本書は映画化を視野に入れたストーリー性重視のノンフィクションで、ゲームの内容やテクノロジーよりも、企業の競争戦略や個性的な登場人物たちの葛藤や苦悩、生き様などに焦点を当てた点がユニークな作品となっている。著者はゲーム業界をビジネス的観点から描くことで、マーケティングや営業の現場が創造的プロセスにどんなインパクトを与えたかを、興味深いエピソードを積み重ねながら明らかにしていく。もちろん、熾烈な市場シェア争いを描いたビジネス戦記として読むことも可能だし、最近はやりの「お仕事小説」としての側面も備えた、読み応えたっぷりの娯楽作品である。
2016年の『ポケモンGO』ブームや、最近最終作が公開された映画『バイオハザード』シリーズなどは、日本発のゲームやキャラクターが世界に与えた影響力の大きさを物語る最新事例だが、本書(原題は Console Wars: Sega, Nintendo, and the Battle That Defined a Generation〔2014〕)は 日本のゲームが紛れもなく世界標準だった時代の歴史を任天堂とセガのアメリカ人幹部の視点から描いている(後にソニーもこれに加わる)。
時代は1990年前後にさかのぼる。当時の任天堂はアメリカのゲーム業界における絶対的覇者で、 市場の90%を牛耳り、セガをはじめとする後発企業が残りの10%を分け合う一強多弱の状態だった。本書で語られるのは、このガリバー型寡占に挑んだセガが壮絶な覇権争いの末に業界トップの座に駆け上がり、そこからあっけなく転落するまでの嵐のような数年間の物語である。リスクを恐れぬ野心的なリーダーのもとで、セガは次々に斬新な販売戦略を打ち出し、値下げ攻勢で市場シェアを奪い、攻撃的なマーケティング戦略によって任天堂は「子供だまし」で、セガこそが「クール」なゲーム会社だというイメージを消費者に浸透させた。短期間とはいえ、この下剋上とも言える快挙を成し遂げた風雲児こそ、本書の「主人公」トム・カリンスキーである。
カリンスキーは大手おもちゃ会社のマテルでバービー人形を復活させたのをはじめ、次々と新機軸を生み出したブランドマーケティングの天才で、若くして同社のCEOに就任したものの、社内政治の渦中に巻き込まれて同社を去った。その後、華々しく返り咲くチャンスを求めて鬱々とした日々を過ごしていたが、そんな彼に声をかけたのがセガ本社の社長、中山隼雄だった。マウイ島のゴージャスなビーチを背景とした文字通り映画のようなワンシーンで、中山はまるでボンド映画の悪役のような不気味な微笑をたたえながら、セガ米国法人のCEOの座をカリンスキーに提示する。腹の底で何を考えているかわからない男として描かれる中山は、その後あらゆる場面でカリンスキーの後ろ盾となって支えたが、最後は巨大な壁となって立ちはだかることになるのだ。
その後、本書はまさに『三国志』を思わせる三つ巴の展開を見せる。カリンスキーはまるで諸葛亮 (孔明)のように次から次へと任天堂の機先を制する奇策を放ち、有名な「ペプシチャレンジ」を彷彿とさせる数百万ドル規模の比較広告キャンペーンを成功に導く。全米各地のショッピングモールで任天堂とセガのどちらのゲーム機が優れているか、消費者に直接決めさせる賭けに出たのだ。また、セガの最新ビット機ジェネシス(メガドライブの北米版)に新作ゲームの『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』を無料で同梱して任天堂から顧客を奪うという作戦も見事図に当たった。だが、これらの戦略はことごとく日本本社の猛反対に遭い、カリンスキーは常に内憂外患の危機にさらされる。それでも、セガは数年で業界1位の座に上り詰め、傲慢かつ保守的な経営体質で知られた任天堂は路線の見直しを迫られるのだ。一方、その間にゲーム業界の「第3極」として台頭してきたのがプレイステーションを擁するソニーで、その後の展開は周知の通りである。最終的にセガの勢いにストップをかけたのは強力な新ライバルの登場というより、米国法人のやり方にいちいち横槍を入れてくるセガの日本本社だったと著者は随所で示唆している。結局、この「日米摩擦」が仇となって、セガはトップとしての地歩を固める絶好の機会を逸し、任天堂の巻き返しとソニーの台頭を許すことになるのだ。
著者のブレイク・J・ハリスは現在、本書に基づく2本の映画の準備に取り組んでいるという。最 初に公開されるのはドキュメンタリー版で、2作目が本格的な長篇映画になる予定だ。製作を担当するのは、2年前に北朝鮮の最高指導者・金正恩の暗殺を題材としたコメディ映画『ザ・インタビュー』で大いに物議を醸したセス・ローゲンとエヴァン・ゴールドバーグの二人で、本書にも異色の「まえがき」を寄せている。完成すれば、おそらくブラックユーモアをまぶした一筋縄ではいかない作品に仕上がることだろう。
著者が受けた多数のインタビューの一部は今もYouTubeなどで閲覧可能だが、それらによると、ハリスは米ニューヨーク州北部出身で現在30代前半であるという。ジョージタウン大学卒業後、金融機関に就職したがライターになる夢を捨て切れず、初めての著書である本書でついにブレイクを果たした。ハリスは本書で用いた執筆方法について冒頭の「著者注」で詳しく述べているが、それは数百本ものインタビューに基づき、実際に起きたことをその場で目撃したかのように再現する「ニュー・ジャーナリズム」的な手法である。その結果、著者は多くの場面で登場人物が交わす当意即妙のやり取りを当時の雰囲気を損なうことなく描き出すことに成功した。最終的には、カリンスキーをはじめ、中心人物の大半に再現した内容を見せて事実から逸脱していないか確認を取ったという。
ゲーム業界の歴史に関心がある読者はもちろん、ほとんど知識のない者でも、テンポがよく、ユーモアの漂う文章と数多くの興味深いエピソードに引き込まれ、セガ、任天堂、ソニーの三社が覇を競う『三国志』ばりの物語を心躍らせて読むことだろう。ハリス自身は誰に対しても公正な描写を心掛けたと主張しているが、元より彼にとって最大のヒーローはカリンスキーであり、『三国志』に譬えるなら、任天堂は曹操の魏、セガは劉備(と諸葛亮)の蜀、ソニーが孫権の呉になるであろうか。
圧倒的に巨大な敵に弱者が挑んでいく物語には誰もが共感を覚えるものだが、ハリスもセガとカリンスキーのチームを巨大な帝国に立ち向かう反乱軍(最近のヒット映画で言えば『ローグ・ワン』)のような存在と位置付けた。それは当時のトレードショーにおける任天堂のブースが陰で「デス・スター」と呼ばれていたという描写にもよく表れている。任天堂が「支配」を象徴する存在なら、セガは「自由」を象徴する存在を目指せばいいのだ、というのがカリンスキーの基本戦略だった。その一方で、ハリスはあくまでゲームの質にこだわる任天堂の「良心」についても繰り返し言及することを忘れず、それが最終的に同社の逆転勝利をもたらした経緯を明らかにする。カリンスキー自身も暴力的で過激なゲームを市場にあふれさせた結果、「ダークサイド」に落ちることを恐れており、それが彼の栄光に影を落とすのである。
本書には、当時のゲームに関する舞台裏のこぼれ話も豊富に盛り込まれている。例えば、ソニックのデザイナーが「フィリックス・ザ・キャットの顔をミッキーマウスの体に付けたらああなった」と事もなげに告白するくだりなどもその一つだろう。また、ソニックは最初のデザインでは鋭い牙を生やし、スパイク付きの首輪をした悪党面のキャラで、マドンナという名の巨乳のガールフレンドがいたが、カリンスキーのチームが日本側にダメ出しをして変更させたのだという。これも往年のファンには興味深いエピソードではないだろうか(しかも、そのやり取りはファックスで行なわれた!)。
さて、気になる映画化の行方だが、ドキュメンタリー版はすでにポストプロダクションの最終段階まで進んでおり、長篇映画はその後に取り掛かる予定だとハリスはあるインタビューで答えている。 彼自身はカリンスキーをアーロン・エッカート(『ダークナイト』や『ハドソン川の奇跡』での名演技が光った)に演じてもらえないかと執筆中に空想していたそうだが、なるほど適役かもしれない。
2017年2月