毎朝ご覧の方も多い、NHK朝の連続ドラマ小説『とと姉ちゃん』。そのヒロイン、小橋常子のモチーフになったのが、戦後の暮らしを明るくし、70年代には100万部を超え国民的雑誌となる『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子(しずこ)さんという女性だ。この「しずこさん」の唯一の自伝がとっても面白いので、ご紹介しておきたい。
この「しずこさん」。
本にあるプロフィールはこんなところ。
「1920年生まれ。1948年、花森安治とともに雑誌『暮しの手帖』を創刊。社長兼編集者として生涯を出版に捧げた。1994年、東京都文化賞受賞。2013年、永眠」
本書には、ドラマで描かれていることと重なるエピソードも多いのだが、一方でドラマは、事実そのままではなく、うまく伝えるために設定を変えている箇所が多い。「花森安治」と「花山伊佐次」くらいには違う。文字では説明できても映像となると難しい部分もあるのだろう。
フィクションにするには当たり前のことだが、そのひとつで、『暮しの手帖』ファンや「しずこさん」をよく知るひとには有名な実際のエピソードがある。こんなことだ。
4号の企画を考えていた頃(戦争から3~4年の頃、掲載は1949・昭和24年10月の5号)、世間では食べ物といえばお芋で、配給の米は僅か、という時代に、「皇族方はマッカーサーの特別の庇護のもとで、ゆうゆうと暮らしておられる」といわれていたそうな、そこに「しずこさん」は疑問を持つ。「本当にそうかしら」?
「私、照宮さまにそのへんのこと(どんな暮らしをされているか)をお書きくださるよう、お願いしてみましょうかしら」
「それはいい企画だ、君が行ってお願いしてきなさい」(以上、やりとりの抜粋・カッコ内は評者補足)
というわけで、昭和天皇の第一皇女(いまの天皇陛下のお姉さま)にまずは手紙を書き、その後麻布の東久邇邸に向かう「しずこさん」。そのドアはすーっと開いて……なんとご本人に会うことができ、紆余曲折を経て(この紆余曲折がまたすごい。花森編集長、書き直しを命じるのである)、見事「やりくりの記 東久邇成子」というタイトルで掲載に至るのだ(全文が掲載されており、読める)。
当時の社会状況を考えるだに、もうとんでもないパワー。
すごいひとだぞ、「しずこさん」!
明るくて猪突猛進。目の前の人を魅了してしまう人懐っこいキャラクター。口癖は「なにか面白いことはないかしら?」だったというから、実際のご本人もとてもチャーミングな方だったのではないだろうか。
それは文章にも表れていて、語りかける丁寧な「です・ます」調の語尾は、わかりやすいというよりも、すんなりとこちらの身体に入ってくるもの。「暮しの手帖」の文体自体、その後に与えた影響は大きいと思う。その文体は花森編集長や「しずこさん」そのものだったのだろう。
そのパワーとともに、本書の『暮しの手帖』物語はさらなる展開を見せ、30代で出かけたアメリカ視察旅行や、雑誌から生まれた「ふきん」やベストセラー本の話へと続いていく。
2010年、「しずこさん」が89歳の時点で書いた単行本をもとに、新装のポケット版(新書サイズより少し背が低くて、少し幅が広いくらい)に最近なっており、新装するにあたって姪御さんやドラマの脚本家の文章、詳しい年譜も加わっている。
最後に、関連本をけっこう読んだので、いくつか紹介をしておきたい。花森さんの著作物も数多く出版されており、暮しの手帖社からはもちろん、中公文庫で手軽に読めるものも多い。また、花森さんについては、評伝も複数出ているので参考になるだろう。
文章や雑誌での表現を考え抜いたひとたちの言葉は、やはり読む行為で触れると、いちだんとおもしろいように思う。 まずはこちら。
1960年の入社以来、長年にわたって、花森さんやしずこさんのもとで編集部に勤務した著者。実際に商品を使用したうえで責任を持てるものを紹介する、という雑誌の名物企画「商品テスト(日用品のテスト報告)」が、実際にどう行われていたかがとんでもなくておもしろい。家を1軒燃やした、シャツの使い心地のためにとにかく着替えまくった、トースターで4万枚パンを焼いた……などなど、いかに徹底していたかが涙なくしては読めないくらい、なのにユーモラス。
「花森編集長が上司だったら大変そう」というのは、ドラマを見ているだけでも薄々みんな思っていることだろう。私もそうだ。そんな人の疑問に見事にこたえてくれる、痛快な内容だ。
「しずこさん」が溌剌としていてすてきな別冊。
花森さんの趣味のよさがよくわかる別冊。二冊ともにビジュアルが多くて楽しめる。
そして、ドラマでも雑誌創刊の理由をふたり(花山さんととと姉ちゃん)が語るシーンがあるが、二度と戦争のない世の中にしたいという本気さが伝わってくるのが、こちら。
もしかすると、これを紹介したいがためにこのレビューを書いているといっても過言ではないかも。昭和42年に誌面で戦争中の暮しの記録を募り、定期の雑誌一号をまるまるこの特集に費やしたそう(昭和43年8月の96号)で、こちらは保存用に翌年に単行本化されたもの。雑誌は80万部に増刷10万部で、90万部売れたそうだ。
最初に教えてもらって手にしたとき、「こんなことをしている人がいたのか」と驚き、背筋が伸びた。
あとがきの花森の言葉は、強く胸に残る。