音による宇宙史の記録──『重力波は歌う アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち』

2016年6月25日 印刷向け表示
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重力波は歌う:アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち

作者:ジャンナ ・レヴィン 翻訳:田沢 恭子、松井 信彦
出版社:早川書房
発売日:2016-06-16
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本書は発売(6/16)とほぼ同日に重力波2度目の観測成功が発表され、即日で重版が決まったというあまりにも出来過ぎな1冊だ。とはいえ単なる偶然と片付けるのも味気ない。これは、人類がこれまで観測できなかった「音」が宇宙に満ちている1つの「確証」であるのかもしれない。

もう少し具体的に紹介すると本書『重力波は歌う アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち』は重力波発見に至る経緯、検出のための観測所を組みあげるため奮闘した科学者たちの人生を通して、重力波が満ちている宇宙を解き明かしていく一冊である。重力波について現時点での絶好の入門書であるし、最初は実在すら危ぶまれる中、重力波の存在にキャリアを賭けた科学者らのどこか不器用な政治的駆け引きと確執を含んだドラマとしても素晴らしい。

本書は、重力波──音による宇宙しの記録、宇宙を描くサイレント映画を飾るサウンドトラック──の研究をつづった年代記であるとともに、実験を目指した果敢で壮大な艱難辛苦の営みへの賛辞、愚者の野心に捧げる敬意の証でもある。

とは著者の言葉だが、全体的に重力波をめぐる科学的な説明と科学者の人生を調和させていく語り口が異常にうまい。これを書いたのはいったい何者なんだと著者紹介をみたら、ジャンナ・レヴィンは現役のコロンビア大学バーナード・カレッジ物理学・天文学の教授で、その上小説や一般向けノンフィクションも書いているという無数の才能を持った天才であった。

重力波とは何か

重力波とは簡単に言ってしまえば質量を持つ物体の周囲の時空が歪み、その運動が波動として伝わっていく現象である。一般相対性理論によればどんなに微小な質量であっても時空は歪むが(我々の身体であっても)、通常それぐらいの小さな変化では観測することはできない。しかし、途方もない大質量の物体が動き回れば──それでもかなり厳しいのだが、検出できるかもしれない、というのが今のところ我々人類が感知できるレベルの重力波である。

やたらと小難しい言い回しなので具体的な例を挙げると、LIGOによって2回検出された重力波はどちらも「ブラックホールの衝突、合体」によって発生している。その際には太陽10億個分の1兆倍を上回るという途方もないエネルギーが発生するが、ブラックホールの性質上一部たりとも光として現れず、望遠鏡ではこの事象を観測することはできない──。その代わりに、『純然たる重力現象という形で、時空の形状の波動として、すなわち重力波として発散される。』

その近くに人間がいれば、聴覚機構が振動することで音として聞くこともできるだろう(その人間が死ななければ)。『重力波は歌う』という書名に「歌うのか?」と一瞬疑問を憶えたが、確かにブラックホールは衝突する際に独特の音色を奏でているのだ(断末魔かもしれないが)。

検出の難しさ

とはいえ、『重力波が地球に届くころには、宇宙の響きは地球三個分ほどの長さが原子核1個分だけ変化するに等しい、微小なものとなっているはずだ。』というように、容易に検出できるものではない。そもそも最初は、「そんなものもあるかもね」「物理現象的にありえなくはない」レベルのものだった上に、”地球1000億個分の距離を髪の毛一本の太さにも満たない幅だけ伸縮させる変化”を観測するにはその存在が予測された当時では考えつかない技術力を必要とする。

2度の重力波観測を成し遂げたレーザー干渉型重力波観測所(LIGO)は1片が4キロメートルの巨大なL字型をした施設で、かかった費用は最終的に10億ドルを超えている。見つかった今だからこそよかったといえるが、妥当な期間内に重力波源(ブラックホールの合体など)が発生していなければいくら理論が正しくても見つからない可能性さえあったのだ。普通の神経では、栄えある科学者のキャリアと莫大な金を無駄と終わるかもしれない事象の研究に賭けることはないだろう。

先に引用した部分に「果敢で壮大な艱難辛苦の営みへの賛辞、愚者の野心に捧げる敬意の証でもある。」とあるが、読み終えてみればこれが誇張とは思えない無謀さだ。本書はこうした「不確定な事象」をめぐり、科学者らがどのように「重力波は検出されていないだけで、存在する」と考え、周囲を説得していったのか。このビッグサイエンス(多額の資金を投入した科学プロジェクト)において、科学者間でいかなる政治的やり取りや確執が発生していたのかを暴いていく。

関係者の多くがノーベル賞のことを考えていましたとか、LIGOの創設者でありながら途中でプロジェクトから追放されてしまったドレーヴァーをめぐる確執に対してなど、複数の証言者(当人を含む)の発言をお互いに矛盾したものであっても公平に取り上げていくが(書かなくてもよいのではないでしょうかと言われることまで書いてしまう)「こういうところまで含めて、ビッグサイエンスなのだよ」と著者がさらけだしているようで抜群におもしろい。

科学の進み方

重力波はアインシュタインがその存在を予測してから1世紀が過ぎているだけに、1つの科学分野がその期間を通してどのように変転していくのか、といった科学の進み方を概観することができる。たとえば、誰もが重力波なんてものを信じていなかった時代からLIGOの共同設立者であるキップ・ソーン、ロナルド・ドレーヴァー、ライナー・ウェイスの3人が「重力波は存在し、検出も可能だ」という強い欲求の下「賭けて」研究を続けてきたからこそ今に繋がっているのだ。

アインシュタイン以後、ブラックホールの存在が確実視されるようになり、重力波が存在する間接的な証拠も得られ、とひとりひとりの科学者の発見が相互に影響を与え合い、「数ある仮説のうちのひとつ」だったものがそれなりに勝算のある仮説へと変転していく。多くの挫折と本当にできるのかという不安、それでも諦めなかった一握りの無謀な冒険者たち、特異な才能のきらめき──最終的には1000人以上の科学者/技術者からなる国際コラボレーションにまで展開し、科学が前進していく(時には大きく後退もする)様子が、本書では丹念に描かれている。

新しい時代の幕開け

LIGOは本年以後さらなる観測精度のアップデートを予定しているし、日本を含む世界各国で重力波をめぐる技術/観測所は進展を続けている。これから先、音によってとらえられる宇宙、そこから判明する事象はより広がりをみせるのは間違いがない。門外漢である身にはまだそのスケールに想像が追いつかないのだが、ガリレオがかつて望遠鏡を導入した時のように「今まで見えなかったものが一気に見えるようになる」、天文学における新しい時代の幕開けとなるだろう。

今からその成果が楽しみで仕方がない。訳者解説はこちら

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
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