本が好きだ。物心ついてから、ずっと身近に本があり、気が付けば本に関する仕事をしていた。だが、私はどれだけ「本をつくる」という仕事に従事している人について知っていたのだろう。
まずは作家が原稿を書く。小説でもノンフィクションでも実用書もそれは変わらない。編集者の手に渡り、その作品が商品としての本になるかどうかが決定する。ここが始まりだ。
次には活字だ。本を開けば字が並んでいる。その書体を意識して読む人が少ないかもしれない。
「書体は声である」と印刷会社で「平成の大改刻プロジェクト」を行った伊藤正樹は言う。本には内容にあった字の形がある。書体をきちんと選ぶことで読みやすい本が出来上がる。今ではほとんどデジタル化された書体を、かつて職人が彫り出した温かい字に戻すため、膨大な時間をかけて作り直したこのプロジェクトを、著者の稲泉連は詳細に追う。
本の姿も重要だ。手に取りたくなる本、書棚に飾りたい本を作りたいと19歳でドイツに渡り「製本マイスター」という国家資格を取得した青木英一は、百年近い歴史を持つ製本所の四代目社長だ。かつて職人の手によった製本は、いまや機械化によって姿を変えた。だが少部数でも特別な本を作るため、製本の技術を失いたくないと熱く語る。
特に興味深かったのは校閲の話である。原稿が活字になった後、その間違いを指摘する仕事だ。新潮社の校閲部は厳しいことで有名だが、矢彦孝彦はこの部署を定年まで勤め上げ、フリーになった今でも塩野七生など著名な作家から絶大な信頼を得ているという。
校正・校閲者は作家と編集者との間に入り、第三の目として誤字脱字、事実関係の正確さや文脈の間違いなどを冷静、かつ的確に指摘しなくてはならない。たったひとつの見落としがその書物の存在を否定する場合さえあるのだ。ネットが発達し、あらゆる人が文章で情報を発信する現在、校正・校閲の必要性は高まっているのではないだろうか。
「本をつくる」という過程はこんなに細かく分かれているのか、と驚かされる。印刷技術、紙の種類、デザイン、海外の作品の買い付け、そして物語の執筆。それぞれに携わる人たちが本を愛し、本を失わせまいとする気概を感じる。
本が売れないと嘆く声は聞き飽きた。今は売れる本、欲しくなる本を模索すべきなのではないだろうか。読書は生涯の友なのだから。(週刊新潮4月6日号より転載)
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『考える人』が無くなっちゃうと、こんな企画も通らなくなるのかなあ。本はどんな形で残っていくんだろう?