ガソリン携行缶10リットルを2缶、救急セット(傷薬、消毒薬、包帯、ガーゼ、絆創膏など)、非常用食料(カロリーメイト、乾パン、栄養ゼリー、アルファ米など)、非常用飲料水(2リットルを4本)、結束バンド、ダクトテープなど車両トラブルの際の応急修理用品。
まるで被災地に救援に向かうような持参品だ。その他にも簡易トイレやトイレットペーパーや乾電池などなど。実際、著者は2016年のゴールデンウイークに九州に旅発った。半月前に熊本地震が起きたばかり。ただ、著者が九州に向かったのは被災地支援でなく、エロ本やエロDVDを販売する自販機を探しにだ。
インターネットが普及した今でも、九州は大阪と並ぶエロ自販機が多い地域とか。準備万端に映る装備は、震災から2週間が経ったとはいえ、現地の物資不足を考慮して、迷惑をかけられないとの判断からだ。
震災直後の著者の行動に自称良識派の人々は激怒するかもしれないが、全国のエロ自販機を追い求める著者にとって、大型連休はエロ自販機探訪のまたとないチャンスだったのだ。
本書では、豊富な写真とエロ自販機業界の要人の証言などを交えながら、今やすっかりみなくなったエロ自販機の盛衰を辿る。
エロ自販機業者の桁違いの収入話から、実は他業界に先んじてテクノロジーを搭載し続けてきた自販機の仕組み、警察との対立など日本のサブカルチャー史として一読の価値がある。
誰だって、気になるではないか。そもそもエロ自販機は誰が設置し、どのように本を仕入れ、誰が買うのか。気にはなるが、くだらなすぎて誰もが調べなかったことを明らかにしている。
中でも本書が圧巻なのは著者が、全国を歩き撮り続けたエロ自販機の写真だ。それがメインの本である。警察やPTAの圧力で郊外に追いやられながらもひっそりと客を待ち続ける自販機の数々。最初は似たような、どれも古くさい小屋にしか見えないのだが、不思議なことに見続けていると、自販機それぞれの背後にいる人の暮らしが浮かび上がってくる。自販機業者や自販機の周囲に住む人々、自販機を利用しているオッサンの息づかいが聞こえてきそうなのである。朝っぱらから、エロを題材にした本の紹介でおっさんの息づかいを想像させるのもどうかと思うが。
とにもかくにも、ここまでよく撮り続けたものだと感心してしまう。冷静に考えて、あなたの周囲に今の時代、エロ自販機が置いてあるだろうか。おそらくないだろう。余談になるが、そんな疑問を見越してか、本書ではいかにしてエロ自販機を見つけるかという、「ちょっと誰が得するんだ、それ」という情報にも紙幅を割いている。
インターネットで検索をかければ情報が転がっていそうだが、エロ自販機の愛好サイトはインターネットがエロの供給源となった今となっては、風前の灯火。むしろ、地域交流の掲示板や旅行ブログなどに「目撃ネタ」などとして扱われている文書や写真から自販機の位置を割り出している。
例えば、「大阪府高槻市」という文字情報と自販機コーナーの前の通りを映した写真のみで場所を特定することも著者にしてみれば難しくはない。太陽の位置、センターラインの色と車線数、歩道の有無、街灯のデザイン、ガードレールの形状などから仮説をもとに道路を絞り込み、Googleストリートビューで高槻市で候補となる道路を片っ端から標示し、突き止める。何だかエロ自販機を発見するだけではもったいない能力であるのだが、発見したところでいざ現地に行ってみると、すでに稼働していなかったり、下手したら撤去されたりしている。エロ自販機探しの道のりは険しいのだ。
脇道に逸れすぎたが、著者は、絶滅したと思ったエロ自販機が生き残っていることを知り、休日に車で巡るようになったという。
著者の言うように、エロ自販機など、今の時代の多くの人にとってはまったく無価値なものだろう。たとえそれが明日忽然と姿を消しても、それを悲しむ人はほとんどいないのも事実である。むしろ喜ぶ人の方が多いかもしれない。
一方、インターネットの普及で、もはや高齢者しか利用していないであろうエロ自販機が全国にこれだけ存在している事実には本書を読み、かなり驚くはずだ。
エロ本自販機が失われゆく光景であることはまちがいないだろう。だが、「こんなに少なくなった」と捉えるか、「まだこれだけある」と捉え直すかで状況は大きく変わる。
本書に登場する業者の中には業界が縮小均衡することを悟り、多くの設置された自販機を使ってエロ以外のビジネスを模索する動きもある。それは、失われゆく物の最後のあがきには決して映らない。
エロを題材にしながらも、多くの写真が不思議と、さわやかな読後感をもたらしてくれる。
※画像提供:双葉社