本書はHigh Price: A Neuroscientist’s Journey of Self-Discovery That Challenges Everything You Know About Drugs and Society の全訳である。
著者はコロンビア大学心理学科長のカール・ハート博士。博士は1966年にマイアミで生まれ、貧しい黒人居住地区で育った。きょうだいは姉が4人、弟がふたり。6歳のときに両親が離婚し、一家が生活保護を受けて暮らすなか、プロのスポーツ選手をめざして学校に通いつづける。そんな著者は、若いころはクールなプレイボーイを自認し、軽犯罪にかかわったり薬物や銃を手にしたりもしたが、高校最上級生のときにひょんなことで軍事職業適性試験を受けて合格し、空軍に入隊してから人生が変わりはじめる。その後、著者は沖縄駐在中に大学の講座をとりはじめ(なんと、きっかけはマリファナだが)、やがて大学院に進学し、研究者への道を歩む。そしてその過程で黒人の歴史を知り、黒人としての意識に目覚めていく。
研究者になった著者は、人間の行動や生理機能に対する薬物の作用を調べ、薬物使用者を長年にわたり観察してきた。一方で、薬物におぼれて人生を棒に振ったとおぼしき親戚や幼なじみを目の当たりにし、クラック・コカインが黒人コミュニティに広がった状況を目撃した。さらに、銃犯罪で友人を失ったほか、自分に見知らぬ息子がいて、その息子が底辺生活を送っているという衝撃の事実も知った。そうした諸事情から、著者は彼らのような運命を回避した自らの人生の選択を振りかえるとともに、薬物問題を客観的・批判的に考察していき、現在の違法薬物取り締まりは、薬物撲滅という非現実的な目標を掲げるあまり、社会から取り残された人びとに犠牲を強いているという考えにいたる。本書は、こうした著者の人生の物語に科学的な情報を織り交ぜながら、薬物政策や薬物関連の法執行に警鐘を鳴らすものだ。
挑発的ともいえる本書の特徴はなんといっても、著者の生い立ちの率直な描写と、薬物に対する固定観念を打破する科学的知見がユニークなかたちで組み合わさり、著者にしか書きえない内容が説得力をもって伝わってくることだろう。
まず、著者の人生についていえば、つらい子ども時代から、メインストリームの世界に入ったのちに故郷の家族との隔たりに苦悩する様子などが赤裸々に語られており、胸に迫ってくる。
そして、本書を読めば、薬物をめぐる常識(と思われていること)がいくつも覆される。薬物については、薬物がほしくてたまらなくなってまともな判断ができなくなる、一度使ったらやめられなくなる、薬物が使用者を犯罪にかり立てる、といったイメージがある。しかし著者は、自分やほかの研究者が得てきた科学的根拠をもとに、薬物使用者が合理的な判断をくだすことや、 薬物を使う人びとの大多数が依存症に陥らない事実を見てきた。
また、薬物を規制する法律が、じつは薬物の危険性にもとづいて決められているわけではないという話も驚きだ。本書によれば、どの薬物を違法とするかは政治的・社会的に選択されてきた(科学的には、アルコールやタバコを合法としてコカインやマリファナを違法とする根拠は定か ではないそうだ)。ここに社会のマイノリティに対する差別や偏見の問題がからんでくるのだが、 こと薬物にかんしては、個人的な事例が重視されて科学的データが軽んじられ、メディアの煽動 的な報道によって特定の薬物に対する恐怖がかき立てられてきたという。本書には、粉末コカイ ンとクラック・コカインにかかわる刑罰の重さには科学的に正当化されない差があり、結果的に 黒人が多く投獄されてきたことなどがくわしく記されている。
ところで、薬物にまつわる固定観念といえば、訳者は本書を読んだときに、その手の薬物を扱ったときの記憶がふとよみがえってきた。それは、2種類の薬物をマウスに与えて観察するという薬理学の学生実習だった。薬物の具体名は忘れたが、ひとつは麻薬のたぐいで、もうひとつは覚醒剤だった。実験の詳細は省くが、麻薬を投与したマウスはやがて千鳥足になり、ふらふら歩いているうちに倒れて死んだ。一方、覚醒剤を打ったマウスは、尾がぴんと立ち、それこそ総毛だったような状態になった。そして勢いよく走り回っていたかと思うと、ある時点で硬直したようになって死んだ。マウスの印象が強烈だったので、この実験で薬物は怖いというイメージが自分のなかで定着した面はたしかにある。だがいまから思えば、あのときは致死量を与えた極端な状態を観察したのであって、どんな薬物でも大量に与えたら動物はなにがしかの症状を呈して死んだにちがいない。本書では、動物実験の結果が誇張されたかたちで人間に適用されることの問題性が指摘されているが、自分の経験もそれに当たると感じた。
逆に、薬物の量が少なければ作用も弱い。それについて著者は、「薬物の作用は予測できる」と要約する一方で、「黒人男性と警察とのやりとりがどうなるかは予測できない」という象徴的な言葉で現状を憂えている。白人警官の黒人射殺事件は人種差別の根深さを示しているが、著者や家族が受けてきたさまざまな差別の例を読むと、そこまでひどいのかと思わずにはいられない。 この人種差別問題は、著者の人生エピソードを縦糸、薬物にかんする科学的知見を横糸とする本 書において、いわば斜めの糸として全編に通っている。
さて著者は、人類の歴史を見ても薬物が根絶されることはないと断言する。じっさい、アメリカはニクソン大統領時代から「薬物との戦い」を展開してきたが、現在、なんらかの薬物を常用するアメリカ人は2000万人にのぼるという。各国も薬物対策を進めてきたが、薬物の根絶はできずむしろ暴力が広がったとして、こうした国際的な薬物との戦いは失敗に終わったという指摘も専門家からなされている。
著者はなにも薬物を擁護しているのではない。ただ、自らは薬物に手を出したものの運よく刑務所行きを免れたが、多くの身近な人びとが、若いときに薬物がらみの罪で逮捕され、社会に必要とされる技能を身につけないまま社会から隔絶され、また投獄されるという悪循環に陥った。さらに、いまの社会では、黒人である息子たちが警察の標的になりかねないことを知っている。それをなんとかしたいという思いに突き動かされ、科学的根拠にもとづいた薬物政策──命を守り社会の損失を減らすためのとりくみ──の実現を訴えるべく、私生活をも明かすことを選択し た。薬物問題は、日本ではアメリカほど深刻ではないかもしれないが、対岸の火事ともいいきれ ないだろう。本書が薬物について考えるきっかけになれば幸いである。