冨山和彦氏の本は殆ど読んでいるが、本書は単にAI(人工知能)が関わるビジネス領域に留まらず、教育から地方創生から働き方論まで、今我が国が取り組むべき社会問題を全て網羅した、これまでの著書の中で最も包括的な内容の、全ビジネスマン必読の書である。
コンサルタント→企業再生実務家→社会変革者へと進化を遂げる冨山氏の行きつく先は、ピーター・ドラッカーのような経営思想家なのかも知れない。それ程、冨山氏の議論は本質的且つホリスティックである。実務オンリーでもなく、また理念的・抽象的に過ぎる訳でもない、超リアリストであり理想主義者でもある、右脳と左脳を常人の何倍も駆使した冨山氏の思考を垣間見るにつけ、これはAIが進化してもとても叶わないだろうなと思わざるを得ない。
AIについて解説した本は多いが、それが我々の現実のビジネスや企業活動にどのように組み込まれていくのかが具体性を持って書かれていないので、どうしても議論が「シンギュラリティはいつ来るのか?」とか「AIに人間の仕事が奪われてしまうのか?」とか、抽象的で分かりにくいものになってしまう。
そうした中で、冨山氏は、常に実際に我々の目の前にあるビジネスや企業や我々の働き方がAIによってどのように影響を受け、そして変化して行くのかを示してくれる。そして、AIによって人間の仕事が全てなくなる訳ではなく、産業や道具の発展史を見ると、人間が苦手なものはAI以前にも機械によってどんどん置き換えられてきており、例えば人間は大きな力を出したり、速く走るのが苦手だが、これは鉄道や自動車によって置き換えられ、またその結果として新しい仕事が生まれ、そこに雇用が吸収されていったのだと指摘する。
つまり、歴史的に見ると機械に置き換えられてきのは、人間にとって苦手なことばかりであり、今後はそれが更にAIに置き換えられていく結果、最後に残るのは人間に得意なことばかり、つまり人間にとって苦痛ではなく快適なことだけが仕事として残るのではないかと言うのである。
だから、計算も知識を覚えることも全部機械に任せてしまえば良くて、これからの教育に求められるのは人間が得意な能力を伸ばすことであり、計算と暗記の反復練習を繰り返すような教育、つまり今のようなホワイトカラーを大量に生み出すような教育を続けていると、社会人になった途端に必要ない人間になってしまう悲劇が起こり得ると警鐘を鳴らしている。
AIと言っても決して万能な訳ではなく、例えばレストランにおけるテーブルサービスのようなヒューマンインターフェースの部分が大の苦手であり、曖昧さ、揺らぎ、臨機応変、融通無碍さがモノをいう領域については、アナログでファジーな人間の方が圧倒的に強い。そして、こうしたルールがはっきりしておらず、ルール自体もその場その場の状況で変化して行くような人間らしい部分は、最後までAIに置き換わらないのだと言っている。つまり、魂を持たないAIは所詮、道具に過ぎないのだと。
冨山氏と言えば、G(Global)の世界とL(Local)の世界を区別して、経済規模として、また関わる人間の数としてはLの世界の方が圧倒的に大きいことを示した『なぜローカル経済から日本は甦るのか』(PHP新書)で有名だが、本書ではそれに加えて、C(Casual)の世界とS(Serious)の世界という新たな象限を導入している。
ここでは、これまでのインターネット企業がやってきたような、本質的にバーチャルでサイバーでカジュアルなサービス領域であるCの世界と違い、人命に関わる医療や自動運転のようなリアルでシリアスなSの世界の領域のことになると、従来のような乱暴に事業領域を広げてユニバーサルなプラットフォーマーを展開することは難しくなるとして、2016年頃から生じてきている世界的な潮流の大きな変化を次のように指摘する。
AI、IoT、ビッグデータという三大バズワードの関係性を整理すると、IoTで色々なデータが集まりやすくなり、そのデータを食べてAIが成長・進化する。進化したAIが実装されたIoTネットワークや機器が進化・普及することでさらに有用なデータが集められるようになり、これがAIの進化を促すという循環構造だ。いわゆるインターネットの世界だけでは経済的な価値創造が難しくなっていること、ビッグデータもそれだけではあまり”金の匂い”がしない・・・結局、これからの勝負は、デジタル革命の主戦場になってくるリアルでシリアスな産業領域、「Sの世界」でこのような循環を起こせるかにかかっている。そしてリアルな世界で、私たちにリアルに金を払う気にさせてくれるコア・エンジンは、AIによる「自動化」技術の大進化、すなわち今までの人類史のなかで私たちを苦役から解放してきた数々の道具と同じ役割を果たしてくれるAIなのである。
そして、日本企業の多くは今までの「デジタル革命」×「グローバル化」×「Cの世界」という組み合わせのゲームでは負け組だったが、これからは「デジタル革命」×「ローカル化」×「Sの世界」という組み合わせのゲームが重要になり、ソフトとハードが融合するそうした場では、実際にメカがきちんと動くことが必要で、信頼の置ける現場メインテナンスが求められ、ローカルな要素が強い領域にこそ、日本の生きる道があるのだとしている。
つまり、今後、デジタル革命の主戦場がバーチャルでカジュアルな世界からリアルでシリアスな世界に移ることで、これまでのデジタル革命とは無縁の産業や企業にも様々なチャンスが訪れるというのである。
冨山氏は、資本主義という大きな問題についても興味深い議論を展開している。ソフトウェア会社やコンサルティング会社のように、ヒューマンキャピタル(人的資本)に価値がある会社の場合、リアルキャピタル(お金)の出し手からなぜ出資を受けなければならないのか納得いく理由を見つけるのは困難であり、そうした意味で資本主義は希少リソースがリアルキャピタル(お金)の産業向きであり、ヒューマンキャピタル(人的資本)が中心の会社とは元々相性が良くないとしている。
そして、この問題を突き詰めて行くと、今後、産業のコアが知識集約型にシフトして行った時に、資本主義というシステムがこれまで同様に役に立つのかという、より根源的な問題にぶつかるだろうと指摘している。
また、冨山氏は、コーポレートガバナンス(企業統治)やキャピタルディシプリン(資本規律)が強くなり、短期的な成果を求めがちな投資家の声が大きくなると、10年後、20年後にようやく芽が出るような研究を企業の中でやることが難しくなると指摘する。
そして、そうしたむしろ社会の公共財とも言える基礎研究は、個別企業が閉じた世界で自らリスクを取ってやるよりも、大学や公的研究機関でやった方が良いとして、その点での大学の役割を再評価している。
こうした冨山氏の資本主義論については、本年6月16日に『資本主義の教養学公開講座』(於、国際文化会館)において、「現代を生きるビジネスマンとして資本主義社会にどう向き合うか?」と題する講演と、それに続く、NHK『欲望の資本主義』のナビゲーターを務めた新進気鋭の経済学者・安田洋祐氏との対談も行われるので、冨山氏の話を直に聞きたい方は是非ともご参加頂きたい。
そして最後に、冨山氏は、本書における結論として、経営者に対する次のような強いメッセージを発している。
イノベーションの時代は経営の時代であり、経営人材の時代である。デジタル革命第二期までの「カジュアルデジタル」モードから「シリアスデジタル」モードへの進展、ソフト中心の「デジタル技術的」解決モードからハードを巻き込んだ「デジタルとアナログ統合技術力」による解決への勝負どころの変化。これをチャンスとしてつかむには、日本企業の多くが持っている「シリアス」で「アナログ」な組織特性を活かしつつも、デジタル革命の特性である、オープン性、多様性、非連続性、柔軟性、迅速性、果断性を日本企業とその構成員の遺伝子のレベルで浸透させなければならない。この成否が、デジタル革命第三期において、「創造的破壊」をする側とされる側の分かれ道となる。これこそが経営者のミッションなのだ。
冨山氏は、経営者や若者に対するメッセージとして、しばしば内村鑑三が語った、人が残せる後生への最大遺物は「勇ましい高尚な生涯」であるという言葉を引用するが、これから日本が良い方向に変われるのかどうか、それはひとえに「経営者の覚悟」に掛かっているのである。