吹き飛ばされたのが、マフィアとの戦いの象徴的存在だったファルコーネ検察官だった。1992年5月22日のことである。
その約2か月後には、ファルコーネの幼馴染で反マフィア捜査本部の盟友でもあったボルッセリーノ検察官も爆殺されてしまう。
この時、史上初めてパレルモで反マフィアのデモが行われた。デモは自然発生し、多くの市民が手近にあったベッドのシーツに「もうたくさんだ」などとスローガンを書きなぐって参加したため、「シーツ革命」と呼ばれた。
アントニオが殺害を免れた背景には、コーザ・ノストラ側がこうした状況に手一杯だったこともあるだろう。偶然とはいえそれは幸運なことだった。
ファルコーネ検察官は「マフィアのメンバーを改心させる」という手法で成果を上げたことで知られる。組織の内部情報を漏らす代わりに、減刑を約束し、家族も含めて別の身分を与え当局が手厚く保護した。
だがアントニオはこの改悛者の列には加わらなかった。その代わりに彼を救ったのは本だった。獄中で本を読み漁るうちに哲学と出合ったことがその後の人生を変え、本書の執筆へと向かわせた。
マフィアの主語は常に「わたし」ではなく「我々」だという。それはあらゆる原理主義的組織と共通する要素だ。対照的に、本書で描かれるアントニオの人生は、「個」の強さであふれている。魅力的な女性たちと忘れがたい関係を結ぶことができたのも、復讐の連鎖を断ち切ることができたのも、すべてアントニオの「個」の力に由来する。
抗いようのない運命の流れに巻き込まれてなお自分を失わずにいられたのはなぜか。その強さはどこからきていたのか。本書に書かれたその答えは、多くの読者の指針になるはずだ。