荻窪駅の改札を出て、手頃な惣菜の店などが並ぶ庶民的な品揃えの駅ビルを抜けると、目の前はもう青梅街道だ。青梅街道を左折したら吉祥寺方面へと歩きはじめよう。迷ってはいけない。ひたすら歩を進めるべし。ただ駅を離れるにつれてお店も少なくなってくるし、「ホントにこの道でいいのかな……」と次第に不安になってくることはあらかじめお伝えしておこう。
しばらくすると目の前に環八通りとの交差点が現れる。どうかあと少しだけ頑張って欲しい。環八を渡ると、明らかに空気が変わったことに気づくはずだ。駅前の商業地域から住宅地に入ったためだが、それがお目当ての店が近づいたことを示す合図。やがて通りの右側に、年季の入った外壁に青いテントが映える素敵なお店が見えてくる。
ガラス張りの入り口はオープンな雰囲気でとても入りやすい。入るとまず小さな平台が目に留まるだろう。小さいからって侮ってはいけない。本好きならそこに並ぶ本をひと目見ただけで、店主がどれだけ本を愛しているかがわかって嬉しくなるはずだ。
あとはご自由にどうぞ。意外な発見に満ちた棚をじっくり眺めるのもいいし、2階のギャラリーをのぞいてみるのもいい。購入した本を店の奥にあるカフェに持ち込んで、よく吟味されたコーヒーやりんごジュース、ワインなどをお供に、時間を忘れて読みふけるのもおすすめだ。
荻窪の「本屋Title(タイトル)」は、本好きの誰もが「こんなお店が近所にあったらなぁ」とため息をつくこと請合いの素晴らしい書店。駅から徒歩12~13分ほどかかるけれど、足を運ぶだけの価値は十分にある。『本屋、はじめました』は、店主の辻山良雄さんが、この素敵な書店を手探りでオープンするまでを綴った一冊だ。
辻山さんは学生時代に池袋西武のリブロの棚に魅せられ、卒業後はリブロに入社し書店員になった経歴を持つ。当時のリブロの棚というのは、辻山さんの言葉を借りれば、「ジャック・ケルアックの本の隣にマリファナの本、さらにケルアック、ギンズバーグなどのビート・ジェネレーションの作家たちが写っている洋書の写真集――とジャンルを超えて渾然一体としたもの」だった。
辻山さんと同世代のぼくもリブロに影響を受けたひとりなので、とても懐かしい。いまにして思えば、あの頃のリブロは巨大なキュレーションの場だった。行くたびにきょうはどんな本と出合えるんだろうとワクワクしたものだ。数年前に松丸本舗でひさしぶりにあの頃の気持ちを思い出したが、いまそんな書店がどれくらいあるだろう。
リブロ入社後の辻山さんは、広島店や名古屋店で店長を務め、特に名古屋では街ぐるみの本のイベントをたち上げるなどした後、リブロ池袋本店のマネージャーに就任、ニュースにもなった同店の閉店とともに退社し、2016年1月にTitleを開業した。
本書には、開業前の事業計画書から取次との交渉、仕入れの話、開店後の売り上げの実態に至るまで、個人書店経営の舞台裏が詳らかに記されていて、それはそれでとても面白い。だが、本書でぜひ目を留めてもらいたいのは、個人書店の未来を考える上でのとても重要なヒントが書かれているところだ。
たとえば開業するにあたり、ベストセラーと雑誌しか並んでいないような「金太郎飴書店」が論外なのはもちろんだが、辻山さんは店主の厳選した品揃えが売りの「セレクト書店」にも違和感をおぼえたという。
「『spectator』や『TRANSIT』のような雑誌が店頭の最前列にあり、『暮らし』のコーナーには武田百合子や高山なおみ、松浦弥太郎がしっかりと並び、柚木沙弥郎のような『ぶさいくだけどかわいい』民藝のコーナーもある……」というくだりには思わず笑ってしまった。お洒落なセレクト書店ほど実は似たり寄ったりという印象を持っていたので、この指摘はとてもよくわかる。
本の種類が似通ってしまうということは、「総体としての世界が小さくなること」だと辻山さんは述べる。そうならないためには、数多くの世界観の違う本を、棚にぎっしりと並べてみる。すると小さな店でも、多様な世界をそのなかに抱え込むことになり、見た人にとって発見の多い棚になるという。
本書では実際にどんな本や著者を核にして棚を構成しているかが明かされているが、その中核を担っているのは、意外にも地味だけどしっかりとしたメッセージを持った本だったりする(それがどんな本なのかはぜひ本書で確かめていただきたい)。なんどでも店に足を運びたくなる秘密は、考え抜かれた棚づくりにあるのだ。
「接客」に個人書店の可能性を見出しているところも面白い。接客といっても、飲食店やブティックのように、書店員が客に親しげに声をかける光景はちょっと想像しづらい。もちろん辻山氏もいちいち客に声をかけているわけではないが、会計の際に自然とお客さんと言葉を交わすうちに、思った以上に「人は誰かに何かを薦められたがっている」ことに気がついたという。それを踏まえて、Titleではお客さんとの接点を増やすためのさまざまな試みを行っている。接客というテーマは、掘り下げてみると鉱脈があるかもしれない。
個人書店の経営はとても厳しいが、全国には素晴らしい書店がいくつもある。先日、担当していた番組が一段落したのを機に、休みをとって博多を旅してきた。中洲でしこたま飲んだ翌日、大濠公園の桜を眺めがてら足をのばしたのが、けやき通りの「ブックスキューブリック」だ。
けやき通りは、たとえるなら東京の表参道の両側をマンションにして、バスが頻繁に行き来しているような感じだろうか。ブックスキューブリックはその一角にある広さ15坪の新刊書店だ。パリにあってもおかしくないような洒落た外観をしているが、Title同様、開放的な雰囲気で敷居はまったく高くない。店内のゆったりとした空気もよく似ている。(実はTitleはこの店の影響を受けている)
『ローカルブックストアである 福岡ブックスキューブリック』は、そんな小さな書店が街全体を巻き込んで、コミュニティづくりの中心的存在となるまでを描いた一冊。店主の大井実さんは書店員の経験もないままにこの店をはじめたが、いまでは福岡にはなくてはならない店になった。「福岡を本の街に」をスローガンに、大井さんらが中心となって2006年にスタートしたブックフェスティバル「ブックオカ」(「ブック」×「フクオカ」に由来)も、いまや秋の福岡の名物イベントだ。
本書を読んでいると、つくづく書店は街の文化的なインフラであると痛感させられる。京都の恵文社一乗寺店や誠光社、鳥取の定有堂書店、新潟の北書店など好きな書店を挙げればキリがないが、小さな書店が各地で奮闘しているのは、ひとつの希望だと思う。
Titleの辻山さんが、本屋の日々の光景として真っ先に思い浮かべるのは、お客さんで賑わう店頭ではなく、まだ店内に誰もいない、しんとした光景だという。そんな時、静まり返っているけれど、本はじっと誰かを待つようなつぶやきを発していて、店の中はそうした声にあふれているそうだ。
本屋の仕事の本質は、この「待つ」に凝縮されているのではないかと辻山さんは言う。本との出合いを求めていつかやって来るかもしれないたくさんのまだ見ぬ客のために、きょうも同じ時間に店を開け、待ち続けるのだと。
だからぼくらも本屋さんに行こう。そこにはあなたをずっと待ってくれている本と人がいるのだから。