著者のキャスリーン・フリンは36歳にしてパリに渡り、世界屈指の料理学校であるル・コルドン・ブルーを卒業した、本人曰く「遅咲き」の料理人であり、フードライターである。その体験を記した著作『36歳、名門料理学校に飛び込む! リストラされた彼女の決断』(柏書房)は好評を得て、ライターとしての生活はおおむね順調だった。しかし、その先にあるはずの進むべき道を模索していた。そんな彼女がある日、シアトル郊外にある巨大スーパーマーケットで、とある女性とその娘に出会った場面から物語ははじまる。
新鮮な農産物や海産物を豊富に取りそろえたスーパーマーケットの中央通路で、その女性はインスタント食品を次々とカートに放り込んでいく。その姿に衝撃を受けるキャスリーン。好奇心旺盛な彼女はそのままその女性を尾行し、ついには話しかけることに成功する。この抜群の行動力が、36歳にして彼女をパリまで導いたのは言うまでもない。
鶏肉を買うならパックではなくて丸鶏で。だってその方がずっと安いから。箱入りで、温めるだけで食べられるインスタントのパスタディナーを買うのなら、パスタとオリーブオイルとパルミジャーノ・レッジャーノを用意すればいいだけ。だってそれが本物のパスタ料理だから。
インスタント食品に費やす金額で、新鮮な野菜と肉をどれほど買うことができるか示しながら、キャスリーンは根気よく女性を説得していく。そして、カートの中の山ほどのインスタント食品を棚に戻してもらうことに成功する。キャスリーンは、これが自分の人生を変える経験になるだろうと確信する。そして彼女は、料理の苦手な人たちを集め、料理教室を開こうというアイデアに辿りつくのだ。
紆余曲折を経て集められた料理教室参加メンバーには、十人十色の人生があった。それぞれが抱える問題が、調理方法や食生活に反映されていた。キャスリーンと助手のリサがメンバーに本気で向き合い、料理に必要な基本的テクニックや知識を教え込んでいく。
しかし、ひと筋縄ではいかない。年齢も年収も育った環境も違う見知らぬ人々が集まれば、予期していなかったことも起きてしまう。習いにきているというのに言うことを聞かない人、注意しているわけではないのにイラ立つ人、肉が怖いと家に帰ってしまう人。でも、人生のおもしろさは、こんな予期せぬできごとに遭遇するところにあるのではないだろうか。著者キャスリーンを支える夫のマイク、助手のリサ、そして各講師陣が、ゆっくりとメンバーの心を解きほぐし、全員を勇敢な料理人へと成長させていく。
しかし、キャスリーンが教えたのは料理の技術だけではない。消費者の気持ちが変われば市場が変わること、食材を廃棄することの問題点、肉はかつては生き物だったという事実。これらはすべて、私たち現代人が見て見ぬふりをしている物事でもある。彼女はそれを自分の経験を交えつつ、メンバーに示していく。野菜を刻もう、肉を触ろう、すべては大切な食べ物であり、命であり、私達の栄養となってくれるものだから――キャスリーンの食への真摯な姿勢がメンバーに伝わっていく瞬間が、まさにこの料理教室が生み出した奇跡だったのかもしれない。
暮らしを支える料理に必要なのは、高度な技術でも、ぜいたくな食材でもない。必要なのは、元気に暮らそう、おいしい食べ物で大切な誰かを喜ばせてあげようという、まっすぐな気持ちだけだ。
失敗したっていい、焦がしてもいい。そんなのどうでもいいじゃない。だって、たった一度の食事だもの。あなたの料理が下手だなんて、誰が言ったの? 誰が私たちを定義できるってわけ? 変わるのに遅すぎることなんてないのよ。
キャスリーンの力強い言葉に、励まされる人は多いのではないだろうか。私の心の片隅に、シアトルのレンタルキッチンで汗を流し、野菜を刻み、肉を焼き、鍋をかき混ぜ続けた女性たちの姿がいまもある。彼女たちが流した涙も、喜びも、葛藤も、すべて私の中にしっかりと残っている。そのすべてが私を感動させ、勇気づけてくれる。彼女たちが焼き上げたパンのような、ほかほかとした温かさを、私の心にもたらしてくれる。
いまもしあわせに暮らしていてほしい。笑顔でキッチンに立っていてほしい。様々な問題が解決されていることを祈らずにはいられない。冷蔵庫を開けて、さあ、やってやるわよ! と意気込む姿が、どうかいまも彼女たちにありますように。顔を上げ、自信を胸に、毎日笑顔で暮らしていますように。
たぶん心配はいらないだろう。万能包丁を片手に、真剣な顔つきで鶏の解体をしているはずだ。レモンとハーブとオリーブオイルを慣れた手つきで混ぜ合わせ、新鮮な野菜を和えているはずだ。エプロンのポケットに紙オムツを突っ込み、ハッピーバースデーを歌いながら、両手を洗っているはずだ。彼女たちなら、きっと。