昨年、私たちの財団でグローバル・ヘルス関連の仕事を手掛けているトレヴァー・マンデルが私に、この本を読むよう勧めてくれた。私はそれまで本書のことも、著者であるユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのニック・レーンという生物学者についてもまったく知らなかった。数か月後には、私はたんにこの本を読み終えていただけでなく、ニックのほかの著書3冊を取り寄せ、うち2冊を読み終わり、ニューヨークで彼と会う手筈を整えていた。
ニックはジャレド・ダイアモンドのような書き手を思い起こさせる。世界について多くを説明する壮大な理論を考え出す人々だ。彼はそんな独創的な思索家のひとりで、あなたにこう言わせる。「この男の仕事についてもっと多くの人が知るべきだ」
ニックの著作は本質的には、すべての生きとし生けるものにとってのエネルギーの役割を読者に深く認識させ、科学におけるボタンの掛け違いを正そうとする試みである。『生命、エネルギー、進化』は出だしから衝撃的だ。
「生物学の中心には、ブラックホールがある」(もっと多くの生物学の本が、こういう素晴らしい書き出しから始まってほしいものだ)、「率直に言って、なぜ生命は今こうなっているのかがわかっていないのだ。地球上の複雑な生命はすべて共通の祖先をもち、それは、単純な細菌から40億年でただ一度の機会に生じたひとつの細胞だった。これはひょんな出来事だったのか、それとも複雑さの進化において、ほかの『実験』は失敗に終わったのだろうか?」
なぜ、複雑な生命──私たちが目にするさまざまな植物や動物たち──はあまねく、ある種の性質、たとえば老化するとか、有性生殖で増えるといった性質を、共通してもっているのだろう? なぜ、異なるタイプの複雑な生命の進化が起きなかったのだろう? そしてもし他の惑星にも生命がいるとすれば、それらも必然的に同じ性質を持っているのだろうか? それともE.T.はクローン増殖するのだろうか?
エネルギーの役割を深く認識することによってはじめて、私たちはこうした疑問に答えることができると、ニックは論じている。
ある意味、彼の議論は私がブログで最近頻繁に書いている問題に新たな視角を付け加えるものだ。私はグローバルな次元でエネルギーの問題を正しく解決すること──高価すぎない、信頼できるクリーンなエネルギー源を開発すること──が、貧困や気候変動の問題と闘う手立てにもなると主張してきた。ニックが語っているのは、細胞レベルのエネルギーの問題はどうすれば正しく解決できるのかという視点から、生命の誕生や複雑化への道筋も説明されるという話なのだ。
本書の序盤で彼は、生命の起源についての最近の知見をあれこれ考察している。細菌と古細菌と呼ばれるタイプの単細胞生物が40億年ほど前に出現したが、それには海の底の熱水孔がつくりだすエネルギー勾配が必要だった。そこで生命の誕生がどのように起きたか、ニックが語る筋書きはスリリングだ。彼はほかの研究者たちの仕事をベースに、自身の研究成果も付け加えて、起こり得た過程を論じているのだが、その描像にあまりにも説得力があるので、ほかのやり方で生命が生まれたとは想像できないぐらいだ。彼の説明は私たちが学校で教えられた説明とは違っており(“原始スープ”は出てこない)、それでいてとても魅力的な物語だ。
続く20億年の間、細菌と古細菌だけが地球上に棲息していた。それから、たぐい稀な出来事が起きた。1匹の細菌が1匹の古細菌の内側に入り込み、そこで生き延びたのだ。この細菌は内部共生体、つまり生き物の中に棲む生き物となり、両者が互いに相手から提供されたものによって利益を得た。
こうした細胞の融合はそれ以前にもそれ以降にもおそらく起きていただろうが、うまくいく見込みはほとんどなかった。大概は、どちらの細胞も死んでしまう。「実際にうまくいったただ一度の出来事に端を発して、われわれにまで至ったんだ」とニックは言う。
どうやって? 内部共生体の細菌は自身の遺伝子の一部を宿主細胞に提供し、それは細胞核のゲノムに加わった。そして、自身は一部の遺伝子を失った細菌がミトコンドリアになった。ミトコンドリアは私たちの知るありとあらゆる複雑な生命体にとっての小さな発電所と言える。ミトコンドリアは細菌や古細菌と私たちを隔てているいくつかの重要な鍵の一つだ。
ここで理由を一つ紹介しよう。細菌のような単純な細胞はエネルギーのすべてを細胞の外骨格である細胞膜上で生産しているのだが、このことが、細菌が自身を維持できる量のエネルギーを生産しながらどこまで大きくなれるかに制約を加えている(数学的に言えば、体積は表面積よりも速く増大するので、細菌がある程度のサイズを超えるとエネルギー需要がエネルギー生産の能力を超えてしまう)。
だが、細胞がエネルギー生産を“内部化”したとき──すなわち、細胞がミトコンドリアを獲得したとき──この制約がなくなったのだ。ミトコンドリアはまた、エネルギー生産に特化したゲノムを持っているが、細菌のゲノムはそうではない。だからミトコンドリアを持つ細胞ははるかに大きくなることができ、より複雑な、新たな構造を進化させることができたのだ。
『生命、エネルギー、進化』の中でニックはさらに進んで、なぜ生命は今こうなっているのかを描いている。複雑な生命は今日私たちが目にしているような形質を必然的にもたねばならないことを、彼は説得力をもって示している。そして、生命はどんな場所でもほぼ間違いなく、それと同じ轍を踏んで進化するだろうと言っている。つまり、もしほかの惑星で複雑な生命が見つかるとしたら、それは私たちと共通の形質をいくつかもっている可能性がきわめて高い。別の言い方をすれば、E.T.は自身をクローンできない。もしE.T.が子どもを欲しいと思ったら、まずミセスE.T.が必要になるだろう。
さて地球に視点を戻そう。私はニックの仕事の応用の可能性に惹かれている。ミトコンドリアはガンのような病気においても何らかの役割を果たしているかもしれない。加えて私たちの財団のグローバル・ヘルスのチームは、彼の仕事から栄養失調に対処するためのヒントが得られないか、ニック自身と話し合っている。
ニックは一貫して科学者らしい物腰の人物だ。彼の本を読んだり彼と話しているとき、私はニックが強弁していると感じたり、読者をたぶらかしていると感じたりしたことは一度もない。誰かの仕事を引用している場合にはどの文献を引用しているのか明快だし、何を根拠に彼が自身のアイデアを立ち上げているかも明快だ。自分のアイデアのいくつかが間違っている可能性があれば、彼は他人に指摘されるより先に自分で指摘してしまうだろう。
私はこの『生命、エネルギー、進化』という本に惚れ込んだが、これは万人向けの本ではない。なかには学術的詳細に踏み込んだ記述も出てくる。しかしここで語られているのは学術的詳細に踏み込んで語られるべき話題だし、私が思うに他の誰が書いても、重要な細部を犠牲にせずにこれより特段わかりやすくすることなどできなかっただろう。ニックは鍵となるアイデアを説明するために、鮮やかな比喩をたくさん用いている。さらに、数ページ進むごとに彼は自分がいま何を言ったのかを要約して、重要なことを繰り返し語ってくれる。もし科学に関心があって、学校で習った化学と生物学をちょっと覚えていさえすれば、あなたも『生命、エネルギー、進化』を十分に読める本だと感じるだろう。
この本をこれから読むつもりなら、あまり先伸ばしにせずに読んだほうがいい。今から5年もすれば、ニックなど、この分野の研究者がずっと先へ話を進めているだろう。もちろん、彼の議論の詳細が後になって正しいと証明されるかどうかはわからない。だが、もし仮に将来彼の議論の詳細が覆されたとしても、彼がエネルギーに焦点を置いたことは、私たちがどこから来て、どこへ向かうのかを理解するうえで重要な貢献だったと目されるようになるのではないだろうか。
(原文:https://www.gatesnotes.com/Books/The-Vital-Question 翻訳:みすず書房)