近年、アスペルガーやADHDといった発達障害が注目を集めている。本書の冒頭でも述べられているが、テレビドラマの登場人物でも発達障害を持っていると思われる行動をとる人物が活躍する作品が増えている。
海外ドラマ『クリミナル・マインド』のDr.スペンサー・リードやBBC制作の『シャーロック』のシャーロック・ホームズなどは明らかにアスペルガー症候群の特徴を示しているし、日本のドラマでは最近話題になった『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS)の主人公もアスペルガーの特徴を示している。実は発達障害を持つ人は意外に多くASD(アスペルガーを含む自閉スペクトラム症)は人口の1%、ADHD(注意欠陥多動性障害)は人口の5~10%ともいわれている。
多くの人にその障害の存在が知られるようになったとはいえ、私たちが発達障害に対して正しい知識を持ったわけでも、発達障害を抱えた人たちを社会に受け入れて行くノウハウを手にしたわけでもない。むしろ、少し空気の読めない人や対人関係が苦手な人を「アスペくん」と呼んで煙たがったり、対人関係で躓いた人が、自らをアスペルガーと思い込んだりと、知識の欠落ゆえに起きる弊害も多いと著者は指摘する。
本書はこのような状況を少しでも打開すべく発達障害の専門家である著者がASDおよびADHDを中心に、発達障害の歴史、症例、発達障害にまつわる誤った知識や思い込み、発達障害の治療、発達障害と犯罪といった広範囲な内容を200ページ弱にギュっと詰め込んだ内容となっている。
まず知識の誤りの中で多いものを例に見てみよう。近年、産業医から進められて、発達障害専門外来を訪れる人が増えている。産業医の紹介状の中に「子供の頃は問題なかったが、成人になりASDを発症したものと思われる」というような内容の物が散見されるという。これは、大きな誤りで「成人の発達障害」という言葉に対し完全な思い違いから出ているという。
ADHDなどを中心に発達障害の一部では成長に伴い症状が軽減、もしくは治る場合がある。このような成長に伴う症状の改善が見られず、社会適応が困難な人たちに「成人の発達障害」という言葉が使われている。そもそも、発達障害とは生まれつきの疾患で、成人後に発症することはない。もっとも、軽度な発達障害で当人の知力が高い場合、子供の頃に学校などでそれほど大きな社会不適応をきたさず、成人後、就職してから社会不適応を起こす場合もあるために判断が難しいようだ。
ここでも注意の必要な点がある。近年の研究で明らかになったのだが、症状が治まっているように見える患者でも、根本的な部分では疾患は治っておらず、本人の努力により症状が顕在化していないだけだという事例が多いことがわかってきているそうだ。ADHDの強い衝動は患者自身の意思の力で抑えられているに過ぎず、心の内側では健常者には無い暴れ馬のような衝動が駆け巡っているという事なのだろう。
また遺伝する可能性が高く、近親者にはASDなどを患っている人がいれば、発症率も高くなる。最近まで、ASDに伴う対人コミュニケーションの低さは家庭環境や子育ての失敗とみなされる事が多々あったようだが、それは全くの見当違いである。
近頃では発達障害の知明度があがり、過剰診断がなされる場合が増えているという。ASD、ADHDともに明確な診断基準があるのだが、知識不足の医師による誤診もたえないという。ASDの場合、対人相互反応の障害の他に、行動、興味及び活動の限定的、反復的、常道的様式と言うものがある。趣味や興味が狭いものに限定される。日常行動の中で反復的にひとつの行動を繰り返し、しかもそれに強いこだわりを見せるなどの症状がある。ただ内向的で社会に適応できていないだけではASDとはいえないようだ。
また、ADHDでは多動などの一部の障害があまり見られず、注意欠陥が優位な症例もあり、「不注意な人」「忘れ物が多い人」と言うレッテルを貼られて自他共にADHDであるということに気づいていない場合もあるという。
またASDとADHDは本来異なる特徴を示す疾患であるが、違った理由から同じ社会的な欠陥を示す場合もある。例えば、ある会社で業務終わりに日報を書いて提出する必要があるとする。ADHDは注意力の欠如のために何度も日報を書き忘れる。他方、ASDの場合、その業務が社会的に重要であるという事が理解できないために、何度も日報を書き忘れるといったぐあいだ。ただ、ASDとADHDを併発している患者も珍しくなく、専門医でも判断に迷う場合が多々あるという。専門家でも判断が難しいのならば、真剣に発達障害を克服しようとしている人は、いくつかの外来を受診してみるほうがいいのかもしれない。
本書後半では刑事事件における、発達障害の問題が大きく取り扱われている。特に「アスペルガー症候群」と言う言葉を世間に広めた「豊川主婦殺人事件」の問題が丹念に扱われている。事件の概要は省くが、見知らぬ人の家に押し入り主婦を殺害した未成年の犯人の精神鑑定が大きな争点となった事件だ。結果としては、弁護士側の被疑者少年は「アスペルガー症候群」という主張が通ったのだが、著者はこの判定は明らかな誤診であったという。裁判員制度が始まった今、司法のみならず一般の人も発達障害に関する正しい知識が必要とされているという事がこの点を読めば理解できるだろう。
レビュー冒頭でも記したが、発達障害を持った人は意外なほど多い。彼らの特徴を理解して社会に取り込み、彼らが活躍できる社会を築かなければならないのは今更いうまでも無い事だろう。そのためには、まず正しい知識が必要になる。本書は間違いなくその手助けになる一冊だ。発達障害を持つ人は知力が平均以上の場合も多く、彼らが活躍できる社会は、おのずと健常者にも多くの恩恵を与えてくれる社会になるはずだ。まずは、最初の一歩として本書を手に取りながら、周りを見渡してみようではないか。