2015年夏、ヨーロッパに数十万人の難民がやってきました。最初はアフリカ系難民がイタリアに、次は主にシリア難民がギリシャに。いまにも沈みそうなボートで、運よく南ヨーロッパの海岸にたどり着いた人たちは、今度はドイツやスウェーデンを目指して、大移動を始めました。バルカン半島の田舎道に人があふれ、ターミナル駅では通勤客の横で難民が寝起きする姿が日常になりました。ヨーロッパ難民危機のはじまりです。
その頃、日本では、1枚のイラストが議論を巻き起こしていました。荒れ地を背景に、挑戦的な視線の少女が描かれ、「何の苦労もなく/生きたいように生きていきたい/他人の金で。/そうだ/難民しよう!」と書かれたイラストです。人権侵害だ、差別だといった批判が高まる一方で、表現の自由に基づく擁護論や、シリア難民は「なりすまし難民」だから描かれていることは本当だ、という議論が起こりました。
しかし、もし、そのイラストの背景が日本だったら、私たちはどう思ったでしょう。もし、東日本大震災の後、さいたまスーパーアリーナに集団避難してきた福島の少女のイラストに、「そうだ/難民しよう!」という文字がかぶせてあったら、どんな議論が起きたでしょう。おそらく、差別だとか表現の自由だとかいう以前に、多くの人が、「ここに描かれていることは事実と全然違う」と思ったのではないでしょうか。
なぜか。それは、私たち日本人が、あの震災のことを身近な出来事として、よく知っているからです。私たちは、あのとき、あの場所にいた女の子が(もちろん男の子も、そしてほとんどの大人も)、故郷を逃げてくることで精一杯だったのを知っています。「おしゃれがしたい」から「難民になろう!」と思って避難してきた子なんて(そもそもそんな心の余裕があった人なんて)、おそらく、ただの1人もいなかったと想像することができます。
これに対して、外国、とりわけシリアなど中東の人々が経験していることを、日本人が想像するのは容易ではありません。その意味では、シリア難民の少女のイラストが出てきたのは、仕方のないことなのかもしれません。
けれども私たちは、中東に住まなくても、あるいはシリア難民と同じ経験をしなくても、彼らの置かれている状況を想像することができるはずです。それを助けてくれるのが、ジャーナリストの仕事です。
イギリスの若手ジャーナリストのパトリック・キングズレーは、本書『シリア難民 人類に突きつけられた21 世紀最悪の難問』で、2015年のヨーロッパ難民危機が、私たち日本人にとっても、決して対岸の火事ではないことを教えてくれます。
その軸となるのは、ハーシムという1人のシリア難民です。ダマスカス市水道局に務める37歳のハーシムは、家族思いのマイホームパパ。ところが、ある日突然、情報機関に連行され、数か月にわたり拘禁され、拷問を受け、空爆で家を破壊され、仕事も失ってしまいます。誰も理由を教えてくれないので、ハーシムも、なぜそんなことになったのかわかりません。ただ、空爆はひどくなる一方で、避難先もすぐに危険な状況になってしまう。そこでハーシムは、3人の息子と妻を連れて、エジプトに逃げることにしました。
ところが、逃げた先のエジプトでも政変があり、シリア人はまともな仕事どころか、まともな生活すら送れなくなり、ハーシムは仕方なく、密航船で地中海を渡ってヨーロッパを目指すことを決意します。ただし、お金がないのと危険なのとで、まずは自分だけでチャレンジすることにしました。うまくいけば、ヨーロッパで難民の認定をもらい、家族を呼び寄せられると考えたのです。
本書は、そんなハーシムの旅を追うと同時に、ヨーロッパを目指すほかの国の人々の境遇と、彼らがたどるルート、そして彼らに手を差し伸べるNGOやボランティアの奮闘ぶりを紹介します。また、難民問題をめぐるヨーロッパ諸国の政治的な混乱も冷静に分析しています。さらに興味深いのは、リビア、エジプト、トルコの密航業者の「ビジネスモデル」のリポートでしょう。
どの国でも、密航業は元締めから、客を集めるブローカー、船の所有者、海岸の地主、地元の警察や民兵組織、渡航前の難民が滞在する宿の提供者、バスの運転手など、多種多様な人が関わる巨大ネットワークになっています。そして身分証明書やビザがないために、公共交通機関を使うことができない難民の足元を見て、彼らから法外な料金を要求します。
たとえば、ハーシムがエジプトからイタリアまで船に乗るために払った金額は、約20万円(現在アレクサンドリアからローマまでは飛行機で3万円程度)。トルコ西岸からレスボス島までのゴムボートの運賃は約10万円(フェリーの定期便を使えば5000円程度)。ミラノからマルメまでの白タクの料金は、約10万円(飛行機なら約5万円)。そんな金額を払っても、ゴムボートは定員を5倍もオーバーしていたり、白タクは実は冷凍車だったりと、安全に目的地に到着できる保証はありません。
それでも難民たちが、ヨーロッパを目指すのは、「故郷でのたれ死ぬよりも、ヨーロッパを目指して死ぬほうがましだと思っているからだ。彼らの『必死度』は、ヨーロッパの孤立志向よりもずっと強い」と、キングズレーは言います。したがって難民の流入を食い止めるのは不可能であり、その流れを管理する方法に資源を注いだほうが現実的だと主張します。
現在27歳のキングズレーは、ケンブリッジ大学を卒業後、英ガーディアン紙に就職。2年ほどロンドンで単発記事を書いた後、エジプト特派員としてカイロに駐在し、エジプトに莫大な数のシリア難民がいることを知ります。そして2014年9月に起きた密航船の転覆事故(死者500人)を取材するなかで、この船に乗る予定だったハーシムと出会いました。翌年3月に、ガーディアン紙初の「移民担当記者」に任命されると、1年で100便の飛行機を乗り継ぎ、17か国を行き来して、ヨーロッパ難民危機をレポートしてきました。本書はその集大成といえるでしょう。
最終的に、2015年にヨーロッパにやってきた難民は、100万人を超えました。そんななか国際社会では、日本にも一定の受け入れを求める声が高まっています。あるいは、アジア地域でも大規模な人道危機が起きて、日本の政策とは無関係に、多くの難民が日本に押し寄せてくる可能性がないとは言えません。そのとき、慌てて間違った(あるいは効果のない)判断や、想像力に欠けた対応をしてしまわないためにも、私たちがいま、ヨーロッパ難民危機から学べることは多いのではないでしょうか。