「いま、ここ」に真剣に生きる。
そのような当たり前の事実をアドラー心理学やマインドフルネスで説かれる。わかっちゃいるけど、実践できないのは、ついつい過去を悔やんだり、不確実な未来に思い悩むからである。一方で、リスクを出来るだけ最小化するために予測可能性を高め、テクノロジーが予見する世界像を理解・共有しながら、未来の解像度を高めようとする。そうして、現在と未来の間を行き来し、板挟みになり息苦しさを感じる。
くよくよ思い悩む私たちを尻目に、世界には「いま、ここ」を生きている人たちがいる。アマゾンの少数民族ピタバンである。ピダハンの言語には、過去や未来を示す時制がきわめて限定的にしか存在しないのだ。未来や過去を含め、抽象的な概念を表現する言語はほとんど存在しない。
そして、人類学者はしばしば、金銭的・物質的な側面では明らかに私たちの社会よりも貧しい社会に存在する異なる豊かさをに心動かされ、賞賛する。そこでは未来のために現在を手段化したり犠牲にすることなく、「いま、ここ」を生きている。そして、たいていの場合、資本主義経済、とくに新自由主義的な市場経済へのアンチテーゼを標榜する。
いっぽうで、著者が長年調査してきたタンザニアの行商人マチンガは、これまでの人類学者が対象としてきた未開の民族や農村地域の住人と比べて、それほど遠い存在ではない。民族誌を読んでノスタルジックに浸るというより、資本主義経済で闘っている同志に励まされるように感じられる。
しかし、相対的に近いといえど、日本とタンザニアの二者の違いは大きい。日本では当たり前のように過去から未来への直線的で均質的な時間を生き、いつかどこか、未来の豊かさや安心のために現在を貯蓄している。しかし、本書を読めば、そんな時間感覚は特定の場所と時代において成立しているにすぎないことがわかる。タンザニアではその日その日のために生きる(Living for Today)が一般的であり、日本に暮らす私たちとは違った時間軸と合理性を持って生活している。
また、Living for Todayに立脚する経済は現在において拡大し、主流派の経済システムを脅かす、もう一つの資本主義経済として台頭している。このインフォーマルな経済圏は、 世界中で16億人もの人びとに仕事の機会を提供し、 その経済規模は18兆ドルにも上ると言われている。
前置きが長くなったが、その新しい経済の原動力と住人たちの生きぬき戦術、生活の論理をLiving for Todayの視点から論じるのが本書である。
彼らの行動原理は「まず試しにやってみる、バラバラで」「稼げないとわかったら転戦する」「稼げるとわかったらみんなで殺到してすぐ終わる」だ。商売においては同じ商品は大量に仕入れずに、バラバラの製品を仕入れ販売する、一見非効率に見えるやり方だが、商機の探索とリスクの分散になっている。稼げるかどうかはやってみないとわからない、だからいつ転戦するかわからない。そういった短期決戦の姿勢は、共同経営や組織化のインセンティブと矛盾し、個人個人がバラバラで行動し、不確実性の高い市場を再生産し続ける。
いっぽうで稼げるとわかってしまえば、商売の秘訣をあらゆる手段で囲い込み、できるだけ稼ぎを多くしようとするのが、商売の鉄則であると教わってきたが、マチンガはそうはしない。先鞭をつけた商人が後続の商人に気前よく教えるし、同業者によるパクリも歓迎である。その結果数カ月から1,2年のうちに商売が立ち行かなくなり、新たな市場や商品の開拓を繰り返す。
彼らが稼ぎの秘訣を共有する理由は、自分の商売に秘密にすべきことがあるとは思っていなかったり、教えなくても商売など簡単に盗めるものと考えているからだ。そして、それ以上に、仲間との関係性が重要であり、仲間から教えを請われれば断りはしないのだ。儲けよりも仲間優先の姿勢は終始崩すことはない。
一つの商機に殺到する経済は、インフォーマル経済の多大なる雇用創出の成果と論者の間では再評価されているが、一方で組織化せずに、個々でバラバラに商いを行い、過剰競争に陥ってしまう効率の悪さを指摘していた。
しかし、著者は個々が自由気ままに勝手に動くことで、自分たちよりも強い権威に管理・統制されない「アナーキー」な市場・経済領域を維持・再生産していると考える。マチンガに言わせれば、大商人や大家は自分たちに頼らざるを得ないのであり、やはり面白いのは、そのような状況を組織化・団結せずに勝手にやることの結果として生じていることだ。
商売の上で、現在のアフリカで問題視されているのは、中国人の商売のやり方だ。マチンガたちは、パクること自体は問題だとは考えない、意外な点で中国人の道義について抱く不満がある。また、商売の根源にある貸し借りの感覚にも、Living for Todayが行き届いている。そこに、今やアフリカで生活になくてはならないインフラとなったテキストメッセージの送信で利用できる送金システムのエムペサ(M-Pesa)が影響を与えている。長い目で見る独特の貸し借り文化に、テクノロジーがもたらした変容と微動だにしない文化は、本質を浮き彫りにする。
著者はタンザニアに単身飛び込み、計3年半にわたり古着の行商人を経験した。きっかけは路上でのナンパである。そこからあれよあれよとマチンガに出会い、50着の商品を渡され、行商生活がスタートし、五ヶ月を過ぎる頃には500人以上の常連客を持つようになった。「路上経済学」を身をもって学んだ異色すぎる研究者である。街の超有名人になってしまい、現地に溶け込むように調査する文化人類学の鉄則は捨てざるを得ない状況となった。それがマチンガの一筋縄ではいかない複雑な心情に肉薄した考察の深さの理由に違いない。
ではなぜ人びとは効率性重視や成果追求主義とならずに暮らしているのか、 いまを生きることはいかにして可能かと問うと、「そう生きたいから」といった 個人の信条や願望と、「そう生きざるを得ないから」という状況的な制約あるいは社会的制度や道徳とのあいだに、幾層も複雑に入り組んだ価値と実践があるように思う。
呪いのように染み付いた直線的な時間軸に生きる中で、Living for Todayに生きる人びとを参考にして、大きく戦略を転換することは難しいだろう。しかし、未来と現在のどちらを重視するかで揺れ動く中で、個人として、他人との関わりにおいて、さらに社会全体のシステムを考える中で、前提を疑う視点と深いレベルでの再考を促す一冊である。
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内藤によるレビュー