なんという僥倖だろう。この人の新作をこんなにも早く目にすることができるなんて。しかも、今回の作品もこんなにも個性的で、こんなにも心地よいものであるなんて。
ご存知でない方のためにまず説明しておこう。著者の川添愛は、『白と黒のとびら』『精霊の箱』というふたつの作品で熱狂的なファンを生み出した言語学者である。ふたつの作品は、「オートマトンと形式言語」「チューリングマシン」をそれぞれテーマとしていて、それらの基礎を学べる内容となっている。
驚くべきはそのスタイルだ。どちらも、「魔術師に弟子入りした少年が苦難を乗り越えながら成長していく冒険物語」という形をとっているのである。読者は、主人公とともに遺跡を探索し、土人形を討伐しながら、形式言語やチューリングマシンについての理解を深めていく。いうなれば、RPG感覚で学べる入門書。そんな本がはたしてほかにあっただろうか。
さて、そして今回の本『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』である。この新作で、著者はまた新たな挑戦を試みている。ひとつは、その舞台設定。今回の本も物語の形式をとっているが、登場するのは「働きたくないイタチ」などの動物たちである。動物たちが「ああでもない、こうでもない」と議論するという、愉快でほのぼのとした世界がそこに広がっている。
そしてもうひとつの挑戦が、そのテーマだ。本作のテーマは「自然言語」、もっと限定していえば、「言葉が分かるとはどういうことか」である。しかもその問題を、サブタイトルが示しているように、「人工知能から考える」というのが、この本のミソである。
本書は小説でもあるため、そのストーリーについてここで詳しく説明するのは控えよう。ただ、上記の舞台設定とテーマがどう噛み合うのかを示すために、「ことの始まり」を少しばかり紹介したい。
イタチ村に住んでいる、怠け者のイタチたち。とくに最近は、よくないことばかりが続いたこともあって、「働きたくない」という思いが強くなっていた。そんな折、何やら「便利なロボット」がほかの村で作られたという噂を耳にする。そして偶然にも、ある種のロボット(魚の陸上歩行を可能にするロボット)を手に入れた彼ら。そこではたと思いつくのだ。
「ねえ、これを改良して、もっとすごいロボットにしない? 魚が陸を歩くなんていうのよりも、もっともっとすごいことができるのを作ろうよ」
「それじゃあ、こちらの言うことが何でも分かって、何でもできるやつをたくさん作ろう。そしてそいつらに、何でもやらせるんだ」
「いいね。そうすれば、誰も働かなくてよくなるね」
こうしてイタチたちは、自分たちの言葉を理解し、自分たちの代わりに働いてくれるロボットを作ろうと考える。そして、「言葉の分かる機械が○○村で完成した」という話を聞きつけては、ほかの村々を訪れてみるのだが……というのが、本書のメインストーリーである。
以降の展開では、先にも述べたように、「言葉が分かるとはどういうことか」が最大のテーマとなっている。「言葉が分かる」といえるための必要条件は何か。そして、それらの条件を満たす機械はどうすれば作ることができるのか。さらには、そうした条件を満たせば、その機械は言葉を理解したといえるのか。「機械学習」や「意味のベクトル表現」といった人工知能のテクニックとともに、言語学や哲学の知見を参照しながら、本書はそれらの問題を冷静に分析する。
ところで、和やかでユーモラスな雰囲気のある本書には、著者ならではの「小ネタ」が随所に仕込まれている。とくに今回は、ちょい役で出てくるキャラクターの設定が秀逸だ。イタチ村の出身で、世界的にも有名な写真家「イターチー」。カメレオン村で健康相談を受けもつ「青緑赤ひげ先生」。極めつけは、イタチ村のローカルタレントであるという「ヨカバッテン板橋」だ。ちなみに氏は、「ヨカバッテン板橋のテレっと退散」という冠番組を持っているらしい。あまりの「しょうもなさ」に忍び笑いを堪えられないのは、おそらくわたしだけではないだろう(なお、以上のような小ネタの由来を探すのも、ファンの間では楽しみのひとつとなっている)。
愛らしいイラストで読者を癒してくれもする本書。見てよし、学んでよし、笑ってよしと、三拍子が見事に揃った本である。すでに著者のファンである人も、そうでない人も、ぜひこの世界を存分に堪能してほしい。本書を読み終えたときには、自然言語と人工知能の基礎的な知識とともに、満ち足りた心地よさが残っていることだろう。
上でも触れた著者の前著。『白と黒のとびら』と『精霊の箱』に関しては、じつはわたしもある意味では「関係者」であるのだが、その点を割り引いたとしても、胸を張っておすすめできる本である。『白と黒のとびら』についての土屋敦のレビューはこちら。