えっ、方言コスプレ?
本書を手にしてまず目に飛び込んで来たのが、この言葉。コスプレと言えばコスチュームプレイの略語のアレですよね、そうですよね? 言葉ですよね、コスチュームじゃないですよね、方言って言葉ですよね? ですよね??
混乱する中、岩波ジュニア新書から出された本書は私に語りかける。ジュニアとつくだけあって口調がなんだかとっても優しいのだ。優しくされるだけで、どんどん読み進もうと思うこの不思議さ。
本書は地域に結びついた素の言葉である「方言」ではなく、テレビやラジオ、インターネットから地元のお土産物まで様々なコンテンツの中で加工編集された「ヴァーチャル方言」が、どのようにして広まったのかを調べた一冊だ。「萌え」とタイトルに有ることから分かるように、あくまでも好意的な使用法として紹介されている。
これだけ「ヴァーチャル方言」が巷に溢れかえっていても、意識しながら接していないと、中々その存在の意味に気づくことがない。それが分かっただけでも、本書を手に取る面白さはあるだろう。
本来の意味での「方言」、つまり日本語における在来の土地の言葉としての方言は、江戸時代の地域区分に沿って大まかな区分けができる。当時、一般人の移動は制限されていたため、必然的にそれぞれの土地の方言は、他の地域のものとは異なるものになっていった。
ところが、明治に入って環境は一変する。明治時代以降、第二次世界大戦終戦までの日本語教育は、方言話者に標準語を身につけさせることに全力を注いでいたといっても過言ではない。それは1つの国家は1つの言葉で統一されるべきだという近代国家観によるものだという。
標準語を重んじる志向は戦後も続いていき、それは市民の日常へも浸透していった。方言をバカにされた事をきっかけに、殺人事件すら複数発生しているのだ。
ひるがえって、現代はどうだろう? もちろん、方言を低く見る向きが消えたわけではない。しかし方言に対するポジティブな態度を目にすることの方が、多いのではないか。
そのルーツは、1970年代から80年代にさかのぼる。社会全体が中央集権的な価値観だけでなく地方の多様性にも目を向けるよう変わってきた。その結果、方言に対する負のイメージが転換し、現在のようなポジティブなイメージが形成されてきたのだという。
さて、方言コスプレである。方言コスプレとは、方言話者以外の人が何らかの目的で方言を使う用法を指す。九州に旅をして九州弁でSNSに書き込むというような地域性を打ち出す用法だけではなく、今日では方言の持つステレオタイプを利用して、演出に用いる使い方があるのだという。
たとえば、はっちゃけた面白キャラであること伝えるために、わざわざ大阪弁を使ってみたり(たいがい失敗するけどな、それ)、男気を表すのに「~ぜよ」と言ってみたり、素朴さを出すのに東北弁で呟いてみたり…方言が持つステレオタイプを利用して言葉にイメージを付けていくのだ。地元人がより地元らしさを出すために、あえて方言を強調するやり方もここに含まれる。
方言コスプレが広まった背景には、メールやチャットアプリ、SNSのような「打ち言葉」、すなわちキーボード等による入力される言葉の普及があった。例えば2000年代中頃、ケイタイメールで方言を取り入れる女子高生達のブームが確認されている。
打ち言葉は、主に日常的コミュニケーションに使われる。文字だけでは表しにくい「キブン」を伝えるために、方言を活用するのだ。打ち言葉と「方言コスプレ」はとても相性が良く、インターネットの普及とともに土地に依存しない「方言コスプレ」用法は広がっていった。
また、ヴァーチャル方言はコスプレ用法のみに留まらない。本書の後半ではテレビドラマの中のヴァーチャル方言の変遷も取り上げられている。
テレビの中でなんとあの坂本龍馬が標準語を喋っていた時代もあったのだ。土佐弁の龍馬イメージが定着した今となっては信じられない。
実は1968年のNHK大河ドラマ『竜馬がいく』で土佐弁話者にキャラ替えされ、それから坂本龍馬は
はっはー、なんとなんと、かんぐりかんぐりとっとのめぜよ
などと言うようになったのだ! (しかしこの台詞何て言ってるのか、土佐に縁のない私には全然わからない)。
テレビドラマは、仮想の世界でありながら視聴者が言葉=方言を再認識する装置としても機能している。「テレビドラマは、リアルとヴァーチャルの往還装置」なのだと指摘する。そう、ヴァーチャル方言は実際の方言にも影響を与えうるのである。
本書は「ヴァーチャル方言」を題材に、言葉には単に表層上の情報を伝えるだけではない様々な役割があるという気付きを読者にもたらしてくれる。
著者はもっと方言の奥深さを知ってもらうために、本書のあとに読むべきオススメ本も紹介している。そのあたりにジュニア向けに書かれた本書の優しさと親切さと切なさと心強さがミックスされている。(私の脳内で某懐メロタイトルもミックスされている)。しかし大人が読んでも十分すぎる面白さだ。「ジュニア」新書だからと敬遠してしまってはもったいないのである。
不肖ブルマー小松も、わが故郷静岡県は藤枝方言のヴァーチャル用法で締めるとしよう。
この本ええかん面白かったで、今日からちゃーんと方言コスプレしよっかしんやぁ。(訳:この本はとても面白かったので、私も今日からもっと意識高い系方言コスプレイヤーになろうと思います。)