本書は、平成に起きたある漂流事件の詳細をつづったノンフィクションである。また、未解決行方不明事件を追うルポルタージュであり、沖縄における海洋民の成立と広がりを歴史的に考察する一書でもある。
1994年2月、一隻の漁船が連絡を絶った。沖縄のマグロ延縄船、第一保栄丸は、同年1月にグアムを出港、2月2日の無線を最後に連絡が途絶え、その後3月17日フィリピン沖、救命筏にて漂流しているところを現地漁船に救助された。37日間もの漂流、しかも乗組員全員が生還したという奇跡的な事例である。著者はこの漂流事件に興味を持ち、取材を始める。そして船長の自宅に連絡し、妻の口から驚愕の事実を知る。
「ノンフィクションの本を書いている角幡という者なんですが、ご主人の本村実さんはご在宅ですか」
富美子は少し返事をためらった後、「今、うちにはいませんので……」と力のない声で言った。
「…じつは、十年ほど前から行方不明になっているんです」
「えっ……!」
「前と同じように漁に出て帰ってこないんです……」
「……!」
「前みたいに漂流して……。グアムに行って、港を出て、しばらくして帰るという連絡があったんですが、それっきり連絡が来ないんです……」
第一保栄丸船長・本村実氏は、奇跡の生還の後、再び漂流、そして今度は戻ることなく、未だ行方不明だったのである。
著者は沖縄に渡り、本村氏の身に起こった2つの漂流事件の聞き込みを始める。それは次第に、沖縄県伊良部島のある集落の歴史を遡る旅となる。伊良部島は、宮古島の西隣にある小さな島で、氏はその佐良浜という集落出身だった。佐良浜の漁師たちは、太平洋戦争前からパラオやボルネオなど南方の島々に出漁していたという。本村氏の漂流事件は佐良浜の歴史の一幕であり、その中で理解されるべき一面もあることがわかってくる。37日間の漂流、乗組員全員生還の内幕。そして、2度目の行方不明。事件の詳細を取材すればするほど、様々な疑問が浮かび上がってくる。南方で繰り返される漁船の失踪。それを取り巻く状況。
また、本村氏は、一度生死の境をさまよう漂流事件を体感したにも関わらず、なぜ再び出漁したのか。著者はその部分に強い関心を抱いた。氏は帰還後、共に漂流したフィリピン人乗組員たちに「食べられかけた」と語っていた。それは、著者の取材によって裏付けが取れていて、当時のフィリピン人乗組員から、筏内での生々しい状況が語られている。自然に翻弄されるだけでなく、人にも脅かされた。しかし、彼は8年海を離れたものの、また船に乗るのである。その心中はどのようなものだったのか。丹念な取材を重ね、氏の人物像が掘り下げられていく。
2002年10月12日、本村実氏が乗船する第八秀宝丸はアプラ港を出港。11月12日操業中の氏から自宅に無線電話。妻・富美子さんに入港予定日を伝える。グアム南東サワタン諸島付近で他船からグアムまでの帰着分相当の軽油を給油。帰港予定日の11月20日頃、秀宝丸と連絡が取れなくなっていると騒ぎになる。捜索されるも、一切の痕跡なく現在に至る。
「角幡さんがいろんなところに行くから、もしかしたら実さんが見つかるかもしれない……」富美子さんは言う。事件は、何の手がかりもないまま、未だ終わりを迎えていない。
著者、角幡唯介氏は、2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』で第8回開高健ノンフィクション賞、第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。2012年『アグルーカの行方』で第35回講談社ノンフィクション賞を受賞した探検家である。氏は自身の探検の中で、常に自然という究極的な力に翻弄され、抗ってきた。そしてその中で生死の輪郭を見定めようとしてきた。本書は氏の探検を扱ったものではない。しかし、過去の漂流事件を通じて、自然を前にしたとき人は生と死にどのような距離感を持って接するのか、一つのコミュニティにおいて長い歴史を通じ醸成された観念、それがどのように受け継がれているかを丹念な取材で浮き彫りにする。読後、戦慄する一冊だ。