「読み進めるほどに、どんどんと素直になり、最後には気をつけ状態になって、はいはいとありがたくお話を聞きたくなってしまうのである」と、仲野徹が評した大村智の伝記を、私も面白く読んだ記憶がある。実は私はそれまでに科学者の伝記というジャンルをあまり読んだことがなく、科学者はユーモアに溢れていて、科学だけではなくて、幅広い趣味を持っている人なんだな、と惚れ惚れしてしまった。
本書は、ノーベル賞受賞講演「自然が答えを持っている」を含めた、大村智先生のエッセイ集である。研究以外のいろんな側面、例えば絵画との出会いや、ふるさとへの想い、夢を追いかけることなどがメインとなっていて、大村先生を多方面から知ることが出来る魅力的な一冊だ。ノーベル生理学・医学賞を受賞した先生は信じられないほどたくさんのことをやってのけている。
まず、大村先生の芸術への情熱を抜きにしては語れない。大村先生は絵画の造詣が深く、設立に関与した北里メディカルセンターを絵画でいっぱいにし、ふるさとの山梨県韮崎市には「韮崎大村美術館」を建設している。そんな先生は、小さい頃から両親が画用紙を与えてくれて、絵だけは描きなさいと言われていた。大村先生は、「自分だけの表現、逆転の発想」を絵との付き合い方から学んだと言う。
北里メディカルセンターに飾られている多くの絵も、「病院にふさわしい絵」といった縛りはなく、皆が自分の視点で楽しめるように様々な流派、作家の絵が飾られている。絵を収集する方法がユニークで、「人間讃歌大賞展」といい、入賞した人には賞金を用意し、代わりに絵は病院に寄贈してもらうというやり方を先生が発案した。人は病気になると謙虚になるとともに、心は沈む。芸術が人に生きる勇気を与える。
先生のこの行動力の裏にある信念とはどのようなものか。例えば、《実践躬行》はその一つであるようだ。
発起したことが、そのまま実現することはあり得ない。事を進める中で、社会情勢や得られる人的資源の変化に即応することが求められる。そして、関わる人々の誠意、情熱、良好な人間関係といった事柄が構築された時に、成功への道を歩み出す。その道を切り開くのが、リーダー自らの《実践躬行》である。広辞苑には「口だけではなく、実際に踏み行うことの大切さをいうこと」である。
さらに、「どうしたら人のためになれるか」を常に考えている先生の生き方の根本姿勢があった。いかに世の中のためになるか、どうしたら人に喜んでもらえ、意義あることを行えるか。そういう発想だからこそ多くの方々の協力を得られ、物事を推進することが出来る。自分しかできない発想、方法で、多くの人のためになることを成す。科学も美術も、その積み重ねで発展してきたのだと言う。
こうして丁寧に読んでいくと、エバーメクチンの研究はとても大村先生らしいと思う。自らの中から生まれた独創的な発想を大切にし、人のためにどうすればいいか突き詰めた結果がノーベル賞で、8億人もの命を救う結果となった。その現状に満足せず、ふるさとの韮崎市や日本国を想い、科学の発展に貢献し続ける姿勢がある。そんな先生に導かれながら私たちは日本を背負っていくこととなる。私は科学者ではないが、こうしてノンフィクションを楽しく読んで、いろんな科学の可能性を知って、日常生活を少し新しい視点から見つめる事が出来るのは、先生のような大人がいるからだ。自分の立場で将来の日本づくりにどのように貢献出来るのか、考える姿勢を先生は教えてくれる。